高齢化問題や後継者不足などで存続の危機に立たされていると言っても過言ではない「日本の農業」。

由于高龄化及后继者不足等问题,“日本农业”可以说是正置身于消亡危机之中也不为过。

しかし、「農業こそ自然の恵みに養われて生きている人間の本質に根ざした営みではないか」と、無料メルマガ『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』の著者・伊勢雅臣さんは私たちに問いかけます。

然而,免费电子杂志《Japan on the Globe-国际派日本人养成讲座》的作者・伊势雅臣先生则提出:“被自然养育的人类本质中根深蒂固的行为不正是农业吗?”

今こそ見直すべき、農耕民族としての誇り、そして日本人であることの誇りとは?

越是危机的现在越要重新思考,什么才是作为农耕民族以及日本人引以为豪的东西?

農が引き出す自然の恵み

农业发挥着自然的恩惠

NPO法人「農と自然の研究所」代表理事の宇根豊(うね・ゆたか)さんら一行が、2003(平成15)年にドイツのある村を訪れた時のことである。

NPO法人“农业与自然研究所”的代表理事宇根丰先生一行,于2003(平成15)年前往了德国的某个村庄。

訪れたリンゴ農家は、農産物のEU内の自由化でリンゴの価格が下がり、経営的に行き詰まっていた。そこでリンゴジュースに加工して周辺の町々で販売を始めたところ、売れ行きが実にいいという。

他们走访的苹果农家,之前由于农作物在欧洲自由化贸易的影响下,苹果的市场价格变低,在经营上出现了问题。那时起,他们开始加工苹果汁,在周围的城镇进行贩卖,结果获得了很好的销量。

「その理由が、あなたたちに分かるかな」と農家から質問をされて、宇根さんたちは、おいしいから、安全だから、などと思いついた答えを並べてみたが、返ってきた答えは意外なものだった。

农家对他们提问:“你们知道其中的原因吗?”宇根先生一行回答了诸如因为好吃,因为安全之类的答案,然而农家给出的回答却出人意料。

「このリンゴジュースを飲まないと、あの村の美しい風景が荒れ果ててしまう」と言って、町の人たちは買ってくれるのだそうだ。

“如果不喝这个苹果汁,那么就无法真正领略到这个村庄风景的美丽。”他们这样着,让城镇里的人购买了苹果汁。

「農業はカネでは計れない価値を創り出す」というのが、宇根さんの主張である。

“农业可以创造出无法计量的价值”,这是宇根先生提出的主张。

カネでは計れない価値

无法计量的价值

たとえば、ごはん一杯分の米は20円で売り買いされる。これは稲3株分だが、この3株分の稲を育てると、オタマジャクシ35匹、トンボ1匹、ミジンコ5,000匹、豊年エビ11匹が一緒に育つ。

比如说,一碗米饭可以卖20日元。一碗米饭需要3株水稻,而要种出这3株水稻,则需要35只蝌蚪,1只蜻蜓,5000只水蚤,11只成虾来共同养育。

同時に田んぼは豊かな保水機能を持っているので、洪水を防ぎ、地下水を涵養する。さらに田んぼの上を渡る涼しい風を生みだし、また人々を和ませる田園風景を提供する。

同时由于田野有着强大的保水功能,因此可以起到防止洪水、涵养地下水的作用。另外在田野之上会产生凉风,这就又为人们提供了和谐美丽的田园风景。

宇根さんが計算したところ、これらの価格は、控えめに見積もっても50円になる。すなわち日本の農民は20円で米を売りながら、別に50円もの価値を創り出して、周囲の人々に無償で提供しているのである。

根据宇根先生的计算,这样一碗米的价格可以达到50日元。也就是说日本的农民们卖着20日元的米,却能创造出50日元的价值,并无偿地提供给周围的人。

仮にこの20円の米が高いからと、その田んぼを減反して、外国から米を輸入すれば、「消費者」としては半分の10円で済むかもしれない。

假如我们嫌20日元的大米太贵,而减少种植面积,反而从国外进口大米,对于“消费者”来说可能不过是用一半价格的10日元解决了问题。

しかし近隣住民として見れば稲作が生み出していた50円分の価値が失われる。豊かな自然と景色が失われ、子どもたちがいろいろな生物に触れる機会がなくなり、洪水や水不足のリスクが高まる。

然而对于附近的居民来说,却失去了种植水稻衍生出的50日元的价值。失去了丰富的自然景色,孩子们也失去了许多与生物接触的机会,爆发洪水以及缺水危机的风险也会显著提高。

カネで計れるものだけを追求していったら、カネでは計れない価値が失われる。

要是一味追求能够计量的价值,就会失去无法计量的价值。

誰に向かって「いただきます」と言うのか?

到底是对着谁说“我开动了”?

日本人は食事をする時に「いただきます」と言うが、これは誰に言っているのだろう。

日本人在吃饭时都会说“我开动了”,这到底是对谁说的话呢。

一つの答えとしては、食事を与えてくれた人に対する感謝の言葉である、という考え方だ。とすると、学校の給食では親が給食費を払っているので、子どもたちが「いただきます」という必要はないという事になる。

其中一种说法是,这是对给予自己食物的人的感谢。但如果是这样,学校的餐食是父母付了费用的,孩子就没必要说“我开动了”。

もう一つの答えは、食事を作ってくれた人に対する感謝の言葉というものである。確かに、子どもたちが食事を準備してくれた母親に「いただきます」という時には、これに当たるかも知れない。

另一种是,这是对制作食物的人的感谢。确实,孩子们对给自己准备了食物的母亲说“我开动了”,是合理的解释。

しかし母親も、自分で作った料理に対して「いただきます」と言ったりする。

然而母亲在吃自己制作的料理之前也会说“我开动了”。

この問題に対して、宇根さんは「いただきます」とは、「命をいただく」ことに対する感謝の気持ちである、と説く。食べ物は、穀物にしろ、野菜にしろ、魚にしろ、肉にしろ、すべてもともとは生きものである。

对于这个问题,宇根先生解释说“我开动了”,是对“将生命给予我”的感谢。食物,无论是谷物,还是蔬菜,鱼,或者肉,原本都是生物。

その命をいただいて、我々は自らの命を維持している。それに対する感謝の念が「いただきます」には籠もっているのである。

得到了这些生物的生命,来维持我们自己的生命。“我开动了”是对于这一情况的感恩。

我々は食べ物を通じて、生きとし生けるものの命とつながっている。そして農業は生きものの命から食べ物を作り出し、我々の命を養うという重要な役割を果たしているのである。

我们通过食物,与各种生物的生命联系在一起。而农业承担着将生物制成食物,来养育我们自身的重要责任。

「瑞穂の国」

“瑞穗之国”

欧米では市街地と農地はくっきりと別れているが、我が国では都市の中にも農地が散在したりする。「スプロール現象」などと悪口を言わる事もあるが、逆に言えば、都会っ子が農業体験をしたり、都市住民が週末農業をするには、最適な環境である。

在欧美国家,城区与农村有着明显的划分,而日本就算在都市中也能够看到散落的农地。虽然也经常被指责这是“城市的无计划扩展”,但是反过来说,这是让城市的孩子们进行农业体验,都市的居民们进行周末农业的最佳环境。

こういう身近な所で、農業体験ができれば、農業の真の姿を理解できる国民が増えていくだろう。

在这么近的地方,能够进行农业体验,应该能使理解农业的真正实态的国民不断增加吧。

古代の我が国は「瑞穂の国」とか「秋津島」と自称した。「瑞穂」とは瑞々しい稲穂という意味であり、秋津とはその上を飛ぶトンボである。

古代日本自称为“瑞穗之国”或者是“秋津岛”。“瑞穗”有着“丰年的稻穗”的含义,而秋津则指的是田野之上飞舞着的蜻蜓。

自然の恵みに気づき、感謝する所から、農に対する敬愛が生まれ、それが農民の誇りにつながる。

感受自然的恩惠,由对农业的感谢发展到对农业的敬爱,这就是农民们引以为傲的东西。

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