私はこのところメール相談に関わっています。「辛いです」「このまま消えてしまいたいです」「生きていていいんでしょうか」「助けてください」こんな言葉の入ったメールが来ます。心の叫びを受け止めて、どんなメールを返信したら良いかと、こちらも悩みます。背景には経済的な苦しさ、心身の病気、複雑な人間関係などがあります。内容によっては専門の行政の窓口や医療機関を紹介することもありますが、大半の相談者は「聴いてほしい、辛い気持ちをわかってほしい」と思っているのです。

我最近负责邮件咨询,会收到含有“很痛苦”“我想就这么消失”“我活着有意思吗”“救救我”等语言的邮件。我也很伤脑筋,该如何去接受这些内心的呐喊,又该如何回复。背景当中有经济上的痛苦,身心的疾病,复杂的人际关系等。有的情况可以介绍去专门的行政窗口或医疗机构,可大多咨询者却想让我“倾听,理解其痛苦的心情”。

返信文を書いていて気付いたことは、日本語はとてもデリケートな表現が出来て、傷ついた心を癒すのにふさわしいということです。人と会って話を聴く時は「うん、うん」「そうなんだー」と、相槌を打ちますが、メールではそうはいきません。「本当に辛いですよねえ」「大変だったでしょう、ずいぶん頑張ってきたんですねえ」と、こちらの気持ちを文章で伝えます。「八方塞がりだと思っていらっしゃるのですね」「何をやっても駄目だと思われているように感じますが」と、相手の言葉を借りて返します。何とかしてあげたいと、つい助言や提案をしたくなりますが、とても落ち込んでしまっている人には逆効果になることもあります。

そんな時も、「~てみてはいかがかと思うのですが」「~という方法も考えられるのではないでしょうか」「~たらいいと願っていますが」と書けば押し付けがましくなりません。なんとまわりくどい表現だろうと思われるでしょうが、このような婉曲言い回しを奏すようです。

在写回复的时候,我注意到日语能表达出相当纤细的东西,很适合治疗受伤的心灵。与人面对面交谈时会随声附和“嗯,嗯”“这样子啊”,可邮件做不到这点,只能通过文章来传达自己的感受,比如“你真是受苦了”“很痛苦吧?你可真是顽强努力啊”。还会将就对方说的返回去“您觉得走投无路了吧”“你觉得干什么别人都觉得不行”。总想要做点什么,不禁想提建议什么的,不过这对消沉的人来说有时候会是反效果。这时可以写“我觉得试试……不知道怎么样”“……的方法也可以考虑吧”“我希望……就好了”,这样就不会有强加于人的感觉。大家可能觉得这多拐弯抹角啊,不过此类委婉措辞似乎会奏效。

又、日本語は「私」という主語をはっきりさせなくても済みます。「私」抜きの文章は自己主張が薄まるので、当たりが柔らかくなります。「私は~と思います」より「~と思われますが」とした方がずっとソフトです。

此外,日语里不用明确“我”这个主语,没有“我”的文章会淡化自我主张的成分,感觉会更加柔和。相比“我觉得……”还是“人们觉得……”更加柔和。

相手に寄り添う気持ちが何よりも大切であることは言うまでもありませんが、言葉選びも重要なポイントです。日本語にはその選択肢がたくさんあるのです。返信メールを受け取った人は何度も読み返すことでしょう。勇気を出して相談して良かったと、思ってもらえるようなメールが書けるようになりたいものです。ほんのりと希望のあかりが見えてくる新年でありますように。

要有感同身受的心情这点无疑比什么都重要,遣词用句也是重要的一点。而日语里这样的选择极多,接到回信的人可能会反复多次阅读,我希望写的回信能让对方觉得鼓起勇气来咨询是做对了。希望新年能让大家都能至少看到一丝希望。

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