MRIを見て、めちゃめちゃアートだなって
看了脑部MRI,觉得好有艺术感。

脳腫瘍のひとつである髄膜腫を患い、2017年2月に手術を受けた関ジャニ∞・安田章大は、今年9月に写真集『LIFE IS』を発売した。リアルな部分をどこまでも見せようという安田の覚悟と悟り方を追いかけた。

患上髓膜瘤并在2017年2月做了切除手术的关八成员安田章大,在今年9月发售了写真集《LIFE IS》。写真集中向世人尽可能展现真实性的安田,我们尝试揭示了他的觉悟性。

「ジャニーズを、もしやめたら芸能には一切関係しないつもりでいるので」関ジャニ∞・安田章大は強く言い切った。

他曾坚定地表示过:“如果退出杰尼斯,我不打算留在娱乐圈。”

他の場所での芸能活動について聞かれても「自分の中で仁義としてはちょっと違う」と答え、「ジャニーさんとメリーさんに失礼」「ジャニーさん・メリーさんの2人は両親だと思っている」と、事務所の創設者であるジャニー喜多川・メリー喜多川への感謝とともに言葉を重ねた。

当问起是否有可能在杰尼斯以外的地方进行艺能活动,他表示否认“这和我所认定的仁义相悖”,并对事务所两位创始人表达感谢之情:“这样对爷爷和玛丽桑太失礼了”“两位对我来说是再生父母。”

もちろん「去っていった2人は今でも応援してる」と、2018年以降相次いで関ジャニ∞を脱退、ジャニーズ事務所も退所したメンバーにも気を配る優しさも見せながら(*1)。

他对2018年后相继离开组合和J家的两名前成员也颇为关心:“现在依然支持着他们”。(*1)。

この発言のみならず、最近の安田のメディアにのる言葉が、正直で、強く優しいものに変化してきている。

其实不仅如此,最近安田在公众场合所发出的言论,变得更为正直坚强和温柔。

きっかけとなったのは、脳腫瘍のひとつである髄膜腫を患い、2017年2月に手術を受けたこと。腫瘍が発見されずに放置されていたら、ステージ上で死んでいた可能性もあったというほど大きな病気だ(*2)。

而成为契机的,是他在2017年2月因患上髓膜瘤而接受手术一事。如此大病若置之不理,很有可能死在舞台上(*2)。

最近の安田が色付きのメガネをかけているのも、手術の後遺症によるもの。しばらく病気のことを公表していなかったが、2018年に公にし、今年9月には写真集『LIFE IS』を発売した。

近两年,安田戴上有颜色镜片眼镜也是后遗症造成的。术后一年(2018年)公开了生病一事,2020年9月发售了个人首本写真集《LIFE IS》。

2018年公开生病的一大原因,是因为后遗症于18年4月在家中晕倒导致背部骨折,不要说跳舞连走路都十分困难,
而彼时又快接近五大巨蛋巡演日程,经本人和成员多次沟通最终还是决定站上舞台。

考虑到安田的身体状况,当年的巡演歌单中几乎没有舞曲。

2019年团体出道十五周年全国巨蛋巡演《十五祭》上,yasu高兴地向粉丝大喊“我终于可以跳舞啦”。

いわゆる“アイドル写真集”ではない。安田が人生で初めて直談判して実現した仕事だというこの写真集(*3)。

可以说,《LIFE IS》不是一本大众意义的“偶像写真集”,它还是安田人生第一次自己找工作人员谈判所实现的写真集(*3)。

「脳の腫瘍のMRIを見て、僕、めちゃめちゃアートだなって思って」(*2)と、脳のMRI画像をはじめ、手術後の顔が腫れ上がった写真、頭を縫い合わせた部分のアップの写真などがミニブックとして付属していて、全てを見せようとする覚悟が伝わってくる。

“当时看着自己脑部的MRI,觉得超有艺术感诶”(*2)。写真集附赠迷你小册子里,有以当时yasu的脑部MRI图,术后肿着脸庞的照片,还有缝合头部的特写图等,表达了想要全部展现给读者的觉悟。

「比起恐惧,我首先感受到的是“好有艺术氛围啊”。」

「医生说我脑袋里有棒球这么大的肿瘤,那时还不觉得有什么,当动完手术后看到父母担心的脸庞后,我才感到很悲伤。」

「切除手术差不多进行了12个小时左右」

「两年时间经历两次生死之危,有时候也会想“为什么我要承受这样的痛苦”。」

「妈妈拍下了我术后肿到不行的样子,我觉得超好笑的,还发在关八群里给大家看。」

リアルを伝えることも使命
传递真实也是使命

病気を経て、安田はこう語っている。

历经一场大病的安田如是说道。

「アイドル・安田章大を、偶像ではなく人間像に切り替えなきゃっていう考え方に変わりました」(*2)

“我的想法有了改变,偶像安田章大不再是作为偶像,而是一个有着情感活生生的普通人。(*2)”

逆にこれまでは「自分がアイドルとしてあるべき姿を考えすぎていて、本来の自分を伏せて生きてきた」という安田(*3)。

倒不如说以前的安田“太过于考虑作为偶像应有的姿态,而隐去了自己原本的样子。(*3)”

ジャニーズ事務所入りから23年、現在36歳。

在杰尼斯23年,今年36岁。

「アイドルとして自分の表現は二の次にするのが当たり前で、それがプロだと思っていた」(*3)とも語っているが、“プロのアイドル”としての役割はもう充分に果たしてくれたのかもしれない。

他曾认为“作为偶像,把自身排在后面是理所当然的,那样才是专业精神。(*3)”但是,yasu作为“偶像楷模”其实已经得到了充分发挥不是吗。

プロのアイドルとして、きちんと人気を博してから、自らの表現をする段階に移行する。

一名优秀的偶像,脚踏实地努力工作,拥有忠实的粉丝,博得人气,接下去就是实现自我层面的阶段了。

似ている――と安易に言ってしまっては双方に失礼だが、同じような変化を遂げてきたと言えるのが、同じ関西出身のジャニーズ・KinKi Kidsの堂本剛である。

简单说像,可能对双方都有些失礼,而谈起同样转型成功的,不得不提同为关西出身的KinKi Kids堂本刚。

小学6年生でジャニーズ事務所に入所し、18歳でCDデビューした堂本剛は、30歳を目前にした頃から、しきりにこう発言するようになった。

小学六年级加入杰尼斯,18岁CD出道的堂本刚,在30岁的时候宣言想要重新做自己。

「これからのアイドルは偶像ではなく、現実を見せていくべきだと思う」

“今后的idol不再是单一的偶像,更应该呈现真实的自己。”

先の安田の言葉と同じく「アイドル=偶像」という視点を変えていこうという姿勢。

这和安田的说法几乎一样,他想要改变“idol=偶像”的固定观念。

それだけではなく安田が「リアルを伝えることも俺のアイドルとしての宿命」(*4)と語るように、現実を伝えることに自分の役割を感じている点も共通している。

不仅如此,安田还表示“传递真实也是我作为偶像的宿命。(*4)”在呈现真实一事感受到是自己的责任这一点上,两位想法也是共通的。

被大哥横山裕评为“关八之母”的yasusu

とても“人間力のある人”
极具“人情味的人”

そもそも、日本において、男性が歌って踊る、男性アイドルグループを初めて作り出したのはジャニー喜多川である。

追本溯源,在日本最先打造出唱跳型男子偶像团体的人,便是杰尼喜多川。

だが、スタートは純粋な想いであっても、そこに半世紀以上の時が流れ、様々な人の思惑が乗り、商業化されていくことにより「アイドルとはかくあるべき」という固定観念のようなものが乗っかってしまった。

然而即便是以纯粹的想法开端,经历半个多世纪光阴,加上人们的期望,“偶像”已经商业化,且“偶像就应该是这样”的刻板观念根深蒂固。

それが、彼らを生きづらくさせてきた部分もあったのかもしれない。

而这可能也成了他们难以生存的部分原因。

安田の写真集に記された「社会のコマになって理解が追いつかないままお金を稼がされている『I$』」というウィットにもとんだ表現は、苦しさを経て出てきた魂ののった言葉に感じる(*5)。

在安田的写真集中用了「I$」这一机巧的文字表达:“不知不觉就成为了社会的棋子,在还没有理解的情况下赚钱。”这句话能感受到他经历苦难,灵魂得到升华。(*5)

安田章大はこう語っている。「『人間力のあるただの人=アイドル』っていうのもあっていいんじゃないのか」(*1)

他还说:‘有人情味的普通人=偶像’,有这样的人存在不也挺好吗。”

ジャニーズ事務所という場所を去ることで、アイドルではなくなったり、新たなアイドル像を模索することはできる。

如若离开杰尼斯,就等于拿掉了J家偶像的头衔,但相对的,可以摸索到新的偶像形象。

だが、ジャニー喜多川という自分の生みの親を敬愛し、ジャニーズを抜けるという選択肢を取らず、ジャニーズの中にいながらアイドルという概念を更新する2人は、とても “人間力のある人”に映るのである。

然而杰尼喜多川如同他们的亲生父亲,堂本和安田对他敬爱有加,所以不会选择离开杰尼斯,而是在J家更新偶像这一概念,这样的两个人就颇彰显出是“有人情味之人”。

(*1)TBS『サワコの朝』2020年10月3日放送
(*2)『anan』2020年9月23日号
(*3)『anan』2019年5月15日号
(*4)『音楽と人』2019年4月号
(*5)『LIFE IS』マガジンハウス

本翻译为沪江日语原创,转载请注明出处。

相关阅读推荐:

全能偶像:“行走的传说”安田章大事迹簿

杰尼斯事务所:在日本你找不到第二家如此“奇葩”的公司