日语文学作品赏析《父》
作者:芥川龍之介
来源:青空文库
2010-01-06 00:00
自分が中学の四年生だった時の話である。
その年の秋、日光から足尾 へかけて、三泊の修学旅行があった。「午前六時三十分上野停車場前集合、同五十分発車……」こう云う箇条が、学校から渡す謄写版 の刷物 に書いてある。
当日になると自分は、碌 に朝飯 も食わずに家をとび出した。電車でゆけば停車場まで二十分とはかからない。――そう思いながらも、何となく心がせく。停車場の赤い柱の前に立って、電車を待っているうちも、気が気でない。
生憎 、空は曇っている。方々の工場で鳴らす汽笛の音 が、鼠色 の水蒸気をふるわせたら、それが皆霧雨 になって、降って来はしないかとも思われる。その退屈な空の下で、高架 鉄道を汽車が通る。被服廠 へ通う荷馬車が通る。店の戸が一つずつ開 く。自分のいる停車場にも、もう二三人、人が立った。それが皆、眠 の足りなそうな顔を、陰気らしく片づけている。寒い。――そこへ割引の電車が来た。
こみ合っている中を、やっと吊皮 にぶらさがると、誰か後 から、自分の肩をたたく者がある。自分は慌 ててふり向いた。
「お早う。」
見ると、能勢五十雄 であった。やはり、自分のように、紺のヘルの制服を着て、外套 を巻いて左の肩からかけて、麻のゲエトルをはいて、腰に弁当の包 やら水筒やらをぶらさげている。
能勢は、自分と同じ小学校を出て、同じ中学校へはいった男である。これと云って、得意な学科もなかったが、その代りに、これと云って、不得意なものもない。その癖、ちょいとした事には、器用な性質 で、流行唄 と云うようなものは、一度聞くと、すぐに節を覚えてしまう。そうして、修学旅行で宿屋へでも泊る晩なぞには、それを得意になって披露 する。詩吟 、薩摩琵琶 、落語、講談、声色 、手品 、何でも出来た。その上また、身ぶりとか、顔つきとかで、人を笑わせるのに独特な妙を得ている。従って級 の気うけも、教員間の評判も悪くはない。もっとも自分とは、互に往来 はしていながら、さして親しいと云う間柄でもなかった。
「早いね、君も。」
「僕はいつも早いさ。」能勢はこう云いながら、ちょいと小鼻をうごめかした。
「でもこの間は遅刻したぜ。」
「この間?」
「国語の時間にさ。」
「ああ、馬場に叱 られた時か。あいつは弘法 にも筆のあやまりさ。」能勢は、教員の名前をよびすてにする癖があった。
「あの先生には、僕も叱られた。」
「遅刻で?」
「いいえ、本を忘れて。」
「仁丹 は、いやにやかましいからな。」「仁丹」と云うのは、能勢が馬場教諭につけた渾名 である。――こんな話をしている中に、停車場前へ来た。
乗った時と同じように、こみあっている中をやっと電車から下りて停車場へはいると、時刻が早いので、まだ級 の連中は二三人しか集っていない。互に「お早う」の挨拶 を交換する。先を争って、待合室の木のベンチに、腰をかける。それから、いつものように、勢よく饒舌 り出した。皆「僕」と云う代りに、「己 」と云うのを得意にする年輩 である。その自ら「己 」と称する連中の口から、旅行の予想、生徒同志の品隲 、教員の悪評などが盛んに出た。
「泉はちゃくいぜ、あいつは教員用のチョイスを持っているもんだから、一度も下読みなんぞした事はないんだとさ。」
「平野はもっとちゃくいぜ。あいつは試験の時と云うと、歴史の年代をみな爪 へ書いて行くんだって。」
「そう云えば先生だってちゃくいからな。」
「ちゃくいとも。本間なんぞは receive のiとeと、どっちが先へ来るんだか、それさえ碌 に知らない癖に、教師用でいい加減にごま化しごま化し、教えているじゃあないか。」
どこまでも、ちゃくいで持ちきるばかりで一つも、碌な噂は出ない。すると、その中 に能勢が、自分の隣のベンチに腰をかけて、新聞を読んでいた、職人らしい男の靴 を、パッキンレイだと批評した。これは当時、マッキンレイと云う新形の靴が流行 ったのに、この男の靴は、一体に光沢 を失って、その上先の方がぱっくり口を開 いていたからである。
「パッキンレイはよかった。」こう云って、皆一時 に、失笑した。
それから、自分たちは、いい気になって、この待合室に出入 するいろいろな人間を物色しはじめた。そうして一々、それに、東京の中学生でなければ云えないような、生意気な悪口を加え出した。そう云う事にかけて、ひけをとるような、おとなしい生徒は、自分たちの中に一人もいない。中でも能勢の形容が、一番辛辣 で、かつ一番諧謔 に富んでいた。
「能勢 、能勢、あのお上 さんを見ろよ。」
「あいつは河豚 が孕 んだような顔をしているぜ。」
「こっちの赤帽も、何かに似ているぜ。ねえ能勢。」
「あいつはカロロ五世さ。」
しまいには、能勢が一人で、悪口を云う役目をひきうけるような事になった。
すると、その時、自分たちの一人は、時間表の前に立って、細 い数字をしらべている妙な男を発見した。その男は羊羹色 の背広を着て、体操に使う球竿 のような細い脚を、鼠の粗い縞のズボンに通している。縁 の広い昔風の黒い中折れの下から、半白 の毛がはみ出している所を見ると、もうかなりな年配らしい。その癖頸 のまわりには、白と黒と格子縞 の派手 なハンケチをまきつけて、鞭 かと思うような、寒竹 の長い杖をちょいと脇 の下へはさんでいる。服装と云い、態度と云い、すべてが、パンチの挿絵 を切抜いて、そのままそれを、この停車場の人ごみの中へ、立たせたとしか思われない。――自分たちの一人は、また新しく悪口の材料が出来たのをよろこぶように、肩でおかしそうに笑いながら、能勢の手をひっぱって、
「おい、あいつはどうだい。」とこう云った。
そこで、自分たちは、皆その妙な男を見た。男は少し反 り身になりながら、チョッキのポケットから、紫の打紐 のついた大きなニッケルの懐中時計を出して、丹念 にそれと時間表の数字とを見くらべている。横顔だけ見て、自分はすぐに、それが能勢の父親だと云う事を知った。
しかし、そこにいた自分たちの連中には、一人もそれを知っている者がない。だから皆、能勢の口から、この滑稽な人物を、適当に形容する語 を聞こうとして、聞いた後の笑いを用意しながら、面白そうに能勢の顔をながめていた。中学の四年生には、その時の能勢の心もちを推測する明 がない。自分は危く「あれは能勢の父 だぜ。」と云おうとした。
するとその時、
「あいつかい。あいつはロンドン乞食 さ。」
こう云う能勢の声がした。皆が一時にふき出したのは、云うまでもない。中にはわざわざ反り身になって、懐中時計を出しながら、能勢の父親の姿 を真似て見る者さえある。自分は、思わず下を向いた。その時の能勢の顔を見るだけの勇気が、自分には欠けていたからである。
「そいつは適評だな。」
「見ろ。見ろ。あの帽子を。」
「日 かげ町 か。」
「日かげ町にだってあるものか。」
「じゃあ博物館だ。」
皆がまた、面白そうに笑った。
曇天の停車場は、日の暮のようにうす暗い。自分は、そのうす暗い中で、そっとそのロンドン乞食の方をすかして見た。
すると、いつの間にか、うす日がさし始めたと見えて、幅の狭い光の帯が高い天井の明り取りから、茫 と斜めにさしている。能勢の父親は、丁度その光の帯の中にいた。――周囲では、すべての物が動いている。眼のとどく所でも、とどかない所でも動いている。そうしてまたその運動が、声とも音ともつかないものになって、この大きな建物の中を霧のように蔽 っている。しかし能勢の父親だけは動かない。この現代と縁のない洋服を着た、この現代と縁のない老人は、めまぐるしく動く人間の洪水の中に、これもやはり現代を超越した、黒の中折をあみだにかぶって、紫の打紐のついた懐中時計を右の掌 の上にのせながら、依然としてポンプの如く時間表の前に佇立 しているのである……
あとで、それとなく聞くと、その頃大学の薬局に通っていた能勢の父親は、能勢が自分たちと一しょに修学旅行に行く所を、出勤の途すがら見ようと思って、自分の子には知らせずに、わざわざ停車場へ来たのだそうである。
能勢五十雄は、中学を卒業すると間もなく、肺結核 に罹 って、物故した。その追悼式 を、中学の図書室で挙げた時、制帽をかぶった能勢の写真の前で悼辞 を読んだのは、自分である。「君、父母に孝に、」――自分はその悼辞の中に、こう云う句を入れた。
その年の秋、日光から
当日になると自分は、
こみ合っている中を、やっと
「お早う。」
見ると、
能勢は、自分と同じ小学校を出て、同じ中学校へはいった男である。これと云って、得意な学科もなかったが、その代りに、これと云って、不得意なものもない。その癖、ちょいとした事には、器用な
「早いね、君も。」
「僕はいつも早いさ。」能勢はこう云いながら、ちょいと小鼻をうごめかした。
「でもこの間は遅刻したぜ。」
「この間?」
「国語の時間にさ。」
「ああ、馬場に
「あの先生には、僕も叱られた。」
「遅刻で?」
「いいえ、本を忘れて。」
「
乗った時と同じように、こみあっている中をやっと電車から下りて停車場へはいると、時刻が早いので、まだ
「泉はちゃくいぜ、あいつは教員用のチョイスを持っているもんだから、一度も下読みなんぞした事はないんだとさ。」
「平野はもっとちゃくいぜ。あいつは試験の時と云うと、歴史の年代をみな
「そう云えば先生だってちゃくいからな。」
「ちゃくいとも。本間なんぞは receive のiとeと、どっちが先へ来るんだか、それさえ
どこまでも、ちゃくいで持ちきるばかりで一つも、碌な噂は出ない。すると、その
「パッキンレイはよかった。」こう云って、皆
それから、自分たちは、いい気になって、この待合室に
「
「あいつは
「こっちの赤帽も、何かに似ているぜ。ねえ能勢。」
「あいつはカロロ五世さ。」
しまいには、能勢が一人で、悪口を云う役目をひきうけるような事になった。
すると、その時、自分たちの一人は、時間表の前に立って、
「おい、あいつはどうだい。」とこう云った。
そこで、自分たちは、皆その妙な男を見た。男は少し
しかし、そこにいた自分たちの連中には、一人もそれを知っている者がない。だから皆、能勢の口から、この滑稽な人物を、適当に形容する
するとその時、
「あいつかい。あいつはロンドン
こう云う能勢の声がした。皆が一時にふき出したのは、云うまでもない。中にはわざわざ反り身になって、懐中時計を出しながら、能勢の父親の
「そいつは適評だな。」
「見ろ。見ろ。あの帽子を。」
「
「日かげ町にだってあるものか。」
「じゃあ博物館だ。」
皆がまた、面白そうに笑った。
曇天の停車場は、日の暮のようにうす暗い。自分は、そのうす暗い中で、そっとそのロンドン乞食の方をすかして見た。
すると、いつの間にか、うす日がさし始めたと見えて、幅の狭い光の帯が高い天井の明り取りから、
あとで、それとなく聞くと、その頃大学の薬局に通っていた能勢の父親は、能勢が自分たちと一しょに修学旅行に行く所を、出勤の途すがら見ようと思って、自分の子には知らせずに、わざわざ停車場へ来たのだそうである。
能勢五十雄は、中学を卒業すると間もなく、
(大正五年三月)
声明:本文内容均来自青空文库,仅供学习使用。"沪江网"高度重视知识产权保护。当如发现本网站发布的信息包含有侵犯其著作权的内容时,请联系我们,我们将依法采取措施移除相关内容或屏蔽相关链接。