日语文学作品赏析《竜》
作者:芥川龍之介
来源:青空文库
2010-01-06 00:00
一
宇治 の大納言隆国 「やれ、やれ、昼寝の夢が覚めて見れば、今日はまた一段と暑いようじゃ。あの松 ヶ枝 の藤 の花さえ、ゆさりとさせるほどの風も吹かぬ。いつもは涼しゅう聞える泉の音も、どうやら油蝉の声にまぎれて、反 って暑苦しゅうなってしもうた。どれ、また童部 たちに煽 いででも貰おうか。
「何、往来のものどもが集った? ではそちらへ参ると致そう。童部 たちもその大団扇 を忘れずに後からかついで参れ。
「やあ、皆のもの、予が隆国 じゃ。大肌ぬぎの無礼は赦 してくれい。
「さて今日はその方どもにちと頼みたい事があって、わざと、この宇治の亭へ足を止めて貰うたのじゃ。と申すはこの頃ふとここへ参って、予も人並に双紙 を一つ綴ろうと思い立ったが、つらつら独り考えて見れば、生憎 予はこれと云うて、筆にするほどの話も知らぬ。さりながらあだ面倒な趣向などを凝らすのも、予のような怠けものには、何より億劫千万 じゃ。ついては今日から往来のその方どもに、今は昔の物語を一つずつ聞かせて貰うて、それを双紙に編みなそうと思う。さすれば内裡 の内外 ばかりうろついて居 る予などには、思いもよらぬ逸事 奇聞が、舟にも載せ車にも積むほど、四方から集って参るに相違あるまい。何と、皆のもの、迷惑ながらこの所望を叶 えてくれる訳には行くまいか。
「何、叶えてくれる? それは重畳 、では早速一同の話を順々にこれで聞くと致そう。
「こりゃ童部 たち、一座へ風が通うように、その大団扇で煽 いでくれい。それで少しは涼しくもなろうと申すものじゃ。鋳物師 も陶器造 も遠慮は入らぬ。二人ともずっとこの机のほとりへ参れ。鮓売 の女も日が近くば、桶はその縁 の隅へ置いたが好 いぞ。わ法師も金鼓 を外 したらどうじゃ。そこな侍も山伏も簟 を敷いたろうな。
「よいか、支度が整うたら、まず第一に年かさな陶器造 の翁 から、何なりとも話してくれい。」
二
翁 「これは、これは、御叮嚀な御挨拶 で、下賤 な私 どもの申し上げます話を、一々双紙へ書いてやろうと仰有 います――そればかりでも、私の身にとりまして、どのくらい恐多いかわかりません。が、御辞退申しましては反 って御意 に逆 う道理でございますから、御免を蒙って、一通り多曖 もない昔話を申し上げると致しましょう。どうか御退屈でもしばらくの間、御耳を御借し下さいまし。
「私どものまだ年若な時分、奈良に蔵人得業 恵印 と申しまして、途方 もなく鼻の大きい法師 が一人居りました。しかもその鼻の先が、まるで蜂にでも刺されたかと思うくらい、年が年中恐しくまっ赤なのでございます。そこで奈良の町のものが、これに諢名 をつけまして、鼻蔵 ――と申しますのは、元来大鼻の蔵人得業 と呼ばれたのでございますが、それではちと長すぎると申しますので、やがて誰云うとなく鼻蔵人 と申し囃 しました。が、しばらく致しますと、それでもまだ長いと申しますので、さてこそ鼻蔵鼻蔵と、謡 われるようになったのでございます。現に私も一両度、その頃奈良の興福寺 の寺内で見かけた事がございますが、いかさま鼻蔵とでも譏 られそうな、世にも見事な赤鼻の天狗鼻 でございました。その鼻蔵の、鼻蔵人の、大鼻の蔵人得業の恵印法師 が、ある夜の事、弟子もつれずにただ一人そっと猿沢 の池のほとりへ参りまして、あの采女柳 の前の堤 へ、『三月三日この池より竜昇らんずるなり』と筆太に書いた建札を、高々と一本打ちました。けれども恵印 は実の所、猿沢の池に竜などがほんとうに住んでいたかどうか、心得ていた訳ではございません。ましてその竜が三月三日に天上 すると申す事は、全く口から出まかせの法螺 なのでございます。いや、どちらかと申しましたら、天上しないと申す方がまだ確かだったのでございましょう。ではどうしてそんな入らざる真似を致したかと申しますと、恵印は日頃から奈良の僧俗が何かにつけて自分の鼻を笑いものにするのが不平なので、今度こそこの鼻蔵人がうまく一番かついだ挙句 、さんざん笑い返してやろうと、こう云う魂胆 で悪戯 にとりかかったのでございます。御前 などが御聞きになりましたら、さぞ笑止 な事と思召しましょうが、何分今は昔の御話で、その頃はかような悪戯を致しますものが、とかくどこにもあり勝ちでございました。
「さてあくる日、第一にこの建札を見つけましたのは、毎朝興福寺の如来様 を拝みに参ります婆さんで、これが珠数 をかけた手に竹杖をせっせとつき立てながら、まだ靄 のかかっている池のほとりへ来かかりますと、昨日 までなかった建札が、采女柳の下に立って居ります。はて法会 の建札にしては妙な所に立っているなと不審には思ったのでございますが、何分文字が読めませんので、そのまま通りすぎようと致しました時、折よく向うから偏衫 を着た法師が一人、通りかかったものでございますから、頼んで読んで貰いますと、何しろ『三月三日この池より竜昇らんずるなり』で、――誰でもこれには驚いたでございましょう。その婆さんも呆気 にとられて、曲った腰をのしながら、『この池に竜などが居りましょうかいな。』と、とぼんと法師の顔を見上げますと、法師は反って落ち着き払って、『昔、唐 のある学者が眉 の上に瘤 が出来て、痒 うてたまらなんだ事があるが、ある日一天俄 に掻き曇って、雷雨車軸を流すがごとく降り注 いだと見てあれば、たちまちその瘤がふっつと裂けて、中から一匹の黒竜が雲を捲いて一文字に昇天したと云う話もござる。瘤の中にさえ竜が居たなら、ましてこれほどの池の底には、何十匹となく蛟竜 毒蛇が蟠 って居ようも知れぬ道理 じゃ。』と、説法したそうでございます。何しろ出家に妄語 はないと日頃から思いこんだ婆さんの事でございますから、これを聞いて肝 を消しますまい事か、『成程そう承りますれば、どうやらあの辺の水の色が怪しいように見えますわいな。』で、まだ三月三日にもなりませんのに、法師を独り後に残して、喘 ぎ喘ぎ念仏を申しながら、竹杖をつく間 もまだるこしそうに急いで逃げてしまいました。後で人目がございませんでしたら、腹を抱えたかったのはこの法師で――これはそうでございましょう。実はあの発頭人 の得業 恵印 、諢名 は鼻蔵 が、もう昨夜 建てた高札 にひっかかった鳥がありそうだくらいな、はなはだ怪しからん量見で、容子 を見ながら、池のほとりを、歩いて居ったのでございますから。が、婆さんの行った後には、もう早立ちの旅人と見えて、伴 の下人 に荷を負わせた虫の垂衣 の女が一人、市女笠 の下から建札を読んで居るのでございます。そこで恵印は大事をとって、一生懸命笑を噛み殺しながら、自分も建札の前に立って一応読むようなふりをすると、あの大鼻の赤鼻をさも不思議そうに鳴らして見せて、それからのそのそ興福寺 の方へ引返して参りました。
「すると興福寺の南大門 の前で、思いがけなく顔を合せましたのは、同じ坊に住んで居った恵門 と申す法師でございます。それが恵印 に出会いますと、ふだんから片意地なげじげじ眉をちょいとひそめて、『御坊 には珍しい早起きでござるな。これは天気が変るかも知れませぬぞ。』と申しますから、こちらは得たり賢しと鼻を一ぱいににやつきながら、『いかにも天気ぐらいは変るかも知れませぬて。聞けばあの猿沢の池から三月三日には、竜が天上するとか申すではござらぬか。』と、したり顔に答えました。これを聞いた恵門は疑わしそうに、じろりと恵印の顔を睨 めましたが、すぐに喉を鳴らしながらせせら笑って、『御坊は善い夢を見られたな。いやさ、竜の天上するなどと申す夢は吉兆じゃとか聞いた事がござる。』と、鉢 の開 いた頭を聳 かせたまま、行きすぎようと致しましたが、恵印はまるで独り言のように、『はてさて、縁無き衆生 は度 し難しじゃ。』と、呟 いた声でも聞えたのでございましょう。麻緒 の足駄 の歯を□ って、憎々 しげにふり返りますと、まるで法論でもしかけそうな勢いで、『それとも竜が天上すると申す、しかとした証拠がござるかな。』と問い詰 るのでございます。そこで恵印はわざと悠々と、もう朝日の光がさし始めた池の方を指さしまして、『愚僧の申す事が疑わしければ、あの采女柳 の前にある高札 を読まれたがよろしゅうござろう。』と、見下 すように答えました。これにはさすがに片意地な恵門も、少しは鋒 を挫かれたのか、眩 しそうな瞬 きを一つすると、『ははあ、そのような高札 が建ちましたか。』と気のない声で云い捨てながら、またてくてくと歩き出しましたが、今度は鉢の開いた頭を傾けて、何やら考えて行くらしいのでございます。その後姿を見送った鼻蔵人 の可笑 しさは、大抵御推察が参りましょう。恵印 はどうやら赤鼻の奥がむず痒 いような心もちがして、しかつめらしく南大門 の石段を上って行く中にも、思わず吹き出さずには居られませんでした。
「その朝でさえ『三月三日この池より竜昇らんずるなり』の建札は、これほどの利 き目がございましたから、まして一日二日と経って見ますと、奈良の町中どこへ行っても、この猿沢 の池の竜の噂 が出ない所はございません。元より中には『あの建札も誰かの悪戯 であろう。』など申すものもございましたが、折から京では神泉苑 の竜が天上致したなどと申す評判もございましたので、そう云うものさえ内心では半信半疑と申しましょうか、事によるとそんな大変があるかも知れないぐらいな気にはなって居ったのでございます。するとここにまた思いもよらない不思議が起ったと申しますのは、春日 の御社 に仕えて居りますある禰宜 の一人娘で、とって九つになりますのが、その後 十日と経たない中に、ある夜母の膝を枕にしてうとうとと致して居りますと、天から一匹の黒竜が雲のように降って来て、『わしはいよいよ三月三日に天上する事になったが、決してお前たち町のものに迷惑はかけない心算 だから、どうか安心していてくれい。』と人語を放って申しました。そこで娘は目がさめるとすぐにこれこれこうこうと母親に話しましたので、さては猿沢の池の竜が夢枕 に立ったのだと、たちまちまたそれが町中の大 評判になったではございませんか。こうなると話にも尾鰭 がついて、やれあすこの稚児 にも竜が憑 いて歌を詠んだの、やれここの巫女 にも竜が現れて託宣 をしたのと、まるでその猿沢の池の竜が今にもあの水の上へ、首でも出しそうな騒ぎでございます。いや、首までは出しも致しますまいが、その中に竜の正体を、目 のあたりにしかと見とどけたと申す男さえ出て参りました。これは毎朝川魚を市 へ売りに出ます老爺 で、その日もまだうす暗いのに猿沢の池へかかりますと、あの采女柳 の枝垂 れたあたり、建札のある堤 の下に漫々と湛えた夜明け前の水が、そこだけほんのりとうす明 く見えたそうでございます。何分にも竜の噂がやかましい時分でございますから、『さては竜神 の御出ましか。』と、嬉しいともつかず、恐しいともつかず、ただぶるぶる胴震 いをしながら、川魚の荷をそこへ置くなり、ぬき足にそっと忍び寄ると、采女柳につかまって、透 かすように、池を窺いました。するとそのほの明 い水の底に、黒金 の鎖を巻いたような何とも知れない怪しい物が、じっと蟠 って居りましたが、たちまち人音 に驚いたのか、ずるりとそのとぐろをほどきますと、見る見る池の面 に水脈 が立って、怪しい物の姿はどことも知れず消え失せてしまったそうでございます。が、これを見ました老爺 は、やがて総身 に汗をかいて、荷を下した所へ来て見ますと、いつの間にか鯉鮒 合せて二十尾 もいた商売物 がなくなっていたそうでございますから、『大方 劫 を経た獺 にでも欺 されたのであろう。』などと哂 うものもございました。けれども中には『竜王が鎮護遊ばすあの池に獺の棲 もう筈もないから、それはきっと竜王が魚鱗 の命を御憫 みになって、御自分のいらっしゃる池の中へ御召し寄せなすったのに相違ない。』と申すものも、思いのほか多かったようでございます。
「こちらは鼻蔵 の恵印法師 で、『三月三日この池より竜昇らんずるなり』の建札が大評判になるにつけ、内々 あの大鼻をうごめかしては、にやにや笑って居りましたが、やがてその三月三日も四五日の中に迫って参りますと、驚いた事には摂津 の国桜井 にいる叔母の尼が、是非その竜の昇天を見物したいと申すので、遠い路をはるばると上って参ったではございませんか。これには恵印も当惑して、嚇 すやら、賺 すやら、いろいろ手を尽して桜井へ帰って貰おうと致しましたが、叔母は、『わしもこの年じゃで、竜王 の御姿をたった一目拝みさえすれば、もう往生しても本望じゃ。』と、剛情にも腰を据えて、甥の申す事などには耳を借そうとも致しません。と申してあの建札は自分が悪戯 に建てたのだとも、今更白状する訳には参りませんから、恵印もとうとう我 を折って、三月三日まではその叔母の世話を引き受けたばかりでなく、当日は一しょに竜神 の天上する所を見に行くと云う約束までもさせられました。さてこうなって考えますと、叔母の尼さえ竜の事を聞き伝えたのでございますから、大和 の国内は申すまでもなく、摂津の国、和泉 の国、河内 の国を始めとして、事によると播磨 の国、山城 の国、近江 の国、丹波 の国のあたりまでも、もうこの噂が一円 にひろまっているのでございましょう。つまり奈良の老若 をかつごうと思ってした悪戯が、思いもよらず四方 の国々で何万人とも知れない人間を瞞 す事になってしまったのでございます。恵印はそう思いますと、可笑 しいよりは何となく空恐しい気が先に立って、朝夕 叔母の尼の案内がてら、つれ立って奈良の寺々を見物して歩いて居ります間も、とんと検非違使 の眼を偸 んで、身を隠している罪人のような後 めたい思いがして居りました。が、時々往来のものの話などで、あの建札へこの頃は香花 が手向 けてあると云う噂を聞く事でもございますと、やはり気味の悪い一方では、一 かど大手柄でも建てたような嬉しい気が致すのでございます。
「その内に追い追い日数 が経って、とうとう竜の天上する三月三日になってしまいました。そこで恵印は約束の手前、今更ほかに致し方もございませんから、渋々叔母の尼の伴 をして、猿沢 の池が一目に見えるあの興福寺 の南大門 の石段の上へ参りました。丁度その日は空もほがらかに晴れ渡って、門の風鐸 を鳴らすほどの風さえ吹く気色 はございませんでしたが、それでも今日 と云う今日を待ち兼ねていた見物は、奈良の町は申すに及ばず、河内、和泉、摂津、播磨、山城、近江、丹波の国々からも押し寄せて参ったのでございましょう。石段の上に立って眺めますと、見渡す限り西も東も一面の人の海で、それがまた末はほのぼのと霞をかけた二条の大路 のはてのはてまで、ありとあらゆる烏帽子 の波をざわめかせて居るのでございます。と思うとそのところどころには、青糸毛 だの、赤糸毛 だの、あるいはまた栴檀庇 だのの数寄 を凝らした牛車 が、のっしりとあたりの人波を抑えて、屋形 に打った金銀の金具 を折からうららかな春の日ざしに、眩 ゆくきらめかせて居りました。そのほか、日傘 をかざすもの、平張 を空に張り渡すもの、あるいはまた仰々 しく桟敷 を路に連ねるもの――まるで目の下の池のまわりは時ならない加茂 の祭でも渡りそうな景色でございます。これを見た恵印法師 はまさかあの建札を立てたばかりで、これほどの大騒ぎが始まろうとは夢にも思わずに居りましたから、さも呆れ返ったように叔母の尼の方をふり向きますと、『いやはや、飛んでもない人出でござるな。』と情けない声で申したきり、さすがに今日は大鼻を鳴らすだけの元気も出ないと見えて、そのまま南大門 の柱の根がたへ意気地 なく蹲 ってしまいました。
「けれども元より叔母の尼には、恵印のそんな腹の底が呑みこめる訳もございませんから、こちらは頭巾 もずり落ちるほど一生懸命首を延ばして、あちらこちらを見渡しながら、成程竜神の御棲 まいになる池の景色は格別だの、これほどの人出がした上からは、きっと竜神も御姿を御現わしなさるだろうのと、何かと恵印をつかまえては話しかけるのでございます。そこでこちらも柱の根がたに坐ってばかりは居られませんので、嫌々腰を擡 げて見ますと、ここにも揉烏帽子 や侍烏帽子 が人山 を築いて居りましたが、その中に交ってあの恵門法師 も、相不変 鉢の開いた頭を一きわ高く聳やかせながら、鵜 の目もふらず池の方を眺めて居るではございませんか。恵印は急に今までの情けない気もちも忘れてしまって、ただこの男さえかついでやったと云う可笑 しさに独り擽 られながら、『御坊 』と一つ声をかけて、それから『御坊も竜の天上を御覧かな。』とからかうように申しましたが、恵門は横柄 にふりかえると、思いのほか真面目な顔で、『さようでござる。御同様大分 待ち遠い思いをしますな。』と、例のげじげじ眉も動かさずに答えるのでございます。これはちと薬が利きすぎた――と思うと、浮いた声も自然に出なくなってしまいましたから、恵印はまた元の通り世にも心細そうな顔をして、ぼんやり人の海の向うにある猿沢 の池を見下しました。が、池はもう温 んだらしい底光りのする水の面 に、堤をめぐった桜や柳を鮮にじっと映したまま、いつになっても竜などを天上させる気色 もございません。殊にそのまわりの何里四方が、隙き間もなく見物の人数 で埋 まってでもいるせいか、今日は池の広さが日頃より一層狭く見えるようで、第一ここに竜が居ると云うそれがそもそも途方 もない嘘のような気が致すのでございます。
「が、一時一時 と時の移って行くのも知らないように、見物は皆片唾 を飲んで、気長に竜の天上を待ちかまえて居るのでございましょう。門の下の人の海は益 広がって行くばかりで、しばらくする内には牛車 の数 も、所によっては車の軸が互に押し合いへし合うほど、多くなって参りました。それを見た恵印の情けなさは、大概前からの行きがかりでも、御推察が参るでございましょう。が、ここに妙な事が起ったと申しますのは、どう云うものか、恵印の心にもほんとうに竜が昇りそうな――それも始はどちらかと申すと、昇らない事もなさそうな気がし出した事でございます。恵印は元よりあの高札 を打った当人でございますから、そんな莫迦 げた気のすることはありそうもないものでございますが、目の下で寄せつ返しつしている烏帽子 の波を見て居りますと、どうもそんな大変が起りそうな気が致してなりません。これは見物の人数の心もちがいつとなく鼻蔵 にも乗り移ったのでございましょうか。それともあの建札を建てたばかりに、こんな騒ぎが始まったと思うと、何となく気が咎 めるので、知らず知らずほんとうに竜が昇ってくれれば好 いと念じ出したのでございましょうか。その辺の事情はともかくも、あの高札の文句を書いたものは自分だと重々 承知しながら、それでも恵印は次第次第に情けない気もちが薄くなって、自分も叔母の尼と同じように飽かず池の面 を眺め始めました。また成程 そう云う気が起りでも致しませんでしたら、昇る気づかいのない竜を待って、いかに不承不承 とは申すものの、南大門 の下に小一日 も立って居る訳には参りますまい。
「けれども猿沢の池は前の通り、漣 も立てずに春の日ざしを照り返して居るばかりでございます。空もやはりほがらかに晴れ渡って、拳 ほどの雲の影さえ漂って居る容子 はございません。が、見物は相不変 、日傘の陰にも、平張 の下にも、あるいはまた桟敷 の欄干の後 にも、簇々 と重なり重なって、朝から午 へ、午から夕 へ日影が移るのも忘れたように、竜王が姿を現すのを今か今かと待って居りました。
「すると恵印 がそこへ来てから、やがて半日もすぎた時分、まるで線香の煙のような一すじの雲が中空 にたなびいたと思いますと、見る間にそれが大きくなって、今までのどかに晴れていた空が、俄 にうす暗く変りました。その途端 に一陣の風がさっと、猿沢の池に落ちて、鏡のように見えた水の面に無数の波を描 きましたが、さすがに覚悟はしていながら慌てまどった見物が、あれよあれよと申す間もなく、天を傾けてまっ白にどっと雨が降り出したではございませんか。のみならず神鳴 も急に凄じく鳴りはためいて、絶えず稲妻 が梭 のように飛びちがうのでございます。それが一度鍵の手に群る雲を引っ裂いて、余る勢いに池の水を柱のごとく捲き起したようでございましたが、恵印の眼にはその刹那、その水煙と雲との間に、金色 の爪を閃 かせて一文字に空へ昇って行く十丈あまりの黒竜が、朦朧 として映りました。が、それは瞬 く暇で、後 はただ風雨の中に、池をめぐった桜の花がまっ暗な空へ飛ぶのばかり見えたと申す事でございます――度を失った見物が右往左往に逃げ惑って、池にも劣らない人波を稲妻の下で打たせた事は、今更別にくだくだしく申し上るまでもございますまい。
「さてその内に豪雨 もやんで、青空が雲間 に見え出しますと、恵印は鼻の大きいのも忘れたような顔色で、きょろきょろあたりを見廻しました。一体今見た竜の姿は眼のせいではなかったろうか――そう思うと、自分が高札を打った当人だけに、どうも竜の天上するなどと申す事は、なさそうな気も致して参ります。と申して、見た事は確かに見たのでございますから、考えれば考えるほど益 審 でたまりません。そこで側 の柱の下に死んだようになって坐っていた叔母の尼を抱 き起しますと、妙にてれた容子 も隠しきれないで、『竜を御覧 じられたかな。』と臆病らしく尋ねました。すると叔母は大息をついて、しばらくは口もきけないのか、ただ何度となく恐ろしそうに頷 くばかりでございましたが、やがてまた震え声で、『見たともの、見たともの、金色 の爪ばかり閃かいた、一面にまっ黒な竜神 じゃろが。』と答えるのでございます。して見ますと竜を見たのは、何も鼻蔵人 の得業恵印 の眼のせいばかりではなかったのでございましょう。いや、後で世間の評判を聞きますと、その日そこに居合せた老若男女 は、大抵皆雲の中に黒竜の天へ昇る姿を見たと申す事でございました。
「その後恵印は何かの拍子 に、実はあの建札は自分の悪戯 だったと申す事を白状してしまいましたが、恵門を始め仲間の法師は一人もその白状をほんとうとは思わなかったそうでございます。これで一体あの建札の悪戯は図星 に中 ったのでございましょうか。それとも的 を外れたのでございましょうか。鼻蔵 の、鼻蔵人 の、大鼻の蔵人得業 の恵印法師に尋ねましても、恐らくこの返答ばかりは致し兼ねるのに相違ございますまい…………」
三
宇治大納言隆国 「なるほどこれは面妖 な話じゃ。昔はあの猿沢池 にも、竜が棲 んで居ったと見えるな。何、昔もいたかどうか分らぬ。いや、昔は棲んで居ったに相違あるまい。昔は天 が下の人間も皆心 から水底 には竜が住むと思うて居った。さすれば竜もおのずから天地 の間 に飛行 して、神のごとく折々は不思議な姿を現した筈じゃ。が、予に談議を致させるよりは、その方どもの話を聞かせてくれい。次は行脚 の法師の番じゃな。
「何、その方の物語は、池 の尾 の禅智内供 とか申す鼻の長い法師の事じゃ? これはまた鼻蔵の後だけに、一段と面白かろう。では早速話してくれい。――」
「何、往来のものどもが集った? ではそちらへ参ると致そう。
「やあ、皆のもの、予が
「さて今日はその方どもにちと頼みたい事があって、わざと、この宇治の亭へ足を止めて貰うたのじゃ。と申すはこの頃ふとここへ参って、予も人並に
「何、叶えてくれる? それは
「こりゃ
「よいか、支度が整うたら、まず第一に年かさな
二
「私どものまだ年若な時分、奈良に
「さてあくる日、第一にこの建札を見つけましたのは、毎朝興福寺の
「すると興福寺の
「その朝でさえ『三月三日この池より竜昇らんずるなり』の建札は、これほどの
「こちらは
「その内に追い追い
「けれども元より叔母の尼には、恵印のそんな腹の底が呑みこめる訳もございませんから、こちらは
「が、
「けれども猿沢の池は前の通り、
「すると
「さてその内に
「その後恵印は何かの
三
「何、その方の物語は、
(大正八年四月)
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