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日本の食卓では、「ごはんは左、おみそ汁は右」であるはず。当然のことながら.「おかずは奥」ですね。だのに、コンビニ弁当は、反対にしている。まあ、理由はカンタン。それは、セブン店内で撮った写真を、よ~く見ていただいてもよく分かります。

在日本的餐桌上,应该把“米饭放在左边,酱汤放右边”。“菜放在内侧”这是理所当然的。但超市便当却相反。理由很简单。这是一张在seven店内拍摄的照片,请您仔细看看,您就会明白了。



「豚生姜焼弁当」や「トンカツ弁当」は、「ごはん奥型」。でも、「きのこご飯弁当」は「ごはん手前型」。要するに、弁当の「ウリ」となるものが「手前」に来るように、ということです。通路から見て、「シズルを感じてもらいたいもの」が手前に来ているんですね。そう、マーケティング上は、非常に正しいと思います。でも、抵抗あるな~。

“生姜烧肉便当”“炸猪排便当”等是米饭放在内侧。但“蘑菇饭便当”则是米饭放在外侧。总之,便当的卖点都摆放在便当的外侧。路过的人看着感觉“特别有食欲”就会前来购买。从市场营销学上说,这样做是正确的。但总让人有点抵触情绪。


所詮、弁当なんで、食べるときに、「クルッ」と反対にして食べればいいんでしょうけど、普通食べる前は、弁当に貼ってあるラベルなどを自分向きにして、開けようとしますよね。その時点で、「ごはんが奥にある」と違和感があるんです、私は。何か、自分が長年培ってきた行儀作法を無視されているような。おおげさかも知れませんが、無愛想な食堂で、適当に配膳された感じでしょうか?

归根结底便当这种东西在吃的时候,虽说可以整个儿转过去吃,但通常情况下,吃的时候总是会把贴有标签的一侧朝向自己再打开的吧。这个时候,一想到“饭在内侧”我就觉得有点别扭。怎么,要无视我长期培养起来的礼节么。也许有点夸张,想象一下在待人简慢的食堂里马马虎虎地给你上菜的感觉。

最近は、その当事者たるコンビニでも、「お札のお釣り」の時に、お客さん向きにそろえて渡してくれますね。そういうところを気遣ってくれるわりに、おそらく日本で何百年と食事の時に行われてきた行儀作法が、マーケティングのためにとはいえ、無視される…「無視」というのは言い過ぎか?たぶん、コンビニでも苦渋の決断があったのでしょう(と善意に解釈したい)。いや、「苦渋」じゃなかったら怒るで。「ま、いいんじゃない、クルッと回して、食べてもらえばいいんだからさ」とか若い担当が言ってたりしたらね。

最近,就是这个便利店在给顾客“找钱”时会面对顾客整理零钱,然后递给顾客。既然能够注意到这些,那为什么为了市场营销就忽视了日本几百年形成的用餐礼节呢。“无视”一词过分了么。大概对便利店来说也是“痛苦的决断”吧(善意的为他们解释)。但如果不是这样的话,则会令人生气。一个年轻的负责人说“不是挺好的么,把便当转一下就可以吃了嘛”。

ここで、行儀作法の講義をしてもしょうがないですが、普段のごはんにしても、弁当にしても、「ごはん」を「おかず」のワンクッションにしますよね。「おかずがこぼれてもいいように」、私はそう親に教わってきました。だからこそ、日本の食卓では、「ごはん」が奥にあることなどありえなかったはず。うーん、それが、より効率的なマーケティングのために、(解決策があるとはいえ)行儀作法より優先される…。

在这里,即使想讲礼节也没有办法,无论是普通的饭菜,还是便当,“米饭”都是“菜”的一个铺垫。在日本的餐桌上把“米饭”放到桌子的内侧是不可能的。这是因为父母经常告诫我说,注意不要把菜洒了。所以在日本的餐桌上把米饭放到桌子的内侧是不可能的。便利店为了更好的经营效益,不顾日本传统用餐礼节而优先考虑经营(尽管有解决办法)。