天皇が生前に位を退かれると、『太上天皇』略して『上皇』という尊称で呼ばれます。他に、『院』や『仙洞』という尊称も存在します。

天皇在生前退位的话,被尊称为“太上天皇”,简称“上皇”。也有“院”或“仙洞”的尊称。

697年(文武元)に持統天皇が文武天皇に譲位し『上皇』と称したのが初見です。

697年(文武元年)持统天皇为文武天皇让位,退位后称为“上皇”,由此出现了“上皇”的称谓。

※史上初めて生前譲位した皇極天皇の当時は『上皇』の尊称はありませんでした。

※皇极天皇是史上第一个生前让位的天皇,当时还没有“上皇”这个称谓。

奈良時代の『上皇』は『天皇』の共同統治者であり『天皇』と同等の権力を持ちました。

奈良时代“上皇”“和天皇”是共同治理天下,“上皇”和“天皇”拥有同等权利。

しかし、この二大権力が『薬子の変』の原因になると嵯峨天皇は譲位後、『上皇』の権力を放棄し、以後『上皇』の権力は(基本的に)なくなりました。

“药子之变”后这两大权利有了新的变化。嵯峨天皇让位后,放弃了“上皇”的权利,这之后“上皇”的权利(基本权利)都没有了。

しかし、白河上皇が『院政』を開始すると、『院政』を敷いた『上皇』に限り『天皇』や朝廷を凌ぐ権力を手中にしました。

可是白河上皇代天皇执政开始,上皇的权利开始压制天皇。

尚、特別に天皇の父である後堀河天皇父の守貞親王(後高倉院)と、後花園天皇父の貞成親王(後崇光院)は、皇位に就かずに『院』号を与えられました。

也有特殊的天皇父子,后堀河天皇和儿子守贞亲王(后高仓院)、后花园天皇和儿子贞成亲王(后崇光院),没有就职皇位,而是称号“院”职权。

『法皇』は『上皇』の出家後の尊称で正しくは『太上法皇』といいます。

“法皇”是“上皇”出家后的尊称,正统的称呼应是“太上法皇”。

本翻译为沪江日语原创,未经授权禁止转载。

相关阅读推荐:

日本职场:有学生气的社会人到底是谁

日本的第一大姓为啥是“佐藤”?