日语文学作品赏析《私の見た米国の少年》
紐育と云う市は、何方かと云えば商業の中心地でありますけれども、華盛頓は皆さんも御承知の通り政治の中心地で、米国にとっては心臓のように大切な処ですから、此の二つの主な都市の間を往復する人の数は、一日に幾千人ありますか、何しろ大したものなのです。私は華盛頓を通って、ずうっと南の方へ行く計画で有ったのです。
ところで、或る日の午後、少し雨降りの日でしたが、矢張り同じ用事で其のペンシルバニア停車場へ行きますと、彼方ではホールと云う丁度東京駅の入った許りの広い処と同じような場所の片隅に、如何したのか大勢の人が立ち止まって何か聞いているではありませんか。米国人は非常に時間を大切にする国民です。歩くのにも散歩でない時は、ちゃんと行くべき処へさっさと行って、用事がすんだらさっさと帰って来ると云うような風なのです。其ですから此那忙しい停車場の真中に其丈沢山の人が塊まっている事等は滅多にありません。一寸おや珍らしいな、と思って覗いては見ても、其が何だか解って仕舞えば、もう何にも見なかったと同じように歩き出すのが彼等の癖です。其故、私は、思わず何事かしらんと怪しまずには居られませんでした。勿論、私は其方へ近づいて見ました。すると、大勢の人垣の中には、唯一人の少年がしきりに何か話しています。まだやっと十一か十二位の少年が、手に小さい帳面と鉛筆と、何か印刷したものとを持って、一生懸命に話しているのです。沢山の、思い思いの風をした大人は、皆相当に感心したらしい様子で、其の髪の金色な、赤い果物のような頬をした少年の言葉に耳を傾けているのです。
大人の、上手な、けれども嘘や好い加減を平気で混ぜた話よりも、少年の正直な、心からの言葉は
少年は、その人前でもちっとも恥しがったりうじうじしないで、
勿論此は、其の少年一人の仕事ではないのです、日本のように
後から戦争に加って、
今此処で大勢の人を集めている少年も、きっと紐育の市中の人々が集って寄附金を募集しては、米国の政府として
皆が聞き洩さないように気をつけながら、少年の話を聞いています。
「皆さん、僕は、今まで生れてから、此那場所で、此那に大勢の方々に向って話した事はまだ一度もありませんでした。其だからきっと話し方は下手でしょう。僕のお母様もお前は余り上手ではありませんねと仰言いました。」
斯う云いながら、少年も聞き手も、一寸の間嬉しそうに笑いました。
「けれども。皆さん、どうぞ聞いて下さい、僕は下手でも話さずには居られない事があります。其は、海の彼方の
少年は、手に持っていた印刷物に鉛筆を持ち添えながら、皆の顔を見廻しました。その、横罫の厚い紙の面には、きっと寄附金の受取りに必要な、金額や会の主だった人の名や目的が刷って有るのでしょう。
「君は、なかなか立派に話しますね、大きく成ったら議員に成る積りですか、どれ」
集っていた人の中で、丁度其少年のお祖父さん位の年頃の紳士が、ポケットに手を入れて
私には、今日でもまだ其の少年の其那に高くはない、然し立派に明瞭な声や熱心な面差しを思い出す事が出来ます。何故その少年は其那にも私の心を動したのでしょう、私は、彼の一生懸命さと真面目さだと思います。私は決して、皆さんが停車場の広場で、
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