コンピュータは黒船?  

注:黑船,也称为火轮船,是指日本在由江户幕府统治的江户时代末期来自美国、俄国,以及欧洲的蒸汽船。在日本有时还特指1853年由马休•佩里率领,胁迫其开放门户的美国船队。这些船只船体被涂成黑色。

最近 「漢字検定」 なるものが密かな人気を得ているという。昔の人は 「さすが」 を 「流石」、「なおざり」 を 「等閑」、「あながち」を「強ち」 と書いたり、挙げ句の果ては 「オランダ」を「阿蘭陀」、「ニューヨーク」を「紐育」 と書かなければ気が済まなかったりするほど漢字好きだったので、その遺産は今でも大分遊び甲斐があるようなのだ。

最近“汉字检定”的人气悄然增长。从前人们把「さすが」写作「流石」,把「なおざり」 写作「等閑」,把「あながち」写作「強ち」,到头来甚至不把「オランダ」写作「阿蘭陀」,不把「ニューヨーク」写作「紐育」都不行了。人们如此喜爱汉字,因此这项遗产至今仍有很大的玩味价值。

とにかく昔の日本人はきちんと寺子屋で学問しさえすれば、「四書五経」のサワリ程度は読めたのである。「シィノタワワク」の常識というバックボーンがあればこそ、寄席に通う庶民も、八つぁん熊さんのトンチンカンを笑えたのである。大したもんだ。

反正古代的日本人只要有好好在寺子屋做学问,至少是读过《四书五经》的经典部分的。正是因为有「シィノタワワク」常识,去曲艺场的平民百姓也会大笑八赞熊的愚蠢。相当了不起。

ちなみに、今の若い子たちは落語で笑えなくなってきた。ついに八つぁん熊さん以下になり果てるのである。……いかん、何だか、山本夏彦じみてきた。

顺便说下,现在的年轻人已经不觉得单口相声好笑了。最后就连八赞熊都没落了。……无论如何总觉得有点山本夏彦的味道。

何が言いたいのかというと、「コンピュータ関係はカタカナが多すぎてわからん」 などという、団塊の世代のオジサンたちの甘えた世迷い言は通らないということである。大学卒業までに9年間も(高卒までの 6年間でも十分なくらいだ)英語を習っておいて、カタカナがわからないはずがないのである。

我想表达的是什么呢?“计算机相关的片假名太多了,搞不懂”等等,团块世代的叔叔们不懂撒娇之类的话。到大学毕业为止学了9年之久的英语(高中毕业为止的6年也已经足够),没道理不认识片假名。

注:团块世代,专指日本在1947年到1949年之间出生的一代人,是日本二战后出现的第一次婴儿潮人口。在日本,“团块世代”被看作是上世纪60年代中期推动经济腾飞的主力,是日本经济的脊梁。

何も英語でスピーチしろというのではない。日本語の文脈の中にチラホラ紛れ込んだ、英語ベースのカタカナ単語の意味がわかればいいだけのことではないか。「論語」 の読み下しに比べたらラクチンなものである。

又不是让你什么都用英语来表达。能够明白零星夹在日语句子中的基于英语产生的片假名单词就行了,不是吗?比起读《论语》不是小菜一碟。

モロコシもわからん、浄瑠璃はもちろんわからん、その上、カタカナもわからんでは、結局何もわからんのではないか。せめてゼニカネ関連はわかるのかと思っていたら、バブル崩壊騒ぎで、結局それもわかってなかったということが露呈した。「団塊の世代」 こそ 「無魂無才」の始まりではないか。

不知道中国舶来品,当然也不知道净琉璃,然后再不懂片假名……那么还知道什么?我想至少应该知道金钱有关的吧?但泡沫经济的崩溃暴露了其实他们连这个也是不懂的。“团块世代”才是“无魂无才”的开始不是吗?

要するに私はここで、せめてコンピュータの世界のカタカナぐらいはわかりましょうよと、実に控えめなことを言いたいのである。それは世界に通じるドアのノブくらいの働きはするのだから。

总之,在这儿我想说大家至少要懂得电脑世界的那些片假名。因为这才是理解世界的敲门砖。

「きちんとした日本語があるのに、やたらとカタカナを使うのが気に食わん」 という一見正論めかしたことを言う向きもある。それならばそれでいい。「ストライク」 を 「正球」、「ボール」 を 「悪球」 と言っていればいいのである。「アクセル」 を 「加速器」、「ブレーキ」 を 「減速停止器」 と言っていればいいのである。それをしないで特定分野のカタカナだけを毛嫌いするなら、単なる駄々っ子でしかない。

“有好好的日语还胡乱用片假名,真是很烦。”有这种乍看之下正确的言论。那样的话也是可以的。「ストライク」说成「正球」,「ボール」说成「悪球」是可以的。「アクセル」说成「加速器」,「ブレーキ」说成「減速停止器」也未尝不可。如果不是这样而是只讨厌某些特定领域的片假名的话,那只不过是撒娇的孩童罢了。

こうしてみると、コンピュータというものは、従来の日本人のアイデンティティの部分にかなり深入りする道具だということがわかる。

由此可见,所谓的电脑,只是使日本人与生俱来的个体同一性这一部分更加深入的道具。

日本人は古来から自国文化が行き詰まると常に異文化を輸入し、それを巧みに換骨奪胎して大和のパラダイムに取り入れることで、新たな局面を開拓してきたのである。仏教、漢学、「黒船」 以降の洋学……すべてこの図式に当てはまる。

本国文化走进死胡同时常常引进异国文化,然后巧妙地将其脱胎换骨引进大和的参照系统,藉此打开新的局面,日本人自古如此。佛教、汉学、“黑船”之后的洋学……全部符合这个模式。

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