日语文学作品赏析《素描三題》
作者:芥川龍之介
来源:青空文库
2010-01-06 00:00
一 お宗 さん
お宗 さんは髪の毛の薄いためにどこへも縁 づかない覚悟をしてゐた。が、髪の毛の薄いことはそれ自身お宗さんには愉快ではなかつた。お宗さんは地肌の透 いた頭へいろいろの毛生 え薬をなすつたりした。
「どれも広告ほどのことはないんですよ。」
かういふお宗さんも声だけは善かつた。そこで賃仕事の片手間 に一中節 の稽古 をし、もし上達するものとすれば師匠 になるのも善いと思ひ出した。しかし一中節はむづかしかつた。のみならず酒癖 の悪い師匠は、時々お宗さんをつかまへては小言 以上の小言を言つたりした。
「お前なんどは肥 たご桶 を叩いて甚句 でもうたつてお出 でなさりや善 いのに。」
師匠は酒の醒 めてゐる時には決してお宗さんにも粗略ではなかつた。しかし一度言はれた小言はお宗さんをひがませずには措 かなかつた。「どうせあたしは檀那衆 のやうによくする訣 には行 かないんだから。」――お宗さんは時々兄さんにもそんな愚痴 などをこぼしてゐた。
「曾我 の五郎と十郎とは一体どつちが兄さんです?」
四十を越したお宗さんは「形見 おくり」を習つてゐるうちに真面目 にかういふことを尋ねたりした。この返事には誰も当惑 した。誰も? ――いや「誰も」ではない。やつと小学校へはひつた僕はすぐに「十郎が兄さんですよ」といひ、反 つてみんなに笑はれたのを羞 しがらずにはゐられなかつた。
「何しろああいふお師匠さんぢやね。」
一中節 の師匠 になることはとうとうお宗 さんには出来なかつた。お宗さんはあの震災のために家も何も焼かれたとかいふことだつた。のみならず一時は頭の具合 も妙になつたとかいふことだつた。僕はお宗さんの髪の毛も何か頭の病気のために薄いのではないかと思つてゐる。お宗さんの使つた毛生え薬は何も売薬 ばかりではない。お宗さんはいつか蝙蝠 の生き血を一面に頭に塗りつけてゐた。
「鼠の子の生き血も善 いといふんですけれども。」
お宗さんは円 い目をくるくるさせながら、きよとんとしてこんなことも言つたものだつた。
二 裏畠
それはKさんの家の後 ろにある二百坪ばかりの畠 だつた。Kさんはそこに野菜のほかにもポンポン・ダリアを作つてゐた。その畠を塞 いでゐるのは一日に五、六度汽車の通る一間 ばかりの堤 だつた。
或夏も暮れかかつた午後、Kさんはこの畠へ出、もう花もまれになつたポンポン・ダリアに鋏 を入れてゐた。すると汽車は堤の上をどつと一息 に通りすぎながら、何度も鋭い非常警笛を鳴らした。同時に何か黒いものが一つ畠の隅へころげ落ちた。Kさんはそちらを見る拍子 に「又庭鳥 がやられたな」と思つた。それは実際黒い羽根 に青い光沢 を持つてゐるミノルカ種 の庭鳥にそつくりだつた。のみならず何か□冠 らしいものもちらりと見えたのに違ひなかつた。
しかし庭鳥と思つたのはKさんにはほんの一瞬間だつた。Kさんはそこに佇 んだまま、あつけにとられずにはゐられなかつた。その畠へころげこんだものは実は今汽車に轢 かれた二十四五の男の頭だつた。
三 武さん
武 さんは二十八歳の時に何かにすがりたい慾望を感じ、(この慾望を生じた原因は特にここに言はずともよい。)当時名高い小説家だつたK先生を尋ねることにした。が、K先生はどう思つたか、武さんを玄関の中へ入れずに格子 戸越しにかう言ふのだつた。
「御用向きは何ですか?」
武さんはそこに佇 んだまま、一部始終 をK先生に話した。
「その問題を解決するのはわたしの任ではありません。Tさんのところへお出でなさい。」
T先生は基督 教的色彩を帯びた、やはり名高い小説家だつた。武さんは早速 その日のうちにT先生を訪問した。T先生は玄関へ顔を出すと、「わたしがTです。ではさやうなら」と言つたぎり、さつさと奥へ引きこまうとした。武さんは慌 ててT先生を呼びとめ、もう一度あらゆる事情を話した。
「さあ、それはむづかしい。……どうです、Uさんのところへ行つて見ては?」
武さんはやつと三度目にU先生に辿 り着いた。U先生は小説家ではない。名高い基督 教的思想家だつた。武さんはこのU先生により、次第に信仰へはひつて行つた。同時に又次第に現世 には珍らしい生活へはひつて行つた。
それは唯はた目には石鹸 や歯磨 きを売る行商 だつた。しかし武さんは飯 さへ食へれば、滅多 に荷を背負 つて出かけたことはなかつた。その代りにトルストイを読んだり、蕪村 句集講義を読んだり、就中 聖書を筆写したりした。武さんの筆写した新旧約聖書は何千枚かにのぼつてゐるであらう。兎 に角 武さんは昔の坊さんの法華経 などを筆写したやうに勇猛に聖書を筆写したのである。
或夏の近づいた月夜、武 さんは荷物を背負 つたまま、ぶらぶら行商 から帰つて来た。すると家の近くへ来た時、何か柔 かいものを踏みつぶした。それは月の光に透かして見ると、一匹の蟇 がへるに違ひなかつた。武さんは「俺 は悪いことをした」と思つた。それから家へ帰つて来ると、寝床の前に跪 き、「神様、どうかあの蟇 がへるをお助け下さい」と十分ほど熱心に祈祷 をした。(武さんは立ち小便をする時にも草木 のない所にしたことはない。尤 もその為に一本の若木の枯れてしまつたことは確かである。)
武さんを翌朝起したのはいつも早い牛乳配達だつた。牛乳配達は武さんの顔を見ると、紫がかつた壜 をさし出しながら、晴れやかに武さんに話しかけた。
「今あすこを通つて来ると、踏みつぶされた蟇 がへるが一匹向うの草の中へはひつて行 きましたよ。蟇がへるなどといふやつは強いものですね。」
武さんは牛乳配達の帰つた後 、早速 感謝の祈祷をした。――これは武さんの直話 である。僕は現世にもかういふ奇蹟 の行はれるといふことを語りたいのではない。唯現世にもかういふ人のゐるといふことを語りたいのである。僕の考へは武さんの考へとは、――僕にこの話をした武さんの考へとは或は反対になるであらう。しかし僕は不幸にも武さんのやうに信仰にはひつてゐない。従つて考への喰ひ違ふのはやむを得ないことと思つてゐる。
お
「どれも広告ほどのことはないんですよ。」
かういふお宗さんも声だけは善かつた。そこで賃仕事の
「お前なんどは
師匠は酒の
「
四十を越したお宗さんは「
「何しろああいふお師匠さんぢやね。」
「鼠の子の生き血も
お宗さんは
二 裏畠
それはKさんの家の
或夏も暮れかかつた午後、Kさんはこの畠へ出、もう花もまれになつたポンポン・ダリアに
しかし庭鳥と思つたのはKさんにはほんの一瞬間だつた。Kさんはそこに
三 武さん
「御用向きは何ですか?」
武さんはそこに
「その問題を解決するのはわたしの任ではありません。Tさんのところへお出でなさい。」
T先生は
「さあ、それはむづかしい。……どうです、Uさんのところへ行つて見ては?」
武さんはやつと三度目にU先生に
それは唯はた目には
或夏の近づいた月夜、
武さんを翌朝起したのはいつも早い牛乳配達だつた。牛乳配達は武さんの顔を見ると、紫がかつた
「今あすこを通つて来ると、踏みつぶされた
武さんは牛乳配達の帰つた
(昭和二・五・六)
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