「教えて!goo」では、「きらびやか なイメージの平安時代でも匂いは……」という記事を配信した。平安時代はきらびやかなイメージとはかけ離れたなかなか複雑な香りが溢れる世界だったという内容だ。現代人と平安時代の人では衛生観念もかなり違ったのだと推測されるが、たとえば、洗濯はどのようにしていたのだろうか。歴史研究者である総合研究大学院大学・国文学研究資料館 准教授 西村慎太郎先生に聞いた。

“请告诉我!goo”中有“即使是给人留有辉煌灿烂印象的平安时代,它的味道是……”这样的文章。说的是平安时代和其光辉灿烂的印象相距甚远的,是个弥漫着各种复杂味道的世界。推测这是由于现代人和平安时代的人对于卫生这一观念有很多不同的认识,比如,(平安时代)洗衣服是怎样洗的呢?对此咨询了历史研究者兼综合研究大学院大学·国文学研究资料馆的副教授·西村慎太郎老师。

■平安時代は足で洗濯がスタンダード!?

■平安时代用脚洗衣服是标准!?

西村先生によると高級貴族は洗濯をしていなかったのではないかとのこと。

据西村老师说,高级贵族是不洗衣服的。

「高級貴族たちは身につけた着物をそのまま身分の低いものに下賜 (かし)していたようです。また皇族や朝廷でも、洗濯の必要があれば洗濯する係の役職があったと考えられますが、該当する記述が見当たりませんので、洗濯せず使い捨て にしていたと思われます。ただ、『信貴山縁起』や『西行物語絵巻』などの絵巻物 を見ると、庶民やお坊さん の洗濯をする様子は描かれています。身分が高くない人々は着物を洗いながら大事に着ていたのではないでしょうか」(西村先生)

“高级贵族们将身上穿的衣服直接赏赐给身份低微的人。而且,一般皇族和朝廷中,如果有洗衣服的必要,会设有专门洗衣服的职位,但实际上并未发现这样的记载,所以推断(穿过的衣服)是不洗的,穿一次就扔掉。不过,在看了《信贵山缘起》和《西行物语绘卷》等画卷后,发现有描绘了平民百姓和和尚洗衣服模样的画。身份地位不高的人们一边洗衣服一边很珍惜地对待着衣物吧”(西村老师)

また西村先生によると、たらい に水をくみ足で洗濯物を踏みながら洗って、物干し竿 に干すのが、当時のスタンダードな洗濯法だったようだ。その洗濯法からすると、きっと、強い繊維の布地 だったのではないか。

还有,据西村老师所说,水倒入盆中,然后用脚踩踏要洗的衣物,再把衣物挂到晾衣杆上晾干,这是当时标准的洗衣服方法。从这洗衣方法来看,当时的布料肯定是强劲的纤维吧。

■平安時代に足袋はなかった 下着は?

■平安时代没有布袜?贴身衣物呢?

下着や足袋 など頻繁に汚れるものは、どのように洗っていたのだろうか? 西村先生によると「足袋は平安時代にはまだ存在していないと考えられます。平安時代から下った江戸時代でも江戸城では、裸足 が原則で足袋を履くのに許可が必要だったくらいです」

那如果是贴身衣物或者布袜等这种会频繁变脏的衣物怎么洗呢?据西村老师说,“布袜在平安时代还不存在。即使是平安时代之后的江户时代,光脚是原则,如果要穿布袜还得得到许可。”

下着はあったのだろうか? 「早くは『万葉集』の乞食の歌にも、ふんどしが詠まれており、『鳥獣人物戯画』『信貴山縁起絵巻』でも、ふんどしが描かれています。地獄を描いた絵画では鬼がふんどしを付けています。また女性は小袖という袖が小さい着物を下着として身につけていたと考えられます」(西村先生)

那贴身衣物呢?“最早是在《万叶集》的乞丐之歌中就有提及兜裆布,《鸟兽人物戏画》《信贵山缘起绘卷》中也有画兜裆布。在描绘地狱的画中鬼穿着兜裆布。而女性穿的贴身衣服是叫作小袖的袖子窄窄的衣服”(西村老师)

下着の洗濯頻度も大貴族は使い捨てあるいは早い段階で新しいものに取り替え、身分が下になればなるほど洗濯の頻度は高く、長く大切にしていたのではないかとのことだ。

从贴身衣服的洗衣频度来看,如果是大贵族的话估计是一次性使用或者比较快就换成新的,而身份地位越低洗衣服的频度就越高,这是想让衣服穿得更长久些吧。

平安時代の庶民がマメ に洗濯していたのは、着るものが少なかったからだったとは、切ない 話だ。

平安时代的老百姓勤快地洗衣服是因为穿的衣服少,这真是让人苦闷啊。

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