月代(さかやき)
別名を「つきしろ」ともいう。男子が前額(ぜんがく)から頭の中央にかけて頭髪をそり落としたことをいう。語源として、「さか」はの意、「やき」は鮮明の意で、冠をかぶるときに前額部の髪を月形にそり、そのそりあとのあざやかなことから出たという説と、冠をつけたり、応仁の乱以後武士が常にを付けたとき、頭ののぼせを防ぐために髪をそったことから、逆気(さかいき)の転じたものという説とがあるが後説が妥当とされている。

月代
又叫「つきしろ」。指男子将前额到头部中央的头发剔除的发型。其语源有两种,一种是说「さか」指帽子,「やき」则有鲜明清晰之意,戴帽时将额发剃成月形,剃后的发型形象鲜明,月代一词由此而来。另一种是说,为了防止由于戴帽或应仁之乱后武士们常戴的头盔引起头部充血,而把头发剃掉,由“充血”一词转音成“月代”。通常认为后一种说法更恰当。

この月代は平安時代後期から始まり戦国時代になると、さかやきが日常においても行われるようになった。それまでは毛抜きで頭髪を抜いてさかやきを作るのが主流であったが、頭皮炎症を起こし、兜を被る際に痛みを訴える者が多くなったため、この頃をに毛を剃ってさかやきを作るのが主流となる。

月代发源于平安时代后期,至战国时已成为一种日常风尚。在此之前人们主要用镊子拔成月代,但越来越多的人因此头皮发炎,戴头盔时会感到疼痛,因此以战国时代为界,剃月代成为了主流。

鎌倉時代から室町時代には天皇・役人・将軍などの品位の高い人は相変わらず冠下の髻(かんむりしたのもとどり)を結っていたが、一般人の間では髪を切ることが盛んに行われ、大月代(おおさかやき)・半頭(はんあたま)・中剃り(なかぞり)などの種類を生み出し、いずれも月代の一種である。

从镰仓至室町,虽说天皇、官员、将军等位高权重之人依然梳着“冠下髻”,但普通人却视剃发为时尚,还创造出大月代、半头、中剃等发型,均属于月代的一种。

江戸時代になると、一定の風俗となった。公卿を除く、一般すなわち武家、平民の間で行われ、元服の 時はさかやきを剃ることが慣例となった。さかやきでない者は、公卿、浪人山伏、学者、医師、人相見物乞いなどであった。さかやきの形は侠客中間小者はぼんのくぼまであり、四角のさかやきは相撲から起こり、その広いのを唐犬額(とうけんびたい)といった。江戸時代末期にはさかやきは狭小になり、これを講武所風(こうぶしょふう)といった。また若さをアピールする一種のファッションとして、さかやきやもみあげを藍で蒼く見せるという風習も流行した。

到了江户时代,月代已成为一种风俗。除公卿之外的普通人,也就是武士、平民中,元服时剃月代已然成了惯例。不剃月代者包括公卿、脱藩武士、僧侣、学者、医生、相面先生、乞丐等。侠客、仆役长(日本武士中从事杂役的人,地位在武士和仆人之间)、男仆(特指在武士家做杂务的男仆)的月代仅有丁点大小,而四角形月代则兴起于相扑界,宽阔的四角月代被称作“唐犬额”。到了江户末期,月代趋于狭小,被称为“讲武所样式”(“讲武所”即日本江户末期由幕府创办的武术讲习所)。另外作为一种时尚,为了显得更为年轻,人们也习惯将月代部或鬓角部用蓝颜料染成青色。

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