由緒

御祭神菅原道真公が延喜3年(903)2月25日薨去された祥月命日に行われる祭典。

历史渊源
供奉神菅原道真公于延喜3年(903年)2月25日逝世。为了纪念供奉神的忌辰而举行的祭典。
当宮は村上天皇天暦元年(947)菅原道真公の御霊を鎮めるために創建された神社である。その御祭神菅公の祥月命日に行われる祭典が梅花祭であり鳥羽天皇天仁2年(1109)2月25日にこの祭典が行われた記録が残っていることから約900年もの古い歴史を持っている。

北野天满宫最初的神社建于村上天皇天历元年(947年),是为了慰藉菅原道真公的灵魂而建造的。从历史上有记载的鸟羽天皇天仁2年(1109年)2月25日举行的,纪念供养神菅公忌辰的梅花祭,到如今已经拥有了900年的悠久历史。

この祭典には、貞明皇后参拝の古例により皇后陛下の御代拝が行われる。

在这个梅花祭里,有根据贞明皇后参拜供奉神的古例而举行的、代替皇后殿下参拜供奉神的一项活动。

古くは御祭神を宥(なだめる)と音の通じる菜種の花を供え「菜種御供(なたねのごく)」と称していたが明治以降新暦になり、菜種のかわりに梅の花を用いたことから次第に「梅花御供(ばいかのごく)」と呼ばれるようになった。この御供は、四斗の米を蒸し大小2個の台に盛ったもの(これを「大飯(おおばん),小飯(こばん)」と称す)で、古くより西ノ京に住む当宮の「神人(じにん)」の末裔らにより結成された七保会の会員が前日に参籠潔斎し調整する。また白梅,紅梅の小枝を挿した「紙立(こうだて)」(仙花紙を筒状にし底に小さなかわらけを敷いて中に玄米を入れ梅の小枝を挿し立てた特殊神饌「香立」とも書く)を男女の厄年に因み42本(白梅〉と33本(紅梅)づつ2台にわけて御神前にお供えする。
尚、授与所では「紙立」に用いた玄米を「厄除玄米」として授与する。

古时为了慰藉供养神,而供养能通晓音声的油菜花的“油菜花供养”,但是明治时期改革新历以后,以梅花代替油菜花,随之而来就称为“梅花供养”。这个供养是用大小两个底座盛着煮熟的四斗米(称为大饭、小饭),由从古时在西之京(奈良市西部,古为平城京的右京之内)居住的北野天满宫当值“神人”后裔们组成的七保会会员,在前一日闭关斋戒沐浴,之后将以小枝的白梅、红梅插成的“纸立”(将仙花纸做成筒状,底面敷设小型素烧陶器。其中放入装有玄米的梅花枝插成的特殊神馔。也写作“香立”)于男女们的灾患之年,每个高台上分别都放有因缘42枝白梅和33枝红梅,在神前供养。
并且,做“纸立”的玄米可以作为“除难玄米”在授予处领取。

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