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平和を目指す人類の理想郷

昭和32年(1957)という年を、私は「科学報道元年」と呼んでいる。1月に南極の昭和基地が誕生し、8月に茨城県東海村の日本原子力研究所の第1号原子炉が臨界に達し、10月にソ連の人工衛星スプートニク1号が打ち上げられ、宇宙時代が幕を開けたのだ。

旨在和平的人类乌托邦

昭和32年(1957)这一年,我将其称作“科学报道元年”。1月,南极昭和基地诞生,8月,茨城县东海村的日本原子能研究所第1号核反应堆达到临界点,10月,苏联人造卫星“伴侣1号”(人类第一颗人造卫星)升空,太空时代拉开帷幕。

臨界状態:铀-235原子分裂时会释放出两个或三个中子,如果平均每次裂变正好有一个自由中子击中另一个铀-235原子核,并使之发生裂变,那么这块铀的质量就被认为是临界的,核反应堆需要维持在这种状态下。

華やかな科学ニュースが次々と登場して、新聞社や放送局に、科学ニュースを専門に扱う記者集団、科学部や科学取材班が生まれたのもこの年である。

耀人眼球的科学新闻被接连报道,在报社与电视台里的一批专门报道科学新闻的记者团体、科学部以及科学采访班也在这一年产生。

この科学報道元年のトップニュースが南極観測だが、当時、南極観測は科学ニュースという扱いをされなかった。新聞に最初に報じられたときの見出しが「南極学術探検」という言葉だったことが示すように、科学ニュースというより、「探検」「冒険」といったニュアンスの濃いニュースだったのである。

科学报道元年的头条新闻是南极科考,然而在当时,南极科考还并不是作为科学新闻报道的,正如最初在报纸上报道时的标题“南极科学探险”一词所示,与其说是科学新闻,“探险”、“冒险”的意味更为浓厚。

そのせいもあって、「科学報道の産みの親は原子力、育ての親は宇宙開発」という言い方がなされ、当時、国民の関心が最も高かった南極観測のニュースは、科学報道誕生の原動力の中には入っていない。

因之,有说法以为“科学报道的生身之亲是原子能,养育之亲则是宇宙开发”,当时国民最为关心的南极科考,其相关报道还没被列入为“催生科学报道的原动力”中。

というより南極観測のニュースは、「敗戦後の日本国民を元気づけた三つのニュースのなかの一つ」という言い方のほうがふさわしい。水泳の古橋廣之進選手の世界記録、湯川秀樹博士のノーベル賞受賞に続くものだ。

相比之下,对南极科考新闻更妥当的描述应该是:继游泳选手古桥广之进的世界纪录、汤川秀树博士获诺贝尔奖之后,“为战败后的日本国民注入活力的三大新闻之一”。

熱狂は頂点に達した

当時、私は科学者を目指す大学生だったが、南極観測のニュースに胸を躍らせ、新聞をむさぼるように読んでいた一人である。私の少し後の世代、当時、小中高生だったなかには、僅かなお小遣いのなかから5円、10円と義捐金を出したという人が少なくない。それほど国民の盛り上がりは大きかったのである。

狂热达到巅峰

虽然,我那时还是名大学生,梦想成为科学家,但也如饥似渴地阅读着报纸,为南极科考的新闻欢呼雀跃。比我稍年轻的一代人当时还是小学、中学生,他们中的不少人从仅有的一点零用钱中掏出5日元、10日元做募捐,国民的热情是如此地高涨。

この南極観測が、朝日新聞社の提唱で始まったことはよく知られている。昭和30年3月、「北極と南極」という軽い読み物風の連載記事を書いていた社会部の矢田喜美雄記者が、昭和32~33年の国際地球観測年(IGY)に各国が協力して南極観測を行う計画が進んでいることをキャッチし、「朝日新聞の事業としてやれないか」と信夫韓一郎専務に話したところ、信夫専務は「それは面白い」と応じた。

众所周知,南极科考是由朝日新闻社首倡的,社会部记者矢田喜美雄曾撰写了题名“北极与南极”的连载报道,风格通俗有趣。在昭和32—33年的国际地球观测年(IGY)期间,各国携手并进,正共同推进南极科考计划,矢田掌握了这一情况,昭和30年3月,他向信夫韩一郎专务表示,“不如着手将南极科考作为朝日新闻的一项事业”,“很有意思”,信夫专务一口应承下来。


矢田記者も型破りの記者だったが、信夫専務も国民感情の洞察力に優れた新聞人だった。すぐ「科学朝日」編集長の半沢朔一郎記者を呼んで、二人でさらに調べるように指示した。二人が、日本学術会議の茅誠司会長、東大の永田武教授を訪ねて話したところ、「われわれはとても無理だろうと諦めていた。朝日新聞が応援してくれるなら実現できるかもしれない」と賛成したという。

矢田是位不拘常规的记者,而信夫专务也是位洞彻国民情绪的杰出新闻人。信夫专务当即唤来“科学朝日”的总编半泽朔一郎记者,指示两人再做进一步调查。矢田、半泽拜访了日本学术会议的茅诚司会长与东大的永田武教授,一番谈话后,两位大表赞成道:“我们原以为很难办成,早已作罢。如果有朝日新闻的支持,也许有望”。

半沢記者によると、そのとき茅会長はこんな冗談を言って笑わせたそうだ。「昨年は政治家が札束で学者の頬をひっぱたきに来たが、今年は朝日新聞が氷の棒で学者の頭を叩きに来た」。前年、政治家が突然、2億3500万円の予算をつけて原子力開発をスタートさせ、「政治家が札束で」と報じられたことに対する冗談だった。

据半泽记者回忆,那时茅会长曾开了一个玩笑逗乐了大伙儿,“去年,政治家来访,为用钞票捆儿砸学者的脸,今年,朝日新闻来访,为用冰棍儿敲学者的头”。前一年,政治家突然拨出2亿3500万的预算来开始原子能开发,这被报道为“政治家砸一捆钞票”,玩笑就是针对此事而言。

海上保安庁の灯台補給船を改装した初代観測船「宗谷」が、第1次観測隊を乗せて東京港を出港したのが昭和31年11月8日。幸運に恵まれた1次隊は、日本に割り当てられたリュツォホルム湾の奥深く入って東オングル島に昭和基地を建設。西堀栄三郎越冬隊長ら11人の越冬隊を残すことにも成功した。

初代科考船“宗谷”是由海上保安厅的灯塔补给船改装而成的,昭和31年11月8日,它载着第1次科考队从东京港出发。受到幸运女神眷顾的1次队纵深驶入分派给日本的Luetzow Holm 湾,于东Ongul 岛建设昭和基地,并成功留下西堀荣三郎越冬队长等11人。

“宗谷”号出港 昭和31年(1956)11月8日

1次隊は帰途に氷に閉じ込められて動けなくなったが、ソ連の「オビ号」に救出されて事なきを得た。ところが、不運の2次隊は往路で氷につかまってしまい、越冬隊さえ残せなかった。しかし、基地に置き去りにされたカラフト犬のうち、タロとジロの2頭が生きていたことが昭和33年、到着の3次隊によって確認された。このニュースに世界中が沸き、国民の熱狂は頂点に達した。

归途中,1次队曾遇冰封,行路受阻,幸有苏联“鄂毕号”(破冰船)救援得以平安无事。然而2次队就不怎么走运了,他们在航往基地时被冰川绊住了手脚,甚至未能留下越冬队。不过,经昭和33年到达的3次队确认,滞留基地的桦太犬中太郎与次郎活了下来,这条新闻沸腾了世界,国民的热情升腾至顶点。

太郎与次郎   昭和34年(1959)4月

「愛国心」より「愛地球心」

科学者を目指していた私が新聞記者に転進した理由は、子どもの頃の戦争体験から「平和と人権を守るジャーナリズムの仕事を」と考えたわけで、南極観測とは直接の関係はない。しかし全く無関係かといえば、そうでもない。「新聞社というところはこんなことまでできるのか」という思いが、私の背中を強く押してくれたことは確かである。

爱地球心”胜过“爱国心”

我从孩童时代的战争经历中,认定“新闻报道的任务是维护和平与人权”,这便是曾以科学家为目标的我转而成为新闻记者的理由,与南极科考没有直接关联,但也并非全无交集。“报社竟然能做到如此地步”,这样的想法确实强烈地推挤我的背脊。

その私が新聞記者になって、念願の南極観測に同行取材できたことは、幸運というほかない。「宗谷」に続く2代目の観測船「ふじ」の処女航海となった7次隊(昭和40年出発)に同行。9次隊の極点旅行(昭和43年)には、米国隊の航空機で南極点に先回りして取材し、さらに、47次隊(平成17年出発)にはオブザーバーとして3代目の観測船「しらせ」で40年ぶりに再訪した。

我成为了一名新闻记者,终能如愿以偿地陪同南极科考队采访,实谓幸甚。继“宗谷”号后,我又与乘坐首航的第2代科考船“富士”的7次队(昭和40年出发)同往南极。在9次队的极点旅行(昭和43年)中,我乘坐美国队的飞机先行抵达采访,时隔40年,我在47次队(平成17年出发)里作为观察员乘科考船“预兆”再访了南极。

こうした南極行で、私はすっかり南極の魅力のとりこになった。大自然の素晴らしさもさることながら、南極条約によってどこの国の領土にも属さず、一切の軍事利用を禁止して、科学観測の自由と国際協力を実現している南極は、いわば人類の理想を先取りした平和の地なのである。

这一系列的南极之旅使我彻底沉醉于南极的魅力中,这不仅因大自然的宏美,也因南极实现了科考自由与国际合作,根据南极条约,南极的土地不属任何国家,禁止一切军事利用,这样的南极可谓一片率先实现人类理想的和平土地。

各国が自国の「国益」ばかりを主張していたら、世界平和も地球環境も守れないことは明らかだ。私はいま、「南極の語り部」として、「愛国心」ではなく「愛地球心」でなくてはならないと説き、「世界中を南極にしよう!」とあちこちで持論をぶっている。

如果各国都一味强调自己的“国家利益”,那么维护世界和平与地球环境也只是一纸空谈。现在,我作为“南极的讲述者”正四处宣传自己一贯的主张,倡导不以“爱国心”而必须心怀“爱地球心”,“让世界如南极一样”。

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