医療関連会社の広報宣伝職に転職

跳槽到医疗公司做宣传职务

学生時代から「ものづくり」の仕事を希望していた平沢さん。編集会社に入社し、会社案内など広報媒体の営業から企画制作までをこなす大忙しの毎日を過ごした。次のステージを目指し転職した学習塾運営会社でも、ものづくりの仕事が楽しめる環境があった。生徒募集のための広告媒体や広報誌制作がメイン。経験を活かし仕事に没頭した。ところが1年ほど続けるうち、徐々に違和感を覚え始めたという。

平泽先生从上学时就想从事“创作”的行业。进入编辑公司后,从事公司介绍等宣传媒体的营业到企划制作的工作,过着忙碌的每一天。为了之后的目标而跳槽到学习塾运营公司后,也有着能享受创作乐趣的环境。主要工作是制作招募学生的宣传广告以及宣传册。他充分利用自己的经验埋头工作。可是这样过了1年后,他开始感到不对了。

「それまでは、好きなものづくりの仕事を楽しめればそれでいいと考えていました。しかし、30歳を目前に控え、このままでいいのだろうかと漠然と思うようになったんです。楽しいだけでなく、何かもう一つ、仕事をするうえでの『』になるものを持っていないと、この先頑張り続けられないんじゃないかって」

“在此之前,我都认为只要能沉浸在喜欢的创作工作中就行。可是,我也快到30岁了,想这样就好了吗,而开始迷茫。这不仅关系到兴趣,我觉得在工作之外,如果不能有种‘核心’的东西,就无法再继续努力下去了”

そんなある日、運命の出会いが訪れる。軽い気持ちでリクナビNEXTを検索するうちに、偶然メディネットの求人を見つけたのだ。“副作用の少ない第4のがん治療法”として注目を浴びる最先端治療「免疫細胞療法」と、その受診医療機関の情報提供をする広報宣伝職の募集。「こんな治療法があるのか!」と、ページに釘付けになった。

某日,他迎来了命运的相会。他在随意搜索RIKUNABI NEXT的时候,偶然看到了Medianet的招聘。该公司正招募提供医疗机构信息的宣传职务,该医疗机构以“副作用较少的第4癌症疗法”的最尖端的治疗“免疫细胞疗法”而受到关注。“居然还有这种治疗法!”,他人像被钉在了屏幕前。

「というのも、僕は親をがんで亡くしているんです。だから、どうしても人ごとには思えなかった。『この療法をもっと早く知っていれば』と悔やむと同時に、僕と同じように後悔する人を少しでも減らすこの仕事を、僕がやらなくてはと思ったんです。今までの経験も活かせるし、絶対に人の役に立てる仕事だと。このとき初めて、『仕事を通じて社会貢献がしたい』という、もう一つの『軸』を見つけました」

“由于我父母都是因癌症去世的,因此,我实在无法视若无睹。 ‘如果早点知道这个疗法的话’我在懊悔的同时,也想到为减少跟我一样抱憾终身的人,我必须做这份工作。这个工作不仅能运用到此前的工作经验,还能帮助别人。这时我才第一次发现了‘通过工作来为社会做贡献’的另一个核心”

「使命」とも思える仕事を運命的に発見した平沢さん。何としてでもメディネットで働きたい。そのために「できることは全部やろう」と転職活動に臨んだという。
「応募フォームを送信後、すぐに履歴書と職務経歴書を送りました。納得のいくものを提出するために何十回も下書きをして。履歴書は、ちょっと文字が曲がっただけでも一から全部書き直しました」

平泽先生奇迹般的发现了可称作“使命”的工作。他无论如何也想在Medianet工作。为此他怀着“竭尽所能”的想法展开了转职活动。
“发送了应聘申请后,马上发送了简历和工作经历。为能通过,我修改了几十次。简历上只要有一点文字的不妥就会全部重写”

熱意が実り、無事に書類選考を通過した平沢さん。面接に向け、熱意はさらに増すばかりだった。
「この仕事にかける想いや、今までの仕事をポートフォリオとしてまとめ、面接に持ち込んだんです。入社後はこうやって何かをPRする仕事に就くわけですし、面接で自らを『宣伝』することでスキルを伝えようと考えました。面接の場では、アピールできることは全部したし、聞きたいことはすべて質問しました。とにかく、『これでダメならしょうがない』と思えるまで、徹底的にやってやろうと」
その思いは面接官たちの心を打ち、平沢さんは晴れて内定となった。

平泽先生的热忱得到了回报,顺利通过了简历遴选。面对着面试,他的热忱有增无减。
“我总结了对现在这个工作的想法以及之前的工作,放到文件夹里,带去面试。进公司后的工作是要宣传某样东西,面试中就通过自我‘宣传’来表现个人能力。面试中,我展现了所有能展示的东西,想问的也全都问了。总之,我就带着‘这样还不行的话也没办法’的想法,准备彻底展现自我”
这种想法打动了面试官们的心,平泽先生顺利被录取。

転職して約2年半。社会貢献の使命を感じながら、一人でも多くの人に免疫細胞療法を知ってもらおうと、新聞・雑誌への広告出稿や、Webページの企画など、幅広く業務をこなしている。「できることは何でもやろう。そして、僕だからこそできる仕事があるはず」との熱い想いは今も変わらない。
「患者さんやその家族から、『こんな治療法があったなんて!』などの反応があったときはやりがいを感じますし、自分の関わった広告で患者さんのお役に立てるのは本当に嬉しい。この仕事に出会えて幸せです」

跳槽已经约2年半了。我感受到社会贡献的使命,即使多一个人也好,想让更多人知道免疫细胞疗法,在报纸杂志上刊登的广告,网页设计等,进行着各领域的业务。“能做的就尽力去做吧,肯定有非我莫属的工作”,这种热忱至今未变。
“当患者及其家属发出‘真没想到有这种治疗方法!’的反应时,我觉得做得值得,自己经手的广告能帮到患者,实在是很开心。能遇到这份工作实在很幸福”