日语文学作品赏析《忠義》
作者:芥川龍之介
来源:青空文库
2010-01-06 00:00
一 前島林右衛門
板倉修理 は、病後の疲労が稍 恢復すると同時に、はげしい神経衰弱に襲われた。――
肩がはる。頭痛がする。日頃好んでする書見にさえ、身がはいらない。廊下 を通る人の足音とか、家中 の者の話声とかが聞えただけで、すぐ注意が擾 されてしまう。それがだんだん嵩 じて来ると、今度は極 些細 な刺戟からも、絶えず神経を虐 まれるような姿になった。
第一、莨盆 の蒔絵 などが、黒地に金 の唐草 を這 わせていると、その細い蔓 や葉がどうも気になって仕方がない。そのほか象牙 の箸 とか、青銅の火箸とか云う先の尖 った物を見ても、やはり不安になって来る。しまいには、畳の縁 の交叉した角 や、天井の四隅 までが、丁度刃物 を見つめている時のような切ない神経の緊張を、感じさせるようになった。
修理 は、止むを得ず、毎日陰気な顔をして、じっと居間にいすくまっていた。何をどうするのも苦しい。出来る事なら、このまま存在の意識もなくなしてしまいたいと思う事が、度々ある。が、それは、ささくれた神経の方で、許さない。彼は、蟻地獄 に落ちた蟻のような、いら立たしい心で、彼の周囲を見まわした。しかも、そこにあるのは、彼の心もちに何の理解もない、徒 に万一を惧 れている「譜代 の臣」ばかりである。「己 は苦しんでいる。が、誰も己の苦しみを察してくれるものがない。」――そう思う事が、既に彼には一倍の苦痛であった。
修理の神経衰弱は、この周囲の無理解のために、一層昂進の度を早めたらしい。彼は、事毎 に興奮した。隣屋敷まで聞えそうな声で、わめき立てた事も一再ではない。刀架 の刀に手のかかった事も、度々ある。そう云う時の彼はほとんど誰の眼にも、別人のようになってしまう。ふだん黄いろく肉の落ちた顔が、どこと云う事なく痙攣 して眼の色まで妙に殺気立って来る。そうして、発作 が甚しくなると、必ず左右の鬢 の毛を、ふるえる両手で、かきむしり始める。――近習 の者は、皆この鬢をむしるのを、彼の逆上した索引 にした。そう云う時には、互に警 め合って、誰も彼の側へ近づくものがない。
発狂――こう云う怖れは、修理自身にもあった。周囲が、それを感じていたのは云うまでもない。修理は勿論、この周囲の持っている怖れには反感を抱いている。しかし彼自身の感ずる怖れには、始めから反抗のしようがない。彼は、発作が止んで、前よりも一層幽鬱な心が重く頭を圧して来ると、時としてこの怖れが、稲妻のように、己 を脅 かすのを意識した。そうして、同時にまた、そう云う怖れを抱くことが、既に発狂の予告のような、不吉 な不安にさえ、襲われた。「発狂したらどうする。」
――そう思うと、彼は、俄 に眼の前が、暗くなるような心もちがした。
勿論この怖れは、一方絶えず、外界の刺戟から来るいら立たしさに、かき消された。が、そのいら立たしさがまた、他方では、ややもすると、この怖れを眼ざめさせた。――云わば、修理の心は、自分の尾を追いかける猫のように、休みなく、不安から不安へと、廻転していたのである。
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修理 のこの逆上は、少からず一家中の憂慮する所となった。中でも、これがために最も心を労したのは、家老の前島林右衛門 である。
林右衛門は、家老と云っても、実は本家の板倉式部 から、附人 として来ているので、修理も彼には、日頃から一目 置いていた。これはほとんど病苦と云うものの経験のない、赭 ら顔の大男で、文武の両道に秀 でている点では、家中 の侍で、彼の右に出るものは、幾人もない。そう云う関係上、彼はこれまで、始終修理に対して、意見番の役を勤めていた。彼が「板倉家の大久保彦左 」などと呼ばれていたのも、完 くこの忠諫 を進める所から来た渾名 である。
林右衛門は、修理の逆上が眼に見えて、進み出して以来、夜の目も寝ないくらい、主家のために、心を煩 わした。――既に病気が本復した以上、修理は近日中に病緩 の御礼として、登城 しなければならない筈である。所が、この逆上では、登城の際、附合 の諸大名、座席同列の旗本仲間へ、どんな無礼を働くか知れたものではない。万一それから刃傷沙汰 にでもなった日には、板倉家七千石は、そのまま「お取りつぶし」になってしまう。殷鑑 は遠からず、堀田稲葉 の喧嘩 にあるではないか。
林右衛門は、こう思うと、居ても立っても、いられないような心もちがした。しかし彼に云わせると、逆上は「体の病」ではない。全く「心の病」である――彼はそこで、放肆 を諫 めたり、奢侈 を諫めたりするのと同じように、敢然として、修理の神経衰弱を諫めようとした。
だから、林右衛門は、爾来 、機会さえあれば修理に苦諫 を進めた。が、修理の逆上は、少しも鎮まるけはいがない。寧 ろ、諫 めれば諫めるほど、焦 れれば焦れるほど、眼に見えて、進んで来る。現に一度などは、危く林右衛門を手討ちにさえ、しようとした。「主 を主 とも思わぬ奴じゃ。本家の手前さえなくば、切ってすてようものを。」――そう云う修理の眼の中にあったものは、既に怒りばかりではない。林右衛門は、そこに、また消し難い憎しみの色をも、読んだのである。
その中 に、主従の間に纏綿 する感情は、林右衛門の重ねる苦諫に従って、いつとなく荒 んで来た。と云うのは、独り修理が林右衛門を憎むようになったと云うばかりではない。林右衛門の心にもまた、知らず知らず、修理に対する憎しみが、芽をふいて来た事を云うのである。勿論、彼は、この憎しみを意識してはいなかった。少くとも、最後の一刻を除いて、修理に対する彼の忠心は、終始変らないものと信じていた。「君 君為 らざれば、臣臣為らず」――これは孟子 の「道」だったばかりではない。その後 には、人間の自然の「道」がある。しかし、林右衛門は、それを認めようとしなかった。……
彼は、飽 くまでも、臣節を尽そうとした。が、苦諫の効がない事は、既に苦い経験を嘗 めている。そこで、彼は、今まで胸中に秘していた、最後の手段に訴える覚悟をした。最後の手段と云うのは、ほかでもない。修理を押込め隠居にして、板倉一族の中から養子をむかえようと云うのである。――
何よりもまず、「家」である。(林右衛門はこう思った。)当主は「家」の前に、犠牲にしなければならない。ことに、板倉本家は、乃祖 板倉四郎左衛門勝重 以来、未嘗 、瑕瑾 を受けた事のない名家である。二代又左衛門重宗 が、父の跡をうけて、所司代 として令聞 があったのは、数えるまでもない。その弟の主水重昌 は、慶長十九年大阪冬の陣の和が媾 ぜられた時に、判元見届 の重任を辱 くしたのを始めとして、寛永十四年島原の乱に際しては西国 の軍に将として、将軍家御名代 の旗を、天草 征伐の陣中に飜 した。その名家に、万一汚辱を蒙らせるような事があったならば、どうしよう。臣子の分として、九原 の下 、板倉家累代 の父祖に見 ゆべき顔 は、どこにもない。
こう思った林右衛門は、私 に一族の中 を物色した。すると幸い、当時若年寄を勤めている板倉佐渡守 には、部屋住 の子息が三人ある。その子息の一人を跡目 にして、養子願さえすれば、公辺 の首尾は、どうにでもなろう。もっともこれは、事件の性質上修理や修理の内室には、密々で行わなければならない。彼は、ここまで思案をめぐらした時に、始めて、明るみへ出たような心もちがした。そうして、それと同時に今までに覚えなかったある悲しみが、おのずからその心もちを曇らせようとするのが、感じられた。「皆御家のためじゃ。」――そう云う彼の決心の中には、彼自身朧 げにしか意識しない、何ものかを弁護しようとするある努力が、月の暈 のようにそれとなく、つきまとっていたからである。
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病弱な修理は、第一に、林右衛門の頑健な体を憎んだ。それから、本家 の附人 として、彼が陰 に持っている権柄 を憎んだ。最後に、彼の「家」を中心とする忠義を憎んだ。「主 を主 とも思わぬ奴じゃ。」――こう云う修理の語の中 には、これらの憎しみが、燻 りながら燃える火のように、暗い焔を蔵していたのである。
そこへ、突然、思いがけない非謀 が、内室 の口によって伝えられた。林右衛門は修理を押込め隠居にして、板倉佐渡守の子息を養子に迎えようとする。それが、偶然、内室の耳へ洩 れた。――これを聞いた修理が、眦 を裂いて憤ったのは無理もない。
成程、林右衛門は、板倉家を大事に思うかも知れない。が、忠義と云うものは現在仕 えている主人を蔑 にしてまでも、「家」のためを計るべきものであろうか。しかも、林右衛門の「家」を憂 えるのは、杞憂 と云えば杞憂である。彼はその杞憂のために、自分を押込め隠居にしようとした。あるいはその物々しい忠義呼 わりの後に、あわよくば、家を横領しようとする野心でもあるのかも知れない。――そう思うと修理は、どんな酷刑 でも、この不臣の行 を罰するには、軽すぎるように思われた。
彼は、内室からこの話を聞くと、すぐに、以前彼の乳人 を勤めていた、田中宇左衛門という老人を呼んで、こう言った。
「林右衛門めを縛 り首にせい。」
宇左衛門は、半白の頭を傾けた。年よりもふけた、彼の顔は、この頃の心労で一層皺 を増している。――林右衛門の企 ては、彼も快くは思っていない。が、何と云っても相手は本家からの附人 である。
「縛り首は穏便 でございますまい。武士らしく切腹でも申しつけまするならば、格別でございますが。」
修理はこれを聞くと、嘲笑 うような眼で、宇左衛門を見た。そうして、二三度強く頭を振った。
「いや人でなし奴 に、切腹を申しつける廉 はない。縛り首にせい。縛り首にじゃ。」
が、そう云いながら、どうしたのか、彼は、血の色のない頬 へ、はらはらと涙を落した。そうして、それから――いつものように両手で、鬢 の毛をかきむしり始めた。
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縛り首にしろと云う命が出た事は、直 に腹心の近習 から、林右衛門に伝えられた。
「よいわ。この上は、林右衛門も意地ずくじゃ。手を拱 いて縛り首もうたれまい。」
彼は昂然として、こう云った。そうして、今まで彼につきまとっていた得体 の知れない不安が、この沙汰を聞くと同時に、跡方なく消えてしまうのを意識した。今の彼の心にあるものは、修理に対するあからさまな憎しみである。もう修理は、彼にとって、主人ではない。その修理を憎むのに、何の憚 る所があろう。――彼の心の明るくなったのは、無意識ながら、全く彼がこう云う論理を、刹那 の間に認めたからである。
そこで、彼は、妻子家来を引き具して、白昼、修理の屋敷を立ち退 いた。作法 通り、立ち退き先の所書きは、座敷の壁に貼 ってある。槍 も、林右衛門自ら、小腋 にして、先に立った。武具を担 ったり、足弱を扶 けたりしている若党草履 取を加えても、一行の人数 は、漸く十人にすぎない。それが、とり乱した気色もなく、つれ立って、門を出た。
延享 四年三月の末である。門の外では、生暖 い風が、桜の花と砂埃 とを、一つに武者窓へふきつけている。林右衛門は、その風の中に立って、もう一応、往来の右左を見廻した。そうして、それから槍で、一同に左へ行けと相図をした。
二 田中宇左衛門
林右衛門 の立ち退 いた後は、田中宇左衛門が代って、家老を勤めた。彼は乳人 をしていた関係上、修理 を見る眼が、自 らほかの家来とはちがっている。彼は親のような心もちで、修理の逆上 をいたわった。修理もまた、彼にだけは、比較的従順に振舞ったらしい。そこで、主従の関係は、林右衛門のいた時から見ると、遥に滑 になって来た。
宇左衛門は、修理の発作 が、夏が来ると共に、漸く怠 り出したのを喜んだ。彼も万一修理が殿中で無礼を働きはしないかと云う事を、惧 れない訳ではない。が、林右衛門は、それを「家」に関 る大事として、惧れた。併し、彼は、それを「主 」に関る大事として惧れたのである。
勿論、「家」と云う事も、彼の念頭には上 っていた。が、変があるにしてもそれは単に、「家」を亡すが故に、大事なのではない。「主 」をして、「家」を亡さしむるが故に――「主 」をして、不孝の名を負わしむるが故に、大事なのである。では、その大事を未然 に防ぐには、どうしたら、いいであろうか。この点になると、宇左衛門は林右衛門ほど明瞭な、意見を持っていないようであった。恐らく彼は、神明の加護と自分の赤誠とで、修理の逆上の鎮まるように祈るよりほかは、なかったのであろう。
その年の八月一日、徳川幕府では、所謂 八朔 の儀式を行う日に、修理は病後初めての出仕 をした。そうして、その序 に、当時西丸 にいた、若年寄の板倉佐渡守を訪うて、帰宅した。が、別に殿中では、何も粗□ をしなかったらしい。宇左衛門は、始めて、愁眉 を開く事が出来るような心もちがした。
しかし、彼の悦びは、その日一日だけも、続かなかった。夜 になると間もなく、板倉佐渡守から急な使があって、早速来るようにと云う沙汰が、凶兆 のように彼を脅 したからである。夜陰に及んで、突然召しを受ける。――そう云う事は、林右衛門の代から、まだ一度も聞いた事がない。しかも今日は、初めて修理が登城をした日である。――宇左衛門は、不吉 な予感に襲われながら、慌 しく佐渡守の屋敷へ参候した。
すると、果して、修理が佐渡守に無礼の振舞があったと云う話である。――今日出仕を終ってから、修理は、白帷子 に長上下 のままで、西丸の佐渡守を訪れた。見た所、顔色 もすぐれないようだから、あるいはまだ快癒がはかばかしくないのかと思ったが、話して見ると、格別、病人らしい容子 もない。そこで安心して、暫く世間話をしている中に、偶然、佐渡守が、いつものように前島林右衛門の安否を訊ねた。すると、修理は急に額を暗くして、「林右衛門めは、先頃 、手前屋敷を駈落 ち致してござる。」と云う。林右衛門が、どう云う人間かと云う事は、佐渡守もよく知っている。何か仔細 がなくては、妄 に主家 を駈落ちなどする男ではない。こう思ったから、佐渡守は、その仔細を尋ねると同時に、本家からの附人 にどう云う間違いが起っても、親類中へ相談なり、知らせなりしないのは、穏 でない旨を忠告した。ところが、修理は、これを聞くと、眼の色を変えながら、刀の柄 へ手をかけて、「佐渡守殿は、別して、林右衛門めを贔屓 にせられるようでござるが、手前家来の仕置は、不肖ながら手前一存で取計らい申す。如何に当時出頭 の若年寄でも、いらぬ世話はお置きなされい。」と云う口上である。そこでさすがの佐渡守も、あまりの事に呆 れ返って、御用繁多を幸に、早速その場を外 してしまった。――
「よいか。」ここまで話して来て、佐渡守は、今更のように、苦い顔をした。
――第一に、林右衛門の立ち退いた趣を、一門衆へ通達しないのは、宇左衛門の罪である。第二に、まだ逆上の気味のある修理を、登城させたのも、やはり彼の責を免れない。佐渡守だったから、いいが、もし今日のような雑言 を、列座の大名衆にでも云ったとしたら、板倉家七千石は、忽 ち、改易 になってしまう。――
「そこでじゃ。今後は必ずとも、他出無用に致すように、別して、出仕登城の儀は、その方より、堅くさし止むるがよい。」
佐渡守は、こう云って、じろりと宇左衛門を見た。
「唯 だ主 につれて、その方まで逆上しそうなのが、心配じゃ。よいか。きっと申しつけたぞ。」
宇左衛門は眉をひそめながら、思切った声で答えた。
「よろしゅうござりまする、しかと向後 は慎むでございましょう。」
「おお、二度と過 をせぬのが、何よりじゃ。」
佐渡守は、吐き出すように、こう云った。
「その儀は、宇左衛門、一命にかけて、承知仕りました。」
彼は、眼に涙をためながら懇願するように、佐渡守を見た。が、その眼の中には、哀憐 を請う情と共に、犯し難い決心の色が、浮んでいる。――必ず修理の他出を、禁ずる事が出来ると云う決心ではない。禁ずる事が出来なかったら、どうすると云う、決心である。
佐渡守は、これを見ると、また顔をしかめながら、面倒臭そうに、横を向いた。
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「主 」の意に従えば、「家」が危 い。「家」を立てようとすれば、「主」の意に悖 る事になる。嘗 は、林右衛門も、この苦境に陥っていた。が、彼には「家」のために「主」を捨てる勇気がある。と云うよりは、むしろ、始からそれほど「主」を大事に思っていない。だから、彼は、容易 く、「家」のために「主」を犠牲 にした。
しかし、自分には、それが出来ない。自分は、「家」の利害だけを計るには、余りに「主 」に親しみすぎている。「家」のために、ただ、「家」と云う名のために、どうして、現在の「主」を無理に隠居などさせられよう。自分の眼から見れば、今の修理も、破魔弓 こそ持たないものの、幼少の修理と変りがない。自分が絵解 きをした絵本、自分が手をとって習わせた難波津 の歌、それから、自分が尾をつけた紙鳶 ――そう云う物も、まざまざと、自分の記憶に残っている。……
そうかと云って、「主 」をそのままにして置けば、独り「家」が亡びるだけではない。「主」自身にも凶事 が起りそうである。利害の打算から云えば、林右衛門のとった策は、唯一 の、そうしてまた、最も賢明なものに相違ない。自分も、それは認めている。その癖、それが、自分には、どうしても実行する事が出来ないのである。
遠くで稲妻 のする空の下を、修理の屋敷へ帰りながら、宇左衛門は悄然 と腕を組んで、こんな事を何度となく胸の中で繰り返えした。
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修理 は、翌日、宇左衛門から、佐渡守の云い渡した一部始終を聞くと、忽ち顔を曇らせた。が、それぎりで、格別いつものように、とり上 せる気色 もない。宇左衛門は、気づかいながら、幾分か安堵 して、その日はそのまま、下って来た。
それから、かれこれ十日ばかりの間、修理は、居間にとじこもって、毎日ぼんやり考え事に耽っていた。宇左衛門の顔を見ても、口を利 かない。いや、ただ一度、小雨 のふる日に、時鳥 の啼く声を聞いて、「あれは鶯の巣をぬすむそうじゃな。」とつぶやいた事がある。その時でさえ、宇左衛門が、それを潮 に、話しかけたが、彼は、また黙って、うす暗い空へ眼をやってしまった。そのほかは、勿論、唖 のように口をつぐんで、じっと襖障子 を見つめている。顔には、何の感情も浮んでいない。
所が、ある夜、十五日の総出仕が二三日の中に迫った時の事である。修理は突然宇左衛門をよびよせて、人払いの上、陰気な顔をしながら、こんな事を云った。
「先達 、佐渡殿も云われた通り、この病体では、とても御奉公は覚束 ないようじゃ。ついては、身共もいっそ隠居しようかと思う。」
宇左衛門は、ためらった。これが本心なら、元よりこれに越した事はないが、どうして、修理はそれほど容易に、家督を譲る気になれたのであろう。――
「御尤 もでございます。佐渡守様もあのように、仰せられますからは、残念ながら、そうなさるよりほかはございますまい。が、まず一応は、御一門衆へも……」
「いや、いや、隠居の儀なら、林右衛門の成敗とは変って、相談せずとも、一門衆は同意の筈じゃ。」
修理、こう云って、苦々 しげに、微笑した。
「さようでもございますまい。」
宇左衛門は、傷 しそうな顔をして、修理を見た。が、相手は、さらに耳へ入れる容子 もない。
「さて、隠居すれば、出仕しようと思うても出仕する事は出来ぬ。されば、」修理はじっと宇左衛門の顔を見ながら、一句一句、重みを量 るように、「その前に、今一度出仕して、西丸の大御所様(吉宗)へ、御目通りがしたい。どうじゃ。十五日に、登城 させてはくれまいか。」
宇左衛門は、黙って、眉をひそめた。
「それも、たった一度じゃ。」
「恐れながら、その儀ばかりは。」
「いかぬか。」
二人は、顔を見合せながら、黙った。しんとした部屋の中には、油を吸う燈心の音よりほかに、聞えるものはない。――宇左衛門は、この暫くの間を、一年のように長く感じた。佐渡守へ云い切った手前、それを修理に許しては自分の武士がたたないからである。
「佐渡殿の云われた事は、承知の上での頼みじゃ。」
ほどを経て、修理が云った。
「登城を許せば、その方が、一門衆の不興 をうける事も、修理は、よう存じているが、思うて見い。修理は一門衆はもとより、家来 にも見離された乱心者じゃ。」
そう云いながら、彼の声は、次第に感動のふるえを帯びて来た。見れば、眼も涙ぐんでいる。
「世の嘲 りはうける。家督は人の手に渡す。天道の光さえ、修理にはささぬかと思うような身の上じゃ。その修理が、今生の望にただ一度、出仕したいと云う、それをこばむような宇左衛門ではあるまい。宇左衛門なら、この修理を、あわれとこそ思え、憎いとは思わぬ筈じゃ。修理は、宇左衛門を親とも思う。兄弟とも思う。親兄弟よりも、猶更 なつかしいものと思う。広い世界に、修理がたのみに思うのは、ただその方一人きりじゃ。さればこそ、無理な頼みもする。が、これも決して、一生に二度とは云わぬ。ただ、今度 一度だけじゃ。宇左衛門、どうかこの心を察してくれい。どうかこの無理を許してくれい。これ、この通りじゃ。」
彼は、家老の前へ両手をついて、涙を落しながら、額 を畳へつけようとした。宇左衛門は、感動した。
「御手をおあげ下さいまし。御手をおあげ下さいまし。勿体 のうございます。」
彼は、修理 の手をとって、無理に畳から離させた。そうして泣いた。すると、泣くに従って、彼の心には次第にある安心が、溢 れるともなく、溢れて来る。――彼は涙の中 に、佐渡守の前で云い切った語 を、再びありありと思い浮べた。
「よろしゅうございまする。佐渡守様が何とおっしゃりましょうとも、万一の場合には、宇左衛門皺腹 を仕 れば、すむ事でございまする。私 一人 の粗忽 にして、きっと御登城おさせ申しましょう。」
これを聞くと、修理の顔は、急に別人の如く喜びにかがやいた。その変り方には、役者のような巧みさがある。がまた、役者にないような自然さもある。――彼は、突然調子の外 れた笑い声を洩 らした。
「おお、許してくれるか。忝 い。忝いぞよ。」
そう云って、彼は嬉しそうに、左右を顧みた。
「皆のもの、よう聞け。宇左衛門は、登城を許してくれたぞ。」
人払いをした居間には、彼と宇左衛門のほかに誰もいない。皆のもの――宇左衛門は、気づかわしそうに膝 を進めて、行燈 の火影 に恐る恐る、修理の眼の中を窺 った。
三刃傷
延享 四年八月十五日の朝、五つ時過ぎに、修理 は、殿中で、何の恩怨 もない。肥後国熊本の城主、細川越中守宗教 を殺害 した。その顛末 は、こうである。
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細川家は、諸侯の中でも、すぐれて、武備に富んだ大名である。元姫君 と云われた宗教 の内室さえ、武芸の道には明 かった。まして宗教の嗜 みに、疎 な所などのあるべき筈はない。それが、「三斎 の末なればこそ細川は、二歳 に斬 られ、五歳 ごとなる。」と諷 われるような死を遂げたのは、完 く時の運であろう。
そう云えば、細川家には、この凶変 の起る前兆が、後 になって考えれば、幾つもあった。――第一に、その年三月中旬、品川伊佐羅子 の上屋敷 が、火事で焼けた。これは、邸内に妙見 大菩薩があって、その神前の水吹石 と云う石が、火災のある毎 に水を吹くので、未嘗 、焼けたと云う事のない屋敷である。第二に、五月上旬、門へ打つ守り札を、魚籃 の愛染院 から奉ったのを見ると、御武運長久御息災 とある可き所に災の字が書いてない。これは、上野宿坊 の院代 へ問い合せた上、早速愛染院に書き直させた。第三に、八月上旬、屋敷の広間あたりから、夜な夜な大きな怪火が出て、芝の方へ飛んで行ったと云う。
そのほか、八月十四日の昼には、天文に通じている家来の才木茂右衛門 と云う男が目付 へ来て、「明十五日は、殿の御身 に大変があるかも知れませぬ。昨夜 天文を見ますと、将星が落ちそうになって居ります。どうか御慎み第一に、御他出なぞなさいませんよう。」と、こう云った。目付は、元来余り天文なぞに信を措 いていない。が、日頃この男の予言は、主人が尊敬しているので、取あえず近習 の者に話して、その旨を越中守の耳へ入れた。そこで、十五日に催す能狂言 とか、登城の帰りに客に行くとか云う事は、見合せる事になったが、御奉公の一つと云う廉 で、出仕だけは止 めにならなかったらしい。
それが、翌日になると、また不吉 な前兆が、加わった。――十五日には、いつも越中守自身、麻上下 に着換えてから、八幡大菩薩に、神酒 を備えるのが慣例になっている。ところが、その日は、小姓 の手から神酒 を入れた瓶子 を二つ、三宝 へのせたまま受取って、それを神前へ備えようとすると、どうした拍子か瓶子は二つとも倒れて、神酒が外へこぼれてしまった。その時は、さすがに一同、思わず顔色を変えたと云う事である。
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翌日、越中守は登城すると、御坊主 田代祐悦 が供をして、まず、大広間へ通った。が、やがて、大便を催したので、今度は御坊主黒木閑斎 をつれて、湯呑み所際 の厠 へはいって、用を足 した。さて、厠を出て、うすぐらい手水所 で手を洗っていると突然後 から、誰とも知れず、声をかけて、斬りつけたものがある。驚いて、振り返ると、その拍子にまた二の太刀が、すかさず眉間 へ閃 いた。そのために血が眼へはいって、越中守は、相手の顔も見定める事が出来ない。相手は、そこへつけこんで、たたみかけ、たたみかけ、幾太刀 となく浴せかけた。そうして、越中守がよろめきながら、とうとう、四 の間 の縁に仆 れてしまうと、脇差 をそこへ捨てたなり、慌ててどこか見えなくなってしまった。
ところが、伴をしていた黒木閑斎が、不意の大変に狼狽 して、大広間の方へ逃げて行ったなり、これもどこかへ隠れてしまったので、誰もこの刃傷 を知るものがない。それを、暫くしてから、漸 く本間定五郎 と云う小拾人 が、御番所 から下部屋 へ来る途中で発見した。そこで、すぐに御徒目付 へ知らせる。御徒目付からは、御徒組頭久下善兵衛 、御徒目付土田半右衛門 、菰田仁右衛門 、などが駈けつける。――殿中では忽ち、蜂 の巣を破ったような騒動が出来 した。
それから、一同集って、手負 いを抱きあげて見ると、顔も体も血まみれで誰とも更に見分ける事が出来ない。が、耳へ口をつけて呼ぶと、漸く微 な声で、「細川越中」と答えた。続いて、「相手はどなたでござる」と尋ねたが、「上下 を着た男」と云う答えがあっただけで、その後は、もうこちらの声も通じないらしい。創 は「首構 七寸程、左肩 六七寸ばかり、右肩五寸ばかり、左右手四五ヶ所、鼻上耳脇また頭 に疵 二三ヶ所、背中右の脇腹まで筋違 に一尺五寸ばかり」である。そこで、当番御目付土屋長太郎、橋本阿波守 は勿論、大目付河野豊前守 も立ち合って、一まず手負いを、焚火 の間 へ舁 ぎこんだ。そうしてそのまわりを小屏風 で囲んで、五人の御坊主を附き添わせた上に、大広間詰の諸大名が、代る代る来て介抱 した。中でも松平兵部少輔 は、ここへ舁 ぎこむ途中から、最も親切に劬 ったので、わき眼にも、情誼の篤 さが忍ばれたそうである。
その間に、一方では老中 若年寄衆へこの急変を届けた上で、万一のために、玄関先から大手まで、厳しく門々を打たせてしまった。これを見た大手先 の大小名の家来 は、驚破 、殿中に椿事 があったと云うので、立ち騒ぐ事が一通りでない。何度目付衆が出て、制しても、すぐまた、海嘯 のように、押し返して来る。そこへ、殿中の混雑もまた、益々甚しくなり出した。これは御目付土屋長太郎が、御徒目付 、火の番などを召し連れて、番所番所から勝手まで、根気よく刃傷 の相手を探して歩いたが、どうしても、その「上下 を着た男」を見つける事が出来なかったからである。
すると、意外にも、相手は、これらの人々の眼にはかからないで、かえって宝井宗賀 と云う御坊主 のために、発見された。――宗賀は大胆な男で、これより先、一同のさがさないような場所場所を、独りでしらべて歩いていた。それがふと焚火 の間 の近くの厠 の中を見ると、鬢 の毛をかき乱した男が一人、影のように蹲 っている。うす暗いので、はっきりわからないが、どうやら鼻紙嚢 から鋏 を出して、そのかき乱した鬢 の毛を鋏んででもいるらしい。そこで宗賀 は、側へよって声をかけた。
「どなたでござる。」
「これは、人を殺したで、髪を切っているものでござる。」
男は、しわがれた声で、こう答えた。
もう疑う所はない。宗賀は、すぐに人を呼んで、この男を厠 の中から、ひきずり出した。そうして、とりあえず、それを御徒目付の手に渡した。
御徒目付はまた、それを蘇鉄 の間 へつれて行って、大目付始め御目付衆立ち合いの上で、刃傷 の仔細 を問い質 した。が、男は、物々しい殿中の騒ぎを、茫然と眺めるばかりで、更に答えらしい答えをしない。偶々 口を開けば、ただ時鳥 の事を云う。そうして、そのあい間には、血に染まった手で、何度となく、鬢の毛をかきむしった。――修理は既に、発狂 していたのである。
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細川越中守は、焚火の間で、息をひきとった。が、大御所 吉宗 の内意を受けて、手負 いと披露 したまま駕籠 で中の口から、平川口へ出て引きとらせた。公 に死去の届が出たのは、二十一日の事である。
修理 は、越中守が引きとった後 で、すぐに水野監物 に預けられた。これも中の口から、平川口へ、青網 をかけた駕籠 で出たのである。駕籠のまわりは水野家の足軽が五十人、一様に新しい柿の帷子 を着、新しい白の股引をはいて、新しい棒をつきながら、警固 した。――この行列は、監物 の日頃不意に備える手配 が、行きとどいていた証拠として、当時のほめ物になったそうである。
それから七日目の二十二日に、大目付石河土佐守が、上使 に立った。上使の趣は、「其方儀乱心したとは申しながら、細川越中守手疵養生 不相叶 致死去 候に付、水野監物宅にて切腹被申付 者也」と云うのである。
修理は、上使の前で、短刀を法の如くさし出されたが、茫然と手を膝の上に重ねたまま、とろうとする気色 もない。そこで、介錯 に立った水野の家来吉田弥三左衛門 が、止むを得ず後 からその首をうち落した。うち落したと云っても、喉 の皮一重 はのこっている。弥三左衛門は、その首を手にとって、下から検使の役人に見せた。頬骨 の高い、皮膚の黄ばんだ、いたいたしい首である。眼は勿論つぶっていない。
検使は、これを見ると、血のにおいを嗅 ぎながら、満足そうに、「見事」と声をかけた。
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同日、田中宇左衛門は、板倉式部の屋敷で、縛り首に処せられた。これは「修理病気に付、禁足申付候様にと屹度 、板倉佐渡守兼ねて申渡置候処、自身の計らいにて登城させ候故、かかる凶事出来 、七千石断絶に及び候段、言語道断の不届者 」という罪状である。
板倉周防守 、同式部、同佐渡守、酒井左衛門尉 、松平右近将監 等の一族縁者が、遠慮を仰せつかったのは云うまでもない。そのほか、越中守を見捨てて逃げた黒木閑斎 は、扶持 を召上げられた上、追放になった。
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修理 の刃傷 は、恐らく過失であろう。細川家の九曜 の星と、板倉家の九曜の巴と衣類の紋所 が似ているために、修理は、佐渡守を刺 そうとして、誤って越中守を害したのである。以前、毛利主水正 を、水野隼人正 が斬ったのも、やはりこの人違いであった。殊に、手水所 のような、うす暗い所では、こう云う間違いも、起りやすい。――これが当時の定評であった。
が、板倉佐渡守だけは、この定評をよろこばない。彼は、この話が出ると、いつも苦々しげに、こう云った。
「佐渡は、修理に刃傷されるような覚えは、毛頭 ない。まして、あの乱心者のした事じゃ。大方 、何と云う事もなく、肥後侯を斬ったのであろう。人違などとは、迷惑至極な臆測じゃ。その証拠には、大目付の前へ出ても、修理は、時鳥 がどうやら云うていたそうではないか。されば、時鳥じゃと思って、斬ったのかも知れぬ。」
肩がはる。頭痛がする。日頃好んでする書見にさえ、身がはいらない。
第一、
修理の神経衰弱は、この周囲の無理解のために、一層昂進の度を早めたらしい。彼は、
発狂――こう云う怖れは、修理自身にもあった。周囲が、それを感じていたのは云うまでもない。修理は勿論、この周囲の持っている怖れには反感を抱いている。しかし彼自身の感ずる怖れには、始めから反抗のしようがない。彼は、発作が止んで、前よりも一層幽鬱な心が重く頭を圧して来ると、時としてこの怖れが、稲妻のように、
――そう思うと、彼は、
勿論この怖れは、一方絶えず、外界の刺戟から来るいら立たしさに、かき消された。が、そのいら立たしさがまた、他方では、ややもすると、この怖れを眼ざめさせた。――云わば、修理の心は、自分の尾を追いかける猫のように、休みなく、不安から不安へと、廻転していたのである。
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林右衛門は、家老と云っても、実は本家の
林右衛門は、修理の逆上が眼に見えて、進み出して以来、夜の目も寝ないくらい、主家のために、心を
林右衛門は、こう思うと、居ても立っても、いられないような心もちがした。しかし彼に云わせると、逆上は「体の病」ではない。全く「心の病」である――彼はそこで、
だから、林右衛門は、
その
彼は、
何よりもまず、「家」である。(林右衛門はこう思った。)当主は「家」の前に、犠牲にしなければならない。ことに、板倉本家は、
こう思った林右衛門は、
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病弱な修理は、第一に、林右衛門の頑健な体を憎んだ。それから、
そこへ、突然、思いがけない
成程、林右衛門は、板倉家を大事に思うかも知れない。が、忠義と云うものは現在
彼は、内室からこの話を聞くと、すぐに、以前彼の
「林右衛門めを
宇左衛門は、半白の頭を傾けた。年よりもふけた、彼の顔は、この頃の心労で一層
「縛り首は
修理はこれを聞くと、
「いや人でなし
が、そう云いながら、どうしたのか、彼は、血の色のない
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縛り首にしろと云う命が出た事は、
「よいわ。この上は、林右衛門も意地ずくじゃ。手を
彼は昂然として、こう云った。そうして、今まで彼につきまとっていた
そこで、彼は、妻子家来を引き具して、白昼、修理の屋敷を立ち
二 田中宇左衛門
宇左衛門は、修理の
勿論、「家」と云う事も、彼の念頭には
その年の八月一日、徳川幕府では、
しかし、彼の悦びは、その日一日だけも、続かなかった。
すると、果して、修理が佐渡守に無礼の振舞があったと云う話である。――今日出仕を終ってから、修理は、
「よいか。」ここまで話して来て、佐渡守は、今更のように、苦い顔をした。
――第一に、林右衛門の立ち退いた趣を、一門衆へ通達しないのは、宇左衛門の罪である。第二に、まだ逆上の気味のある修理を、登城させたのも、やはり彼の責を免れない。佐渡守だったから、いいが、もし今日のような
「そこでじゃ。今後は必ずとも、他出無用に致すように、別して、出仕登城の儀は、その方より、堅くさし止むるがよい。」
佐渡守は、こう云って、じろりと宇左衛門を見た。
「
宇左衛門は眉をひそめながら、思切った声で答えた。
「よろしゅうござりまする、しかと
「おお、二度と
佐渡守は、吐き出すように、こう云った。
「その儀は、宇左衛門、一命にかけて、承知仕りました。」
彼は、眼に涙をためながら懇願するように、佐渡守を見た。が、その眼の中には、
佐渡守は、これを見ると、また顔をしかめながら、面倒臭そうに、横を向いた。
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「
しかし、自分には、それが出来ない。自分は、「家」の利害だけを計るには、余りに「
そうかと云って、「
遠くで
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それから、かれこれ十日ばかりの間、修理は、居間にとじこもって、毎日ぼんやり考え事に耽っていた。宇左衛門の顔を見ても、口を
所が、ある夜、十五日の総出仕が二三日の中に迫った時の事である。修理は突然宇左衛門をよびよせて、人払いの上、陰気な顔をしながら、こんな事を云った。
「
宇左衛門は、ためらった。これが本心なら、元よりこれに越した事はないが、どうして、修理はそれほど容易に、家督を譲る気になれたのであろう。――
「
「いや、いや、隠居の儀なら、林右衛門の成敗とは変って、相談せずとも、一門衆は同意の筈じゃ。」
修理、こう云って、
「さようでもございますまい。」
宇左衛門は、
「さて、隠居すれば、出仕しようと思うても出仕する事は出来ぬ。されば、」修理はじっと宇左衛門の顔を見ながら、一句一句、重みを
宇左衛門は、黙って、眉をひそめた。
「それも、たった一度じゃ。」
「恐れながら、その儀ばかりは。」
「いかぬか。」
二人は、顔を見合せながら、黙った。しんとした部屋の中には、油を吸う燈心の音よりほかに、聞えるものはない。――宇左衛門は、この暫くの間を、一年のように長く感じた。佐渡守へ云い切った手前、それを修理に許しては自分の武士がたたないからである。
「佐渡殿の云われた事は、承知の上での頼みじゃ。」
ほどを経て、修理が云った。
「登城を許せば、その方が、一門衆の
そう云いながら、彼の声は、次第に感動のふるえを帯びて来た。見れば、眼も涙ぐんでいる。
「世の
彼は、家老の前へ両手をついて、涙を落しながら、
「御手をおあげ下さいまし。御手をおあげ下さいまし。
彼は、
「よろしゅうございまする。佐渡守様が何とおっしゃりましょうとも、万一の場合には、宇左衛門
これを聞くと、修理の顔は、急に別人の如く喜びにかがやいた。その変り方には、役者のような巧みさがある。がまた、役者にないような自然さもある。――彼は、突然調子の
「おお、許してくれるか。
そう云って、彼は嬉しそうに、左右を顧みた。
「皆のもの、よう聞け。宇左衛門は、登城を許してくれたぞ。」
人払いをした居間には、彼と宇左衛門のほかに誰もいない。皆のもの――宇左衛門は、気づかわしそうに
三
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細川家は、諸侯の中でも、すぐれて、武備に富んだ大名である。
そう云えば、細川家には、この
そのほか、八月十四日の昼には、天文に通じている家来の
それが、翌日になると、また
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翌日、越中守は登城すると、
ところが、伴をしていた黒木閑斎が、不意の大変に
それから、一同集って、
その間に、一方では
すると、意外にも、相手は、これらの人々の眼にはかからないで、かえって
「どなたでござる。」
「これは、人を殺したで、髪を切っているものでござる。」
男は、しわがれた声で、こう答えた。
もう疑う所はない。宗賀は、すぐに人を呼んで、この男を
御徒目付はまた、それを
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細川越中守は、焚火の間で、息をひきとった。が、
それから七日目の二十二日に、大目付石河土佐守が、
修理は、上使の前で、短刀を法の如くさし出されたが、茫然と手を膝の上に重ねたまま、とろうとする
検使は、これを見ると、血のにおいを
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同日、田中宇左衛門は、板倉式部の屋敷で、縛り首に処せられた。これは「修理病気に付、禁足申付候様にと
板倉
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が、板倉佐渡守だけは、この定評をよろこばない。彼は、この話が出ると、いつも苦々しげに、こう云った。
「佐渡は、修理に刃傷されるような覚えは、
(大正六年二月)
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