「臭い物に蓋をする」

掩盖事实/家丑不可外扬

都合の悪いことや醜聞が他に漏れないように、一時しのぎの方法で隠すことのたとえ。

指的是为了不让不好的事或是丑闻外泄而使用治标不治本的方法将其掩盖起来。

臭いにおいのする容器に蓋をして、そのにおいを外に出さないようにする意味から生まれた句。根本的な原因である臭いにおいは解決しないで、その場しのぎの状況をやり過ごすこと。

这句谚语原本的意思是为防止臭味漏出来,在容器上盖上盖子。不是解决臭味产生的根本问题,而是治标不治本地应付过去。

「出る杭は打たれる」

枪打出头鸟/树大招风

「出る杭は打たれる」は、「目立つ人は憎まれる」「周りに合わせないと嫌われる」と云う意味を持つ諺から派生したものであり、個人を殺して周囲に合わせようとする日本人の性格を一言で表している。

“枪打出头鸟”有“显眼的人招人恨”、“不合群就会被讨厌”等引申含义,可以说用一句话彰显了日本人泯灭个性融入群体的一大性格。

才能がある・実力がある、そういう人に対して嫉妬などの感情から相手を不当に憎みその人の足を引っ張る。

也指对有才能、有实力的人怀有嫉妒之情,无理由地出于憎恨而拖人后腿。

「後は野となれ山となれ」

身后之事,与我何关 

とりあえず、自分のできる事(やるべき事)をやったならば、後は運任せ人任せでなるようになれ。という事。目先のことさえ解決できれば、後はどうなってもかまわないというたとえ。

总之,我只要做了自己能做的(该做的),之后的事情交给后继者就好了。只要解决了眼前之事,后面会发生什么都与己无关。

自分の利害得失と関係がないのだから後はどうでもいい、あるいは自分のやるべきことはすべてやってしまったのだから後はどうなろうが自分には関係ないといった投げやりな諦観(ていかん)のニュアンスがある。

这句谚语包含了因为和自己的利益得失没有关系,所以后面发生什么都无所谓,或者说自己已经做了力所能及的事情,所以之后无论发生什么都和自己没关系这样甩锅的意味。

「人の不幸は蜜の味」

人之不幸甜如蜜

他人の失敗や不幸を見聞きすることで喜びなどの快感を得ること。「他人の不幸は蜜の味」とも表記する。

这句话指的是在听说他人的失败或不幸后觉得自己产生愉悦的快感。也写作“他人的不幸甜如蜜”。

俗な言い方だと「メシウマ」(他人の不幸で飯がうまい)、「シャーデンフロイデ」あたりが同義となる。

通俗些的说法是“下饭菜”(他人的不幸好下饭),和“幸灾乐祸”是相同的意思。

なぜ他人の幸せを喜べず、不幸を蜜の味に感じてしまうかと言えば、心のどこかで自分だけが幸せになり、優越感を感じられればいいと考えているから。

要说为什么会因他人的幸福而不悦,因他人的不幸而欢乐的话,是因为这样会让人从心底里感受到只有自己是幸福的,从而产生一种优越感。

こうした感情にはうしろめたさが伴うため、恥ずべき喜びを意味するドイツ語「schadenfreude(シャーデンフロイデ)と名付けられ、脳科学や心理学の研究対象にもなっている。

这样伴随着内疚,伴随着羞愧的喜悦在德语中用“schadenfreude”表达,也是脑科学和心理学的一大研究对象。

「長いものには巻かれろ」

胳膊拧不过大腿/人在屋檐下不得不低头

目上の者や勢力の強い相手とは争わないで、それに従った方が得策だという意。

这句谚语的含义是不要和你的上司或者势力强大的人对抗,顺从才是上策。

社会人として生活していると、権力という越えられない壁を感じることも多くなります。上下関係で成り立っている会社などは特にその傾向が強く、上司の命令は絶対で話し合いの余地さえないような場合も。

作为社会人生活,我们经常会感受到权力这一不可逾越的巨大高墙。尤其是在上下关系森严的公司中这种感觉更甚,很多时候上司的命令就是绝对,甚至连商讨的余地都没有。

現実問題として、どう対応すればいいのだろうか。一般的には、しばらくは、「長いものには巻かれろ」のスタンスで大衆とともに歩み、しかし、いずれかの時点で逃げ出すのが無難ということになるだろう。

作为一大现实问题,这种情况下要如何应对呢。一般来讲,大家暂时都会采用“胳膊拧不过大腿”这一态度,但不知不觉我们就会发现我们已经很难从这一现状中逃脱出来了。

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