「地名に関する本はあるのに、住所に関する本はない…ならば住所の適切なガイド本を作りたい!」そう思い立ち「住所の仕組み」についてまとめた本を手がけた、フリーライターの今尾恵介さん。彼は著書『番地の謎』(光文社)で、個性的な住所名にスポットを当てて深く掘り下げています。今回は、土地の名前でよく使われる「町」の読み方について。「マチ」と「チョウ」のふたつがありますが、どちらがどの地域で多く使われているのか? 歴史や傾向を見てみましょう。

自由撰稿人今尾惠介说“介绍与地名相关的书虽然有很多,但却很少见到介绍与地址相关的书...自己想写一本正确介绍地址的指南书籍”,于是他亲自编纂了一部汇集了很多“地址信息”的书。这本名叫《番地之谜》(光文社)的书中,聚焦了很多独特的地址名并对它们进行了深层次的分析。这次,为大家介绍的是地名中经常被使用的“町”的读法。这个字有“マチ”和“チョウ”两种读法,两种读法分别在哪些地区被使用得更多呢?让我们试着看看这个字的过往历史和发展趋势吧。

[en]※以下は光文社知恵の森文庫『番地の謎』を再編集したものです。

※以下是对光文社智慧之森文库《番地之谜》的重新整理。

マチとチョウが隣接する「東京の地下鉄」

マチ和チョウ毗邻的“东京地下铁”

東京の浅草から地下鉄銀座線に乗ると、次の駅が田原町でその次が稲荷町です。どちらも住居表示の実施(郵便物を配達しやすくするため、住居の表示を分かりやすくした制度)で町名としては消えてしまいましたが(現在は西浅草、東上野など)、駅名は変えられずに現在まで使い続けられています。

如果从东京浅草寺乘坐地铁银座线,那么它的下一站是田原町再下一站是稻荷町。这两个地方因为住居表示的实施(为方便邮件的配送简化门牌号码的制度),而不再使用街道的名称(现在是西浅草、东上野等)、但站名没有改变依然沿用至今。

ちなみに、このふたつの町は「たわらまち」と「いなりちょう」と呼びます。

这两个街道的读音分别为“たわらまち”和“いなりちょう”。

同じ「町」なのにマチとチョウの駅名が隣り合っているのですが、このような例は珍しくありません。古本屋街の神保町は「チョウ」ですが、その隣の小川町は「マチ」。日本では小学生でも知っている「町」の字なのに、どうして読み方が一致しないのでしょうか? 

同样都是“町”,但相邻的站名像这样分别读作成マチ和チョウ的情况却并不少见。比如古本屋街的神保町读作“チョウ”,而它旁边的小川町却读作“マチ”。在日本连小学生都知道的“町”字,为什么读法会不一样呢?

まず「町」には、地方自治体としての町と、市町村の中に含まれる町(地方自治法にいう市町村の区域内の町)の2種類があるようです。

“町”包括作为地方自治体的町和市町村中包含的町(地方自治法中所说的市町村区域内的町)2种。

自治体名では 東日本がマチで 西日本がチョウ

自治体名中东日本念マチ西日本念チョウ

まず、自治体の「町」をどう読むのか調べてみました。ただし調査で使った資料は、平成15年度版(2003年)新潮選書版の「住所と地名の大研究」です。(平成の大合併が終わった今では、自治体数も約半減しているため、状況が変わっていることをご了承ください)。

首先,对自治体的“町”该如何读进行了调查。但是调查使用的资料是平成15年(2003年)出版的新潮选书版《地址和地名的大研究》。(由于目前平成市町村大合并已经结束,自治体的数量约减少了一半,因此状况有变请悉知。)

北海道が森町を除いてチョウ、東北は青森、秋田、山形、福島がマチ、岩手と宮城は混在、関東はすべてマチ、中部は福井を除く北陸と長野がマチで山梨が混在、東海、近畿、中国、四国のほぼ全域がチョウ、北九州は混在、南九州と沖縄はチョウとなっています。

北海道除了森町都读チョウ,东北的青森、秋田、山形、福岛读マチ,岩手和宫城两种读法都有,关东全部读マチ,中部除了福井之外北陆和长野读マチ山梨两种读法都有,东海、近畿、中国、四国基本全部读チョウ,北九州两种读法都有、南九州和冲绳读チョウ。

大まかな傾向としては、北海道以外の東日本がマチ、西日本がチョウ、ただし九州は混在というのが実情のようです。

粗略看来,北海道以外的东日本读マチ,西日本读チョウ,九州两种读法并存。

市町村内の「町」はどうか?

市町村内的“町”又是如何呢?

では、市町村内の「町」をどう読むか…ですが、こちらはさらに膨大な数が全国にひしめいているので、傾向を掴むまでには至っていません。ただ、自治体とは異なる歴史があるようです。

那么、市町村内的“町”是怎么读的呢,由于全国市町村的数量太多,所以不好统计。但是它与自治体有着截然不同的历史发展。

近世以降の城下町における居住地といえば、おおむね町人の住む町(町人町)と、武家屋敷の2種類がありました。このうち武家屋敷は正式町名がなく、明治になって通称地名を町名としたり、町人町と合併という形で町名が命名されました。

提到近代以后的城下町(以封建领主的居城为中心,在其周围发展起来的城镇),分为大多数工商业者居住的町(町人町)和武士宅地2种。其中武士宅地并没有正式町名,明治后把通用地名作为町名,以与町人町合并的形式命名了町名。

町人町の中には、いわゆる「職人町」があります。鍛冶町、大工町、紺屋町などが「職人町」にあたりますが、これらをどう読むかといえば、これは洒落でもなく「マチマチ」です。

町人町中有一种“职人町”。鍛冶(冶炼)町、大工(木工)町、绀屋(染坊)町等都属于“职人町”、这些町都读作“マチマチ”。

東京の例でいえば、千代田区神田の鍜治屋町、紺屋町、北乗物町などはチョウですが、新宿区牛込地区の細工町、箪笥町はマチです。武家屋敷があった地域でも、牛込の矢来町、千代田区の一番町、紀尾井町などはチョウですが、御徒町(現在は駅名のみ)、大手町はマチ…と、やはり統一されていません。

以东京为例,千代田区神田的鍛冶屋町、绀屋町、北乘物町等读作チョウ,而新宿区牛込地区的细工町、箪笥町读マチ。即使是在有武士宅地的地区也无法统一读音,比如牛込的矢来町、千代田区的一番町、纪尾町等读作チョウ,但御徒町(现在只是站名)、大手町却读マチ。

地方都市を見ると、仙台や和歌山などでは本来、武家屋敷の「丁」と町人の住む「町」を字で区別していましたが、仙台については以前「丁」であったところが居住表示の実施で「町」とされてしまったため、明快な区別が失われてしまいました。同市には今なお小田原金剛院丁、東七番丁、保春院前丁などが生き残っていますが、今後はどうなるか分かりません。

地方城市中,仙台和和歌山等地本来将武士宅地的“丁”和工商业者住的“町”用不同字区分开来了,但仙台因为居住表示的实施把以前有“丁”的地方换成了“町”,导致无法明确区分。目前本市还残留着小田原金刚院丁、东七番丁、保春院前丁等,而未来会变成怎样不得而知。

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