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生徒から「先生のケツ型は何ですか」と聞かれて驚いたという話が『心がかゆい』(川崎洋子著、東京図書出版会)という本に載っていた。この本は留学生に日本語を教える中で出会った興味深いエピソードを紹介している。

心がかゆい-あなたにも届けたい留学生からの贈り物 [単行本]:<内容>小さな国際交流の中に新しい日本を見た。20年近く留学生と触れ合った思い出を紹介。<川崎 洋子>日本語教育に従事し、留学生の指導及び教師養成講座を担当する。

在《心がかゆい》(川崎洋子著、东京图书出版会)一书中提到过这样一件事——有个学生问“老师您的ケツ型是什么(屁股在日语中俗称为ケツ)”,老师听后很诧异。这本书介绍了在教授留学生日语过程中遇到的一些有意思的小插曲。

「ケツ型」という言葉の背後には中国語の“血型”という単語がある。中国語では「血液型」は“血型”というから,それをそのまま日本語にしてしまったわけだ。

“ケツ型”这个单词其实关联着中文单词“血型”。在汉语中,“血液型”被称为“血型”,而上面提到的那个学生就那么直接把汉语单词拿来当日语用了。

これを逆に考えると、日本人は中国語で“血型”と言うべき処を、かなりの確率で“血液型”と言ってしまいそうだ。しかしまあ“血液型”はこれでも通じるが、「ケツ型」のほうには驚かされる。「お尻のタイプ(?)」かといぶかしがられること必定だ。

反过来想,日本人也很有可能在说汉语的时候经常弄错,把“血型”说成“血液型”。不过,后者多少还是能明白,而“ケツ型”这个词着实能把人吓一跳,听的人肯定会怀疑对方问的莫非是“屁屁类型(?)”

同書にはこのほかにもテストで反対語を書かせた時のエピソードを紹介している。「本音と建前」というペアが教科書に出てきたので、「建前」の反対語を問う出題をしたら、「建後」という答えが出てきたという。なるほど、「建前」に対して「建後」というわけだ。たしかに「午後」の反対は「午前」だから、理屈としてはありだ。この連想でゆくと「部下」の反対は「部上」だ。

在这本书中,除了提到上面这个,还介绍了在小测试中让学生写反义词时发生的趣事。在日语教科书中有“本音と建前(真心话和表面话)”这组词,而当测试中要求写出“建前”的反义词时,据说出现了“建後(实际上日语中是没有这个单词的)”这样的回答。原来如此,“建前”对“建後”啊。其实在道理上来说确实是行得通的,因为“午後(下午)”反义词是“午前(上午)”嘛。按照这个思路下去,“部下(下属)”的反义词则是“部上”。

日本人は単語をまるごと語としてとらえている傾向がある。つまり「建前」はまるごと「タテマエ」であり、そこに含まれている「建」や「前」といった字の意味をあまり分析的に考えない。例えば、「銀行」、これは全体で「ギンコウ」であり、bankの意味ととる。ところが中国では、ここから派生して「金行」という語が生まれたりする。貴金属を売る店だ。「銀」に対して「金」があってもよいと考えるわけだ。だから、「航空母艦」があるのなら「航空父艦」があっても不思議ではないと考えるし、「母音」があって何故「父音」はないのか、「英雄」がヒーローなら、ヒロインは「英雌」と言うべきだ、などなどと思う。

日本人有将单词以一个整体来看待的倾向。也就是说,“建前”就是“タテマエ”,很少将其拆分成“建”“前”俩字去思考分析。再比如,“銀行”即“ギンコウ”,按照整个单词去理解,意为“bank”。但是在汉语中,“银行”会产生派生词“金行”(售卖贵金属的商店),人们觉得,既然有“银”,那么有“金”也是正常的。既然有“航空母艦”,那么有“航空父艦”也是不足为奇的,既然有“母音”又为何没有“父音”,既然hero是“英雄”,那heroine就该是“英雌”等等……

「ラー油」といい「サラダ油」という。「肝油」も「原油」も「灯油」もみんな油だ、しかしなぜ油でもない「醤油」を「醤油」というのか。中国人はこんな疑問をごく日常的に発する。そういう思考癖をもっている。複合語に対して、まるごとワード感覚が強い日本語と、文字一つ一つを分析的に見る、いわば形態素感覚が生きている中国語のちがいだ。「形態素」とは意味をもつ最小単位のことで、ここでは漢字のことだ。

关于油,有“辣油”、“色拉油”,还有“肝油”“原油”“灯油”等都是油,可为什么不是“油”的“酱油”要叫做“酱油”呢?像这样的疑问中国人会很平常的问出口,因为他们有这样的思考习惯。日本人对于复合词的认知会伴随着一种强烈的整体意识,而中国人则将汉语文字一个个进行分析认识,可以说是语素意识在起作用,这就是中日的区别。“语素”即最小的语义结合体,在这里指的是汉字。

個々の漢字について、その意味と用法を明確に知るということなしには、実は新語を造りだすことは期待できない。このことが、近年の外来語の対応に現れている。われわれは外来語のほとんどをそのままカタカナで導入し、明治の知識人のように漢字による造語ができなくなってしまっている。

事实上,如果不去明确了解每个汉字的意思和用法,很难指望能创造出什么新词。这一点,我们可以在近年来的外来语应对方面看出来。对于外来语,我们基本上就那么用片假名给搬过来了,像明治文人那样根据汉语创造新词的能力如今也慢慢在消失。

執筆者:相原茂(あいはら しげる)中国語コミュニュケーション協会代表、オンライン中国語レッスン「Live China」アドバイザー。東京教育大学卒。NHKの中国語講座にも出演、日本における中国語教育の第一人者。編集担当:水野陽子
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