第158回芥川・直木賞(日本文学振興会主催)の選考会が16日夕、東京・築地の新喜楽で開かれ、芥川賞には石井遊佳さん(54)の「百年泥」(新潮11月号)と若竹千佐子さん(63)の「おらおらでひとりいぐも」(文芸冬号)の2作が、直木賞には門井慶喜さん(46)の「銀河鉄道の父」(講談社)がそれぞれ選ばれた。

第158届芥川・直木奖(日本文学振兴会举办)的评选会于16日晚在东京・筑地的新喜乐召开。入选芥川赏的两部作品分别是石井游佳(54岁)的《百年泥》(新潮11月号)和若竹千佐子(63岁)的《我将独自前行》(文艺冬号),入选直木奖的作品是门井庆喜(46岁)的《银河铁道之父》(讲谈社)。

石井遊佳

石井游佳

石井氏は大阪府枚方市生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科インド哲学仏教学博士課程満期退学。日本語教師。2017年『百年泥』で第49回新潮新人賞を受賞。芥川賞は初候補

石井游佳出生于大阪的枚方市。在东京大学研究生院人文社会系研究科的印度哲学佛教学博士课程到期后退学。是一名日语教师。2017年凭借作品《百年泥》获得了第49届新潮新人奖。第一次入围芥川奖。

石井さんはインド・チェンナイ市に住み、現地のIT企業で日本語教師を務める。昨年10月に「百年泥」で新潮新人賞を受けて作家デビューした。作品はインドで日本語教師として働く女性の物語。百年に一度という大洪水に巻き込まれ、堆積した泥の中から出土した品々にまつわる出来事を追体験。

石井现住印度・金奈,在当地的一家IT企业担任日语教师。去年10月因作品《百年泥》而获得新潮新人奖,以作家身份出道。作品讲述了一位在印度当日语教师的女性的故事。百年一遇的特大洪水将河底堆积的泥土翻卷上来,(她)得以体验许多泥土牵带出的事。

受賞が決まった感想

获奖感言

みなさんと一緒に記念撮影したいです。(新潮新人賞を受賞した)昨年の後半から環境が激変 し、少々驚いています。今まで体験できなかったことを体験でき、おもしろがっている。ただインドにいるので、自分がどのように取り上げられているかわからず、友人が“テレビ見たよ、新聞読んだよ”とか教えてくれる…。自分のことなのに、噂を伝え聞くような不思議な感覚でいます。

想和大家一起拍照留念。从去年(获得新潮新人奖)的后半年开始,我周围的环境发生了剧烈的变化,让我稍微有些吃惊。能够体验至今为止没有的事情,我觉得非常有趣。只是现在身在印度,不知道别人是如何看待自己的,有朋友告诉我说“在电视上看到了、在报纸上看到了”等等。明明是在说自己,但听起来像是骗人的,感觉非常不可思议。

石井遊佳との一問一答

和石井游佳的一问一答

問い:選考委員からは「活気がある。言葉の勢いにまかせて物語が進んでいく」との評価があった。

问:评选委员会评价这部作品“有活力。凭借语言的气势推动故事的发展”。对此你怎么看?

答え:書いてしばらくたっているが、読み返すとテンポの速い小説だな、と。忙しすぎると思われるかもしれないが、エピソードがエピソードを生み、転がっていく話が好きで、書きたかった。小説なので言葉の力が基本。言葉で制御しながら書いたつもり。

答:虽然完成这部作品没多久,但重读的时候发现这真是一部快节奏的小说啊。虽然有人可能觉得故事发展过于匆忙,但我喜欢这样情节一个接一个,不断变化的故事,想要这样写。因为是小说所以语言的力量是基本。边控制着语言边写作。

問い:書くことはどういうことか

问:你是如何看待写作的?

答え:物事が長く続かないタイプの人間。長く大学で勉強したが、夫が“インドに行きたい”というので、やめてしまった。仕事も長く続けたことない。ただ、10代の頃から書くことは好きで続けてきた。やめると“人間やめますか”ということになる。書くことだけは長く続けてきた。書くことは私の (ごう)だと思っている。文字を使って、世界を表現する業を背負って生まれてきたと思っている。

答:我是那种做事没有恒心的人。虽然在大学里学习了很长一段时间,但因丈夫的一句:“我想去印度”,我就放弃了学业。只是从十几岁开始我就很喜欢写作,所以坚持到了现在。如果放弃的话就会感觉“自己算不上是人”。只有写作这一件事长久以来坚持下来了。我觉得写作就是我的使命。我是肩负着用文字来表现世界的使命而生的。

問い:書き始めたのは10代の頃か

问:你是从十几岁就开始写作的么?

答え:10代は日記、身のまわりのことを書いていただけ。創作の形になったのは20代後半、本格的な投稿生活は30代になってから。

答:我十几岁就开始写日记、写身边的事情。二十五岁以后开始创作,真正开始投稿发表是在三十岁之后。

問い:最後にひとこと

问:最后想要说的话

答え:ある程度の年齢になってすばらしい賞をいただいた。20~30代なら私の力と思ったかもしえないが、能力、努力でいただけたとはまったく思わない。助けてくれた人、支えてくれた人のおかげ。感謝の気持ちでいっぱい。とりわけ、さんざん迷惑をかけた両親にありがとうございましたと申し上げたい。

答:到了这个年龄,获得这么棒的奖。如果是二十多岁三十多岁的我,可能会认为这是靠自己的力量,但我现在完全不认为这是靠能力和努力获得的。而是多亏了那些帮助我的人、支持我的人。我的心中充满了感激之情。特别是我的父母,我给他们带来了很多麻烦,真的非常感激。

若竹千佐子

若竹千佐子

若竹氏は岩手県遠野市生まれ。岩手大学教育学部卒業。現在、主婦。2017年『おらおらでひとりいぐも』で第54回文藝賞を受賞しデビュー。芥川賞は初候補。

若竹千佐子出生于岩手县的远野市。毕业于岩手大学的教育学专业。现在是一名主妇。2017年凭借作品《おらおらでひとりいぐも》获得了第54届文艺奖,从而出道。第一次入围芥川奖。

題名は、宮沢賢治の詩「永訣の朝」のなかで、唯一ローマ字で表記されているフレーズ「Ora Orade Shitori egumo」から。岩手弁で「私は私で1人で逝くから」の意味と解釈できる。新たな老いの境地を描いた受賞作は、74歳で独り暮らしの桃子さんが主人公。夫は他界、子どもらとも疎遠な日常の中、心には懐かしくもにぎやかな東北弁の声が満ち始める。

作品名称取自宫泽贤治的诗歌《永诀之朝》中唯一用罗马字标记的短句“Ora Orade Shitori egumo”。在岩手方言中是“我将独自前行”的意思。在这部描写崭新的老后处境的获奖作品中,主人公是一位74岁独自生活的老人,名叫桃子。她的丈夫已经不在人世,而孩子们也不在身边,这样的日常生活中,她的心中开始逐渐被既怀念又喧闹的的东北话填满。

受賞が決まった感想

获奖感言

もう…人生の終盤でこんな晴れがましいことが私に起きるなんて、信じられないというのが最初の気持ちです。

我最初的感受是:已经到了人生的暮年之际却获得了如此大的奖项,简直无法相信。

若竹千佐子との一問一答

和若竹千佐子的一问一答

問い:芥川賞史上2番目の年長受賞。小説は「老い」をテーマにしているが、63歳での受賞について

问:您是芥川奖史上第二年长的获奖者。小说以“老人”为主题,请问您在63岁获得这个奖有什么想法?

答え:(感無量といった表情で)そうですね…まだ言葉にならないんですけども。実はこの間、座骨神経痛になって、もう足が痛くて。まだまだ私は本当の老いの大変さというものを知らないんだなと痛切に感じました。これからです。これから私は老いていくので、同時進行で書いていこうと思っています。

答:(无限感慨的表情)怎么说呢…我现在还不知道怎么用语言表达。实际上这段时间,我坐骨神经痛,腿也开始疼。这让我深切感受到,我还远未理解真正老去的辛苦。就在今后,我将会不断变老,我想在变老的同时一直写下去。

問い:選考委員の作家、堀江敏幸さんが「言葉に勢いと活気があった」「方言とあいまって、エネルギーを感じた」などと評していた。方言で表現することについて

问:作为评选委员的作家堀江敏幸评价这部作品“语言有气势、充满了活力”、“方言让人更加感受到了能量”。请问您为什么要用方言来写作呢?

答え:方言は私にとっては一番自分に正直な言葉です。標準語は着飾って、ちょっと体裁をつくろうような感じ。方言で表現することで、本当の思いが直接何のてらいもなく、言葉として表れてくると思います。エネルギーがあるといわれたなら、本当にうれしいことです。

答:方言对于我来说是最能表达自己内心的语言。标准语有种修饰的感觉。我认为方言能把我内心真实的想法用语言表达出来。如果大家感受到了力量,我真是再高兴不过了。

問い:方言を使った小説が評価されたことについて

问:这部用方言写的小说备受好评,对此您有什么想法

答え:東北弁に限らず、どこの言葉でも味がある。九州の言葉だろうが、大阪弁だろうが、方言にはそこで生きてきた人の生活の匂い、味わいがあって私、大好きなんです。たまたま私は東北に生まれて、やっぱり自分の中では東北人としての誇りというか、喜びがあります。

答:不仅是东北方言,各个地方的语言都有独到之处。不管是九州方言,还是大阪方言,方言中充满了在那里生活过的人们的气息和味道,这让我非常喜欢。偶尔我会向别人炫耀我是东北人,果然在我的心中有着作为一名东北人的自豪和喜悦。

問い:主人公の「桃子さん」はかなりの割合で若竹さん自身の人生が織り込まれいると感じました。桃子さんを自身よりも年上の74歳にした意図は

问:可以感受到主人公“桃子”身上穿插有若竹女士自己的人生经历。您把桃子的年龄设定为比自己年长的74岁,其目的是什么?

答え:私の人生に取材はしてるんだけども、桃子さんは新たに造形した人物。決して私小説を書いているつもりはないんです。私はずっとこの作品に限らず、おばあさんの小説を書きたいと思ってて。ずっと主人公はおばあさん。おばあさんは魅力的だなと思うんですよ。人生のいろんな経験を経て、いろいろ考えて、役割-妻の役割や親の役割-を終えて、すごく自由な立場にいるんじゃないか。そこで何を考えているのか、おばあさんの哲学を書いてみたいというのが、私の小説のテーマです。私もこれからどんどん年を取っていくわけだけれども、老いを生きるとはどういうことなのかを考えつつ、同時並行で小説を書いていきたいと思っています。

答:虽然作品来源于我的人生经历,但桃子是全新的人物形象。我并没有打算写私小说。不仅限于这个作品,我一直想写有关老母亲的小说。我想一直把主人公设定为老母亲。我认为老母亲非常有魅力。她们有着丰富的人生经历,考虑了各种各样的事情,完成了自己作为一个妻子和母亲的责任,拥有了非常自由的立场,那么她们在想什么呢?我想写老母亲的哲学,把这个作为我的小说主题。今后我的年纪会越来越大,我想要一边考虑如何度过老年生活,一边进行小说的创作。

門井慶喜

门井庆喜

門井氏は1971年11月2日群馬県桐生市生まれ。栃木県宇都宮市出身。94年同志社大学文学部文化学科文化史学専攻(日本史)卒業。2003年「キッドナッパーズ」で第42回オール讀物推理小説新人賞受賞。06年『天才たちの値段』で単行本デビュー。15年に『東京帝大叡古教授』で第153回直木賞、16年に『家康、江戸を建てる』で第155回直木賞候補になっていた。

门井庆喜于1971年11月2日出生在群马县的桐生市。籍贯是栃木县的宇都宫市。1994年毕业于同志社大学文学部文化系的文化史学(日本史)专业。2003年凭借作品《kidnappers》获得第42届ALL读物理推理小说新人奖。2006年以单行本《天才的价值》正式出道。2015年凭借作品《东京帝大叡古教授》成为第153届直木奖候选人,2016年凭借作品《家康创建江户》成为第155届直木奖候选人。

作品は「銀河鉄道の夜」で知られる宮沢賢治とその父・政次郎の関係を描く。何事にも前のめりな息子への愛と、親としての建前のはざまで揺れる父の姿が浮き彫りにされる。

这次的获奖作品描述了因《银河铁道之夜》而出名的宫泽贤治与其父・政次郎的关系。对坚持追求梦想的儿子的爱,和身为父亲的原则,在这两者的夹缝中摇摆不定的父亲形象被生动地刻画出来。

受賞が決まった感想

获奖感言

うーん、風がきた、飛ぶだけだ、そういう気持ちです

我只是乘风而飞。就是这种感觉。

門井慶喜との一問一答

和门井庆喜的一问一答

問い:伊集院静選考委員の会見で、宮沢賢治の父が賢治を思う気持ちと同様に、賢治が父を思う気持ちが良く出ていたという講評があった。この作品で受賞した思いを

问:评选委员伊集院静评选称:这部作品把宫泽贤治父亲对贤治的感情和贤治对父亲的感情都很好地表达出来了。现在这部作品获奖您有什么感想?

答え:小説の主人公が宮沢政次郎、賢治のお父さんです。お父さんから見た賢治を最初、書こうと思って始めたんですが、書いていくに従って、だんだん賢治のことも気になるようになってきた。ですから、最初は父親の話を書くつもりだったのが、最終的には父と息子の関係を書いた。あるいは、もっと広い意味の親子関係を書いたというふうに結果としてはなった、という感じですね。僕自身が父親でもありますし、亡くなりましたが父親もいますので、そういう意識もあったかもしれません。

答:小说的主人公是宫泽政次郎,也就是宫泽贤治的父亲。我最初想要写父亲眼中的贤治,但写着写着,渐渐开始在意贤治。所以,最初我本打算写父亲的,但最后写成了父子关系。或者说最后写成了更加深远意义上的亲子关系,我就是这种感觉。因为我也是一名父亲,我也有父亲,虽然我的父亲已经不在人世,但或许我也有过这样的意识。

問い:改めて宮沢賢治という作家をどう感じるか

问:您是如何重新看待宫泽贤治这个作家的?

答え:物書きというのは、一緒に暮らすと厄介ですね。それは思います。宮沢賢治はもちろん書くものは天才だと思うんですが、一人の生活人として見ると、必ずしも成功者ではない。ですので、それを父親から見てどうだったか。政次郎さんは子供を食べさせなければいけない。賢治にも子供をつくって、子供を食べさせるような息子であってほしいと思っている。

答:我认为,和作家一起生活是很麻烦的。当然宫泽贤治是一位天才作家,但他作为一个现实生活中的人,绝对不是成功的。因此,他的父亲是怎么看待他的呢?政次郎必须要养他的孩子。他还希望贤治也有自己的孩子,养自己的孩子。

問い:今回、ダメな息子を支える父親を書いて、ご自身の父親への贖罪(しょくざい)だったと書かれていたと思うが、受賞してお父さんに声をかけるとしたら

问:这回您刻画了一位支持废柴儿子的父亲形象,写了对自己父亲的赎罪,那么您这回获奖之后有什么想对父亲说的么?

答え:僕の父親はもう亡くなったんですけど、会社を経営していて、僕は長男でした。もちろん明治時代じゃないので、僕がその会社を継がなければいけないということはないですし、父親から強要されたこともないが、今考えると、父親はどこか期待していた部分があったかもしれないなあと、今になって思い返すことがあります。会社に入るどころか、売れない原稿を書き始めて、社会的なことは考えない人間になってしまった。まさに宮沢賢治と、ある意味、似たような人間になってしまった。そのことについては、今さら遅いんですけど、謝りたいなという気がします。書いていてますますそう思いました。

答:虽然我的父亲已不在人世,但公司还在经营,我是长男。因为不是明治时代,我没有必要继承那家公司,父亲也没有强迫我,但是现在想来,父亲可能还是希望我能继承的吧,直到现在我有时还会这样回想。不要说进公司了,从开始写卖不出去的原稿开始,我就成为了一个不考虑社会的人。在一定意义上,我成为了和宫泽贤治类似的人,虽然现在说可能有些晚,但我还是想赔罪。越写我的这种感觉越强烈。

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