普通の目の見える人が、自分の家のあたりの景色に親しみを持って見るのと同様に、私には自分の住んでいる近所の音が、私の生活の中に入っているわけである。これは自分の住んでいる周囲の音が懐しいのである。
 気候が暖かになると、戸障子を明けるので、近所の音が非常に近くなる。私の住んでいる家の直ぐ裏で、垣一重へだてた向うの家で、いつも年とった御主人の懐しい声が聞こえる。
 その方の耳が少し遠いらしく、家人の方が大きな声で話される。私が引越して来て以来、いつもその声を聞くので、私はいつか一度お話ししてみたいと思っていた。
 或る日、私の所へ一通の手紙が来た。差出人の名は私の知らぬ人であったけれども、読んで貰うと、一度是非お会いしたいから――とあった。それは、裏の御主人からであったことがわかった。それで早速私の方からも、是非お会いしたいという返事を出したら、或る時、その御主人が訪ねて来られた。
 今までは聞き覚えの声だけであったが、話してみたら、やはりその声であった。そして、お互に会ってみたいと思っていたのだと言った。その方は陸軍の将官でかなりのお年寄であった。色々話しの末に言われるには、自分は昔の貴い方の歌を持っている。それが埋れかけているが、何とかその歌を作曲して、世に出して貰いたいと言われた。実は私たちは、お互に垣一重の裏隣りにいて、七年間声だけを聞いていたのが、今日初めて話し合って、懐しく感じたのである。
 その後、私は、その方の避寒していられる先に、私の随筆集『騒音』を一部贈ったところ、或る時、私のところへ来られて言われるには、私は『騒音』を戴いてすっかり読んだが、あなたは私とは全然反対であることを覚った。それは毎年同じ小鳥がやって来て、同じ音色で鳴くと書いてあった。私の庭へも小鳥が飛んで来たが、私は耳が遠いので、鳴かん鳥かと思っていたら、読んでやっぱり鳴く鳥も来るのかなあと思った、などと言われた。
 それで、私も答礼に行こうと言ったら、その方は「いや、私のところは石段が沢山あるし、私は目が見えるから、上り下りのことはよくわかるが、目の悪い方に来られて、怪我でもされては困るから、来て戴かなくても宜しい」と言われた。七十にもなるお年寄であるが、非常に元気な方だと私は思った。そして、その方は国文学の研究をしておられるので、色々の話しを聞いているうちに、私は色々教えられることがあった。私は戴いた歌を充分慎重に作曲してみようと思っている。

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