• 日语文学作品赏析《或日》

     奇妙な夢を見た。女学校の裁縫の教室と思われる広い部屋で、自分は多勢の友達と一緒にがやがやし乍ら、何か縫って居る。先生は、実際の女学校生活の間、所謂虫がすかなかったのだろう、何かとなく神経的に自分に辛く当った音楽の先生である。自分の縫ったものについて頻りに小言を云われる。夢の中にあり乍ら、私は、十七の生徒で真個に意地悪を云われた時と同様の苦しい胸の迫る心持になった。すると、突然、今まで居るとも思えなかった一人の友達が、多勢の中から突立ち、どうしたことか、まるでまる真赤な洋服を着て、非常に露骨な強い言葉でその先生の不公平を罵倒し始めた。始めのうちは、条理が立って居たのが次第に怪しくなって、仕舞いには、何を云おうとするのか、文句が断れぎれで、訳のわからないことを口走るようになった。  赤い洋服を着た小さい人は、気が違って仕舞ったのだ。  場面は病院のような処となり、学校の二階のようなところと成ったり、夢特有の唐突さで変るが、どうかして自分はひどくその気の狂った人に深い愛を覚えて居る。先方もそうであるらしい。ところが、二人で二階へ昇る廊下口のような処に居ると、其処へ、一人男の人が出て来た。私の心覚えのある姓名の人であった。  洋服を着、何心なく来かかるその男を見ると、赤い着物の気の違った女の子は、いきなり腕をからみ合って居た私を突のけて、男の方へかけて行った。そして、手を執り、首をかしげて、頻りに何か頼んで居る。何処へ行くのか知らないが 「彼方へ行きましょう、ね、行きましょうよ」 と云い乍ら、驚き、不機嫌な男の手を、ぐんぐんと引張って居るのである。  相手は、暫く呆然とされるままになって居たが、やがてはっきり 「いやです」 と云った。それでも、気の違って居る人は承知しない。猶も執念くつきまとう。終に、男は実に断然たる口調で、 「厭だと云ったらいやです」 と云いさま、手を振もぎって、殆ど馳るように、階子段とは逆の方に歩き出した。  赤い着物を着た娘は、血相をかえて後を追い出した。追われると心付いて、男は洋袴にはまった脚を目まぐるしく動かして逃げる。後から娘は、加速度的に速さを増して追いすがろうとする。――  二人の後姿が、見えないようになると、何と云う訳なのか、私は、学校の舎監室に逃げ込んだ。そして、声を震わせて 「かくまって下さい」 と云い、大きな婦人の机の下に這い込んだ。可笑しいことに、其処に居る婦人は皆、西洋人である。丁度、私が紐育(ニューヨーク)の或大学寄宿舎に居た時日々顔を合わせたような、肥満した二重顎の婦人達ばかり、スカートをパッと拡げて居るのである。  隠れ乍らも、私の心は、深い悲哀に満されて居る。男を追って走り去った赤い洋服の娘のことが心掛りで仕方ないのである。  涙をためて机の下に丸まって居ると、戸口の方に人声がし、一人の婦人が入って来た。まるで入口一杯になる程、縦にも横にも大きい人である。大変快活な顔付で、いかつい眼や口のまわりに微笑さえ浮べて居る。 「あの娘(こ)は見つかりましたよ」 と云う。自分は勿論、居合わせた婦人も一斉に新たに入って来た人の方を見た。 「まあ! 何処に?」  矢張り笑顔のまま、大きな女のひとはくるりと、私共の方に背を向けた。一目見、自分は大声で泣き出した。背中に小猿をくくり付けでもしたように、赤い着物の女の子が、小さく、かーんと強張って背負われて居るのだ。 「河に身を投げたのだ」 と誰かが云う声が聞える。自分は、泣き泣き机の下から出た。どうしてもその小さい赤い屍を背負った人の傍を通らなければならないので、両手で眼を押え 「どうぞ見せないで下さい。見ることは許して下さい」と云い乍ら、すり抜けようとする。不思議なことに、いくら眼を瞑っても、手で押えても屍の顔ははっきり、見える。  房さりと濡れもせずに散った栗色の髪の毛と、賑やかな襞になって居る赤洋服の襟との間に、極々小さい顔はまるで白蝋色をして居る。唇はほほえみ、つぶった双眼の縁は、溶きもしない鮮やかな草色に近い青緑色で、くっきりの西洋絵具を塗ったように隈どられて居る。  見まい、見まいとしても顔の見える恐ろしさに、私は激しい叫び声を立てて一散に逃げようとした。狭いところを抜けようとして頻りにする身□きで、始めて夢が破れたのである。  半分眼が醒めかかっても、私は夢に覚えた悲しさを忘れ切れず、うっかりすると、憐れな泣声を立てそうな程、心を圧せられて居た。時間にすれば、五時頃ででもあったろうか。  眠りなおして八時過に起ても、私は何となく頭が重苦しいのを感じた。熟睡して醒めた後誰でも感じる、暖かに神経の末端まで充実した心持。それがなく、何だか詰らない、疲労の後味とでも云うようなものが、こびりついて居るのである。  新奇なこともない新聞を読み乍ら食事を終った処へ或書店から人が見えた。  髪をちょっと丸めたままの姿で、客間に行って見ると髪を長くのばし、張った肩に銘仙の羽織を着た青年が後を見せて立って居る。  初対面の挨拶をし、自分は 「どうぞおかけ下さいまし」 と上座に当る椅子を進めた。  はあ、と云って立って居るのでもう一度同じ言葉を繰返すと、その青年は、ひどく心得た調子で 「まあどうぞ其方へおかけ下さい」 と、まるで自分が主人ででもあるような口調で私に、彼にすすめる椅子を進めた。 「荷物がありますから」  ちらりと小さい風呂敷包みを見、自分は何だか滑稽な、苦笑したい心持で席についた。  用向と云うのは、その書店で編輯して居る雑誌のことにつき、或話をききたいと云うのであった。用談がすむと、二三の人の噂をし、淡青い色の巻煙草の箱を出した。  家族に喫煙する者がないので、道具の出してないのに心付き、私は火鉢を彼の近くに押してやった。  彼は 「いや、どうも」 と云い乍ら、こごんで巻煙草に火をつけ、一ふきふかすと、直ぐ 「其じゃあ失礼致しましょうか」 と云い出した。  煙草を出すところから、火をつけ終るまで、悠くりした心持で見て居た自分は、突然そう云われた刹那、火をつけたばかりの煙草をどうするのだろう、と云う疑問を感じた。迂遠な私は、落付いて一休みして行く積りなのだと思って居たのであった。  面喰い、猶も同じ疑問に拘泥して居る間に、彼は、薄平たい風呂敷包みを持って立ち上った。そして、片手の指には、火のつき煙の立つ煙草を挟んだまま、両足を開いて立ち、 「失礼しました。左様なら」 と云う。私も立って 「左様なら」 と云った。もう少しで、 「一服つけて御出かけと云う処ですか」 と云うところであった。  出て行った音をきき乍ら書斎に入り、私は何と云う無作法な男かと思った。文学を遣ると云ったのを思い出し空恐ろしい気もする。  夜中に見た夢が悪かったのか、男が余りがさつであった為か、私の気分は愈々悪化した。 声明:本文内容均来自青空文库,仅供学习使用。"沪江网"高度重视知识产权保护。当如发现本网站发布的信息包含有侵犯其著作权的内容时,请联系我们,我们将依法采取措施移除相关内容或屏蔽相关链接。

  • 日语文学作品赏析《$1》

    面的に道具立的に組み合わせて扱おうと試みた。作者としても作中の世界としてもそこに、真の思想の呼吸があり得ないことは当然な現実の帰結であった。 「日蔭の村」は、やや「蒼氓」の線に近づいた傾きを示した作品であったが、ここでは、既に作者の習慣のようになった、あれこれを題材的に按配して書く、という大衆小説の手法に通じる外文学作品面的な方法がやはり消極の作用を示した。作品としての現実が渾然と読者の心を撃つというよりは、調査した実際と想像とが文学の現実以前のままのありようでつなぎ合わされていた。  文学の世界の現実と日々の実際というものとの間にあるこの作者独特な混乱は、或はこの作者が人間としては芸術のかんを持たず、ごく実際的な生きかたをしてゆくように生れついている性格だということを語っているのかもしれない。「結婚の生態」は、実際的な一人の中年の男が、若くていくらかフーピーな身よりのない娘といい家庭をこしらえてゆくことを眼目に結婚をすることから始まる。  初めは、奪う愛は誤っている、与える愛でなければならないと細君の教育や家政への手助けや大いに努めるが、やがて「それでは男の精神が寂しい。行動では我ままをしてもいいのだ。奪われる愛というものも、特に女にとっては在っていいのだ」というところへ落着く。  その間のいきさつを、人間生活の問題、両性の生きかたへの探究という云いまわしをとりつつ、現実には、ごく実際的な女房と家のもちかたというありきたりの内容を、真の精神の努力はなしに辿っている作品である。  作品のそういう本質からいうと、この小説は書かれても書かれなくても全く同じであったと云えるたちのものである。いい生活というとき、芝生があってテニスコートもあるような家を心に思い浮べるのは、どんな卑俗な若者でも、映画ぐらい見ていれば一応は描く空想であろう。どしどし仕事をして儲けて、それを実現する生きかたは、小説にかかれるまでもなく踏み古された凡庸な道ではなかろうか。  あらゆる文学は、この世俗の道への人間としての疑い、あるいはその道すがらなお魂を噛む苦しみがあることの承認から出発していたと思う。「愛情とは理由のない感情である。」「第一、恋愛とはそれ自身、認識不足によって生ずる感情の偏行にすぎない」と片づけきれない人間の心から発足するのが文学の一つの本質であったと思う。 「我々の魂の中にもし何か価値あるものがあるとしたら、それは如何に他人よりももっと激しく燃焼したかにあるのだ」とジイドの文句が引かれていても、主人公の男がいい家庭と云い、その建設のために妻を教育し扶けようとするという、その実質について全然人間生活という見地からの省察が向けられていない時、読者はどこに作者の魂の価値たるより激しき燃焼を見出すことが可能であろうか。  つまりは世俗の目やすにいい生活というものの基準をおいて、家庭は家庭と代々の凡俗な生き手たちが結論した結論をこの作品の中に知ろうとして、もし現代の若い人々がこの小説にひかれなければならないとしたら、彼等の青春の精神の鋭さと誇りとは、今日の日本の社会生活のなかで、どのように不具にさせられ、麻痺させられているというのだろう。 声明:本文内容均来自青空文库,仅供学习使用。"沪江网"高度重视知识产权保护。当如发现本网站发布的信息包含有侵犯其著作权的内容时,请联系我们,我们将依法采取措施移除相关内容或屏蔽相关链接。

  • 日语文学作品赏析《母》

    てくれなどと云い出したので、母は警戒して絵の稽古もやめてしまったのであった。  そのことは、日本画家の一種の紊風を示す話でもあり、又母が実際家であって、利害を守るにも鋭く、そういう点でも断乎としていたことをも示す面白い話だが、当時母はそんな事情はちっとも云わなかった。ただ、あの何とかさんの筆は死んでるからおやめだ。私の絵の方がよっぽど活きているよ。など話した。文学の仕事から推し母の絵の修業にも関心をもっていた私は、母の云う筆勢なるものにいくらか不安も持ったりした。文学作品で云えばメロドラマティックな誇張に陥るのではないかと、母の筆勢論には消極なうけこたえしか出来なかった。  この前後(一九二四

  • 日语文学作品赏析《$1》

    下等の獣性を縦(ほしいまゝ)にしたるもの、恋愛は、人類の霊生の美妙を発暢(はつちやう)すべき者なる事を、好色を写す、即ち人類を自堕落の獣界に追ふ者にして、真(まこと)の恋愛を写す、即ち人間をして美を備へ、霊を具する者となす事を、好色の教導者となり通弁官となりつる文士は、即ち人類を駆つて下等動物とならしめ、且つ文

  • 日语文学作品赏析《恥》

    的な小説などを好みますが、私は、そればかりでなく、貴下の小説の底にある一種の哀愁感というものも尊いのだと信じました。どうか、貴下は、御自身の容貌の醜さや、過去の汚行や、または文章の悪さ等に絶望なさらず、貴下独特の哀愁感を大事になさって、同時に健康に留意し、哲学や語学をいま少し勉強なさって、もっと思想を深めて下さい。貴下の哀愁感が、もし将来に於いて哲学的に整理できたならば、貴下の小説も今日の如く嘲笑せられず、貴下の人格も完成される事と存じます。その完成の日には、私も覆面(ふくめん)をとって私の住所姓名を明らかにして、貴下とお逢いしたいと思いますが、ただ今は、はるかに声援をお送りするだけで止そうと思

  • 日语文学作品赏析《感想》

     最近は芝居も映画もあまり見ない。東京をはなれて暮してゐる期間が長いためでもあるが、たまに東京へ出ても、わざわざ切符を買つて観に行く気がしないのである。自分の仕事に直接関係があるのだから、勉強のつもりで新しい芝居ぐらゐはのぞいておくべきだと思ふのだけれども、ついおつくうになつてしまふ。不心得だと云はれゝば一言もないが、それでも、私にしてみると、今のところ、脚本を読みさへしたら、上演の結果はだいたい想像がつくし、第一、劇場といふものが従来以上に私を誘惑しにくゝなつたといふ理由をあげなければならぬ。  これには別にむづかしい理由なぞはない。元来、私は芝居や映画を見て楽しむといふ趣味はあまりなく、私にとつて、戯曲を書くことの目的と意味とは、まつたく違つたところにあるらしいのである。かういふと不思議に思ふひとがあるかもしれぬが、それはうそでもなんでもない。そのうへ私は、自分の作品が上演されてゐても、そんなに見に行きたいとも思はず、見ればたいがいうんざりするのである。上演の結果が気に入らぬといふよりは、自分の作品そのものが、どうも場違ひのやうにみえ、役者や見物に申しわけないといふ気がしてしかたがない。  私は芝居の社会といふものが、自分の性に合はぬのではないかと、時々、考へることがある。それなら芝居以外の社会なら性に合ふのかと開き直られては困るが、それも前に云ふとほり、いつたいに芝居の社会といふものは特に私のやうな人間を住はせてくれる余地がないやうにも思へるのである。その証拠に、私は、劇場の空気をあまり好まない。楽屋に出入するのは必要止むを得ぬ時であり、幕間の廊下は殆どつねに私をいらだたせる。さらに、「芝居の玄人」が芝居の話をしてゐるのを聞くほど私には縁遠い感じがすることはないくらゐである。  私はなるべく一般に通じない「芝居用語」を使はないやうにしてゐる。むしろ、使はうとしても使へないのかも知れない。「かみて、しもて」といふ慣用語さへ、私は自然に使つたことがない。  水木京太君が死んだ。私とほゞ同時代に、同じく戯曲を書いてゐた仲間である。イプセンの研究家として自他ともに許し、作品は手堅い構成で論理的な筋の運びを特色としてゐたやうである。さういふ特色が、時に却つて、その意図する喜劇的効果を鈍らせ、緻密ではあるが、なにかもうひと息といふものを感じさせた。しかし、その演劇評論は流石は蘊蓄の深さと眼のたしかさを思はせるものであり、つねに私を傾聴せしめた。終戦後、君は自ら主宰する雑誌「劇場」に、是非何か書けといふ手紙を私によこした。「何故に戯曲を書かないか」といふ題まで与へてくれた。私は、同君とは、実はそれほど親交はなく、むしろ一時は、ある事情のため、関係は疎きにすぎるほどになつてゐたが、この同君からの最初の手紙は、丁重で、しかも、好意に満ちたものであつた。私は、その頃、どこにもものを書く気はしなかつたのだけれども、水木君の勧めだけは無下に断る気もせず、いづれ書きませう、と返事をしておいた。そして、それきりになつてしまつたことを、いまさら悔んでゐる。  私は、水木君の出してくれた題に、そのまゝ答へることはできなくなつた。その後、とうとう戯曲を一つ書いてしまつたからである。しかし、長い間、ほんとに戯曲を書きしぶつてゐたわけを、別の目的で、ちらつと述べてみたい気がする。自分の弁解にはもうならないし、したくもないが、これは、何かの役に立つと思ふからである。  断つておくけれども、私ひとりが戯曲を書く書かないは、別段問題にするほどのことではない。たゞ、水木君も「戯曲を書かなくなつた」作家の一人であり、おそらくそこを考へたのであらうけれども、私のやうに戯曲作家として出発したものが、中途から戯曲を書かなくなる理由が、若し、単なる個人的な事情によるのでないとすれば、これは、やはり日本の現代劇壇の特殊な条件にもとづくのではないか、といふこと、それを云つてみたいのである。  私は、今ここで改まつて日本劇壇の解剖をしてみる気はない。私は、むしろ、主観的に、自分の立場を率直に語つて、わかるものだけにわかつてもらへればよいとしよう。 「なぜ久しく戯曲を書かなかつたか」と云へば、端的にいふと、戯曲家としてどうにも張合がなくてしやうがないと思へることが、あまりにも多すぎるからである。ほかのひとは知らぬが、私だけの愚痴をすこしならべてみる。  第一に、書きたいと思ふ戯曲を、やつてほしいと思ふ頃あひの劇団がない。書きたいと思ふ戯曲には、その時々で、いろいろな年配、職業、教養をもつた、つまり、いろいろな型の人物が登場するわけだが、さういふ雑多な人物のそれぞれの役を割りあてることになると、日本の劇団の組織と人的要素では、おいそれといかぬ不都合がまづひかへてゐる。  第二に、上演の可能性が少いから自然、戯曲の発表はまづ雑誌でといふことになるのだが、その雑誌は、短篇小説本位の雑誌が多いから、自然、「一と晩の出し物」としての多幕物は遠慮することになり、たまたま、長くてもよいといふ条件が与へられても、「舞台で観せる芝居」を活字で読ませるのは雑誌本来の性質でないから、つい、それは無意識にもせよ、「読ませる戯曲」の穽に陥つてしまふ。さて、それがそのまゝ上演されてごらんなさい。きつと舞台が平板になるかどこかに孔が開くのである。  第三に、芝居といふものは妙なもので、書生芝居とか小供芝居とかいふものもあるにはあるが、やつぱり、芝居の芝居らしい風格は、役者に相当の年配の役者がゐて、それが、中心にならぬと、本物でない。その点、映画もおなじである。ところが、日本の芝居も映画も、現代ものとなると、いづれも、青年俳優が中心である。近頃は、新劇畑では、四十代の優れた役者が活躍するやうになつて来たがそれでも、四十代が最年長者となると、ちよつと、大人の芝居をやるのには、平均年齢が少なすぎる。  次に私などは、今、戯曲を書くとすると、一番書きたいのは、男は五十代から六十代、女は、四十前後といふところである。そんな人物ばかりといふのではないが、少くとも中心人物乃至重要人物にそれくらゐの年配の人物を配したいのである。簡単に「老け役」などといふけれども、現代人の精神的年齢は演技や扮装の巧緻だけではどうにもならぬところがあることは、西洋映画をみればよくわかる。私がどうも残念に思ふのは、新劇が生れて以来ずつと舞台を踏んでゐればもう六十代で堂々たる大俳優になつてゐるものが二人や三人はゐなければならない筈なのにそれがゐないことである。私に云はせれば、若干の例外をのぞき年をとるほど駄目になる役者などといふのは、二十代三十代に既にろくな役者ではなかつたといふことである。  第四に、これはなかなか大事なことだが、現在の戯曲家で、戯曲だけ書いて生活のできるひとはまづまづゐないであらうといふことである。座附作者のやうにでもなれば別であるが、それもいくたりと数へるほどしかゐないであらう。今日の日本では、専門の戯曲家として一家をなすためには、結局、上演科を当てにしないで暮しを立てる方法を考へることが必要なのである。つまり余技の小説、内職の翻訳、なんでもいいから、戯曲を書き続け得られるといふことが大切である。しかしかういふ戯曲の書方は、決して、戯曲家本来の才能と感興とを、その作品のうちに完全に活かし得ないといふ憾みがある。つまり、観客を前にした舞台との「待つたなし」の勝負のみが、戯曲家の全生命を打ち込む創造の契機なのであつて、これこそ、戯曲が時間芸術として散文とはつきり分けられる微妙な世界につながる所以なのである。  上演のみを目的として文学と袂を分つ脚本作者と、文学の領域に止つて戯曲らしい戯曲をと志し、次第に舞台から遠ざかる作家と、その何れを択ぶかといふことが今日までの若い戯曲家の思案のしどころであつた。  しかし、これからは、次第に、道が拓かれさうである。文学と舞台との理想的な結合を意識的に目指して有力な二、三の新劇団が戦後、目ざましい活躍をしはじめた。私たちの時代には望み得なかつたチャンスが、若い世代のために着々準備せられつゝあるやうである。それに呼応して、新しい作家群が動き出した。全く新しい人々ではないが、彼等はいづれも、新しい意気と、新しい着想とをもつて、われわれの企て及ばない新風を捲き起さうとしてゐる。私は、この感想をこれらの人々に期待する意味で書いた。私たちの時代の障碍が、この人々の障碍とならぬことを念じるあまりである。  本誌姉妹紙「スクリーン・ステージ」新聞であつたと思ふが、近頃甚だ面白く、意義のある座談会記事がのつてゐた。それは、新進小説作家、評論家の一群に、新劇の舞台を見物させ、合評を試みさせてゐるのである。その座談会の記事は多分の省略があり、前後の脈絡がなく、隔靴掻痒の嘆はあつたけれども、ともかく、ねらひの正しい、鋭い企画である。個々の意見に対して、私がそれを不正確に受けとつてはなにもならぬから別にかれこれ云はぬが、やはり、ぜんたいに、云ふべきことが云はれてゐたやうである。田中千禾夫君の「雲の涯」を問題作として、十分に注意してくれたこともうれしかつた。この試みは何かの形で続けてほしい。新劇はかういふ人々をもつと近くへ惹きつけ、もつとその影響に身をさらさなければいけない。 声明:本文内容均来自青空文库,仅供学习使用。"沪江网"高度重视知识产权保护。当如发现本网站发布的信息包含有侵犯其著作权的内容时,请联系我们,我们将依法采取措施移除相关内容或屏蔽相关链接。

  • 日语文学作品赏析《兄妹》

         ――二十余年前の春  兄は第一高等学校の制帽をかぶっていた。上質の久留米絣(くるめがすり)の羽織と着物がきちんと揃っていた。妹は紫矢絣の着物に、藤紫の被布(ひふ)を着ていた。  三月の末、雲雀(ひばり)が野の彼処に声を落し、太陽が赫(あか)く森の向うに残紅をとどめていた。森の樹々は、まだ短くて稚(おさな)い芽を、ぱらぱらに立てていた。風がすこし寒くなって来た。  東京市内から郊外へ来る電車が時々二人の歩く間近に音を立てて走った。電車とは別な道の旧武蔵街道を兄妹は歩いているのだ。妹は電車の出来ない前は郊外の家の自家用人力車で、女学校の寄宿舎から一人で家へ帰った単純な休暇行路を思い出しながら、自分の寄宿舎に近い第一高等学校の寄宿舎へはいった兄と、今年の春休みには一緒に家へ帰れるのが、楽しかった。もう二里も歩いているのだった。すこし疲れて、体がほっと熱ばんで来ていながら袴(はかま)の裾(すそ)の処がうすら冷たくずっと下の靴できっちり包んでいる足の先は緊密に温い。道の土がかわいて処女の均整のとれた体重を程よくうけとめて呉れる。二人は、わざと電車に乗らないのだ。歩けるまで春の武蔵野を歩いてみたいのだ。 ――きみい(君) と兄は妹へ話す話頭の前にかならず、こう呼びかける。外国文学を読み耽(ふけ)る兄が外国の小説の会話で一々「ねえ、イヴァン・イヴァノヴィッチ」とか「マドモアゼル・イヴォンヌ、あなたは」とかに馴れているせいか、と文学学好きな妹は、フランス語の発音に適する兄の美しい男性的な声調に聞き惚れているのだ。だが、兄の語る言葉は、淋しくうら悲しい、思春期のなやみに哲学的な懐疑も交っているのだ。 ――国木田独歩は「驚き度(た)い」と言い続けながら、あんなにも運命の偶然性、(前に独歩の小説運命論者を兄は妹に言って聞かせていた)を恐れているのだ。僕達青年も刹那(せつな)主義や自然主義に人生の端的を教わりながら、実はその一方に、人生の永遠性を求めて止まないんだ。地球があと何万年したら冷えて人類の滅亡が来るとするか僕達の永世をかけての文学と哲学も同時に滅亡することを考えても怖ろしいじゃないか。 ……また ――僕達がこうして自然に憧憬(しょうけい)して此処(ここ)を歩いているね。僕達は落つる太陽を睨(にら)み、小鳥の声に聞き惚れ、森を愛し道路を懐(なつか)しんでさ、そして口笛を吹いたり君と合唱したりね……こんなに自然を愛して自然に打ち込んでいたって自然は果して僕達を愛しているだろうか、愛しているだろうかよりむしろ非常に無関心じゃないのかい。今、突然僕か君が此処で倒れたっきりで死んでしまうとするね。その時、あの森の樹の枝の一つだって死んだ僕達のために感動するだろうか。恐らくそのために、あの樹の枝の若葉の一つだって風に微動する程にも感動しないだろう。(自然が人間に対する無関心はツルゲニエフの猟人日記中、森で樵夫(きこり)が倒れ、大木の下積みになりその大木が樵夫を殺す作を見てから兄が一層痛感しているのであった。) だが、妹はまだ稚かった。兄の語る言葉の内容を兄と同程度に懐疑し悲哀に感じつくすにしてはまだあまり稚い乙女であった。愛する兄の悲哀や懐疑になやむ姿がただただいたましく悲しかった。兄妹の行き着くべき大家族の家の近くに武蔵野を一劃する大河が流れていた。日は落ち果てて対岸の燈が薄暮の甘い哀愁を含んでまばらにまたたいている。 ――君。ちょっと休んで行こうよ。 兄は道路からすこし入った疎林の樹の根に腰かけて今一つの樹の切り株を妹に指し示した。妹は素直にハンカチを敷いて坐った。兄は袂(たもと)から真白なものを一本取り出し指先でしゃりしゃり一端を揉み始めた。 ――あら、兄様、タバコ吸い始めたの。 ――ああ。 兄は、まだ稚気の抜け切らぬ愛らしく淋しい青年の顔を妹の方へ向けて笑った。  正午、日はうらうらと桃花畑に照り渡り、烟(けむ)り拡がっているのであった。兄は妹と長い堤を歩いて居た。  向うから、目鼻立ちのよく整い切った色白の村娘が来た。乙女はうやうやしく兄妹に頭を下げて恥ずかしそうに行き過ぎた。メリンスの帯が桃の花と対照してその娘を一そう可憐に美しく見せた。 ――あれだろう、君のお付きになるのは。 ――ええ、あれ、どう? ――いい娘ってんだろうなあ。 好い娘過ぎて「お米」は村で使い手が無かった。家の娘より美しい娘は負け惜しみの強い都会近在のこの土地では使い方がなかった。兄妹の母親はそれを選んで女学校卒業期に近い妹のため「お米」をおつきにすることにした。「お米」は近郷一の高位の令嬢のお付きになる光栄の日を待っているのであった。それが偶然途中で逢って口も利けない程恥ずかしくうれしかった。 ――あのね、兄様、お母さんがね、お米は美しいけど…… ――なにさ。 ――お前には、ずっとお米より「くらい」が見えるんだから、ひけめをかんじてはいけないよって…… ――ああ、そうだとも君。 兄は内気ながら凜(りん)とした処のある妹のあまり整っていなくとも、眼と額の際だって美しい妹の顔を振り返った。 声明:本文内容均来自青空文库,仅供学习使用。"沪江网"高度重视知识产权保护。当如发现本网站发布的信息包含有侵犯其著作权的内容时,请联系我们,我们将依法采取措施移除相关内容或屏蔽相关链接。

  • 日语文学作品赏析《感想》

     今春、思いがけない大雪が降って、都下全体交通ストップ、自動車などは一夜に皆エンコして一歩も前進できない因果な時、拙作陶の展示会を催すことになった。この大雪では誰一人見る人はなかろうと悲観していたが、意外! 数百人の目で拙作は静かに見おろされた。  私の作品は例の如く勝手気儘で、どんどん移りゆく現実の世界に解されていこうなどとは、てんで望んではいない。私が切望しているのは、どうか自分の柄にあったことを一途(いちず)にしていきたいというだけなのである。だから現代のグループには干与しない。恰(あたか)もスネ者のように独歩している。気に入らない過去を見ては創(つく)り直すことに少しもひるむ者ではない。伝統に打たれることも多々あるが、伝統と乳兄弟になっても双子になりたくない。さりとてケンカ別れもしたくない。生活に合法と言われる西洋建築の美の如きはコーヒー茶碗ぐらいにしか私は認めない。それより生活に不合理と言われている空間だらけ、ムダだらけの床の間を持つ古典日本建築に生甲斐を感じる、有数の抹茶碗の持ち味に近い超道美をである。しかもこれだけで満足せず、これを如何(いか)に創り直すかが今後の仕事ではないかと考えている。この考えはどうやら及第であるらしい。  私は直接干与しないが、国立博物館か文部省かは知らないが、私の作品を諸方の持主から集めてフランス・パリにて催された日本陶器展に仲間入りされたとのこと。ところが私の作品が人気の中心であった如く評判されている。ピカソのいる陶器村でも志野八寸の如きは場中第一との賞賛を受けたといわれる。  私からすればフランスの目も甘いものだと思っているが、イタリアでも感動しているらしい。イサムノグチが語るところも、私の作品がニューヨーク、ワシントンなどで評判だとある。現につい先日東京でのダイジェスト日本陶器展で私のやや大作長方鉢をリッジウェイ大将夫人が目にとめて持ち帰られたという。これでみると、日本陶器に於ても勝手気儘の挙措に出た人間の自由思想が世界的に感動を受けるものであることを物語っているかである。即(すなわ)ち芸術の力こそ人種を超え、国籍を問題にせず、相抱いて楽しみを共にし、共に生きる道を発見するものなのであることを今更の如く感ずる。各自個性に生きることだ。 声明:本文内容均来自青空文库,仅供学习使用。"沪江网"高度重视知识产权保护。当如发现本网站发布的信息包含有侵犯其著作权的内容时,请联系我们,我们将依法采取措施移除相关内容或屏蔽相关链接。

  • 日语文学作品赏析《$1》

     もう十數年前のことである。小林秀雄と永井龍男とがはじめて出合つた時の話である。  小林が先づ永井に「君は志賀直哉を讀むか?」と聞いた。「うん、好きだ」と永井は即座に答へた。「ぢや、佐藤春夫はどうだ?」と小林が再び聞いた。「ああいふのも好きだ」と永井は答へた。そのとき永井はいくらか微笑を浮かべはしなかつたかと私は想像する。それから二人は大いに意氣相投じたさうである。  こんど四季社から刊行された永井龍男の短篇集「繪本」の卷末には、その頃の永井の習作が二つばかり載つてゐるが、それを讀んで、私は永井から聞いた話を何氣なしに思ひ出した。           □  私はここに私達と時代を同じくする者の一つのはつきりした特質を認める。志賀直哉と佐藤春夫と――これらのむしろ陰と陽のやうに相反する二つの極、それらを接觸せしめようとすること、r□el なものと imaginaire なものとの接觸から新しい火花を得ること、それが私達の願望であり、目的であつた。  永井龍男は「泉」をもつて出發した。そのスタアトは實に鮮かだつた。當時は新感覺派の全盛時代であつたが、その當時にあつてもこの作品くらゐ感覺的なものはちよつと見あたらなかつた。そしてそのすべてが完全な想像から來てゐることに、この作品の異樣な特質があつたのである。  その結末の美しさなどはどうだらう。  「片足づゝ跳んで進んだ。  木々の間を幾度か拔けた。眼にしみる花の香がある。木の實は幾度か頬に觸れた。  遠くのことが、何知らず遠いものが想へた。        ………………………………………  滑らかな石から、女は泉にひたつた。青い木の實が、髮からこぼれた。木の實は生ぶ毛に附いた空氣を銀色にし、黒い水草の上に沈む。濡れぬ両の腕を翼のやうに擴げ、女は水底のそれに見入つた。水に映る女の影は、蒼空を飛んでゐる。」  それから永井龍男は「繪本」に到達したのである。これはささやかな短篇ではあるが、その一字一句が長い時間をかけて丹念に蒐集されて、磨きがかけられてゐる。それでゐて、全體が一刷毛で書いたやうな勢ひである。           □  或る冬の夜更け、ほとんど人影のない町を、私はだいぶ醉つてゐるらしい永井と二人で、何處へといふあてもなく歩いてゐた。そのとき舖石の凸凹につまづいて永井が倒れた。しかしひとりで起き上れないほど醉つてゐるとも見えなかつたし、それにそんなとき友人を介抱したりするのが私には妙に羞かしかつたので私はうつちやらかして置いた。すると永井は何やら口のなかで「畜生。畜生」と言ひながら、いつまでも倒れたままになつてゐた。  私はそれから數週間後、永井の「繪本」の最後の頁を讀みながら、その夜の永井のことを思ひ出して妙に感動させられた。  しかし私はいま、この作品の見事な美しさを現實に結びつけて説明しようとしてゐるのではない。むしろ、私はさういふ美しさが、いかに現實からのつながりを完全に切り離したものであるか、といふことを指摘したいのである。  私はコクトオの次ぎのやうな言葉を思ひ出していただきたい。――「詩は、それのモチイフになつてゐるものにそれを引き止めるところの一切の糸を順次に、切らなければならない。詩人がその糸を一本切る毎に、彼の心臟は鼓動する。彼が最後の糸を切るとき、詩は自由になり、一個の輕氣球のやうに上昇する。それ自身の美しさを持ちつつ、地上とは何等のつながりもなしに。」  この「職業の祕密」の一節を私がずつと前に何かに抄した時、この言葉がひどく永井に氣に入つたことをよく覺えてゐる。           □  コクトオの言葉といへば、もう一つ、永井に大へん氣に入つてゐるのがある。それは「わが國のあらゆる重要な作品の裏には、家とか、ランプとか、火とか、酒とか、パイプなどがある」といふ「鷄とアルルカン」のなかの一句である。  永井の「巣の中」といふ作品の特徴は、さういふ傑作の裏側にあつてその作品を生き生きとさせてゐるもの、――例へば永井の場合では、「泉」や「繪本」などを裏打ちにしてゐるもの、――さういふものを逆に今度は作品の表面に持ち出したのである。この一見他奇なく家常茶飯事を書きつづつたごとく見える作品が、この種の作品にありがちな無味乾燥に陷つてゐないばかりか、一種の遊離した美しさを獲ち得てゐるのは、この作品の裏側になつて、ほとんど人目につかずにゐる永井獨特の Imagination の力ではないか。そしてこんどは、その永井の隱し立てが私達の好奇心をそそるのだ。           □  かくのごとく、從來の永井龍男の好短篇にあつては、いつも r□el なものと imaginaire なものとが互に表となり裏となつて、扶け合ひながら、微妙な均衡を得てきたのであるが、ここにその表と裏とがごつちやになり、こんがらかり、いつのまにか解けないやうな固い結び目をつくりつつある作品がある。即ち「菜の花」である。  前記の三作のほとんど完璧と言つていいやうな出來榮に比べると、こんなに出來の惡い作品はない。が、さういふ破綻に私は好奇心をそそられる。この作品は血だらけである。いままで仲好くしてきた同志が組んづほぐれつして、互に傷つけ合つてゐる。どちらが勝つたんだか負けたんだか、まだ分らない。私達は、そして恐らくは永井目身も、この勝負を手をこまぬいて眺めてゐるより仕樣がない。何故なら、この作品はすつかり作者の手を離れてもなほ、いまだその混沌とした状態を生き續けてゐるからである。 声明:本文内容均来自青空文库,仅供学习使用。"沪江网"高度重视知识产权保护。当如发现本网站发布的信息包含有侵犯其著作权的内容时,请联系我们,我们将依法采取措施移除相关内容或屏蔽相关链接。