質問

提问

「とても」は文章に使うには,くだけた言葉ですか。

「とても」太口语化了,用在文章里不恰当吗?

回答

回答

「とても」は長く日本語の中で使われてきた言葉ですので,用法の広がりもいろいろあり簡単にはイエスともノーとも言えません。ことばというものは,長く,そしていろいろな場面で頻度高く使われると,用法がひろがったり,意味が変わったりしてくるのです。

「とても」历史悠久,用法也很复杂,不能简单地对其用法回答出YES或NO。语言如果长时间、大范围被使用,就会产生各种用法,意思也会发生变化。

ここでは,「とても」の用法を大きく【状態・程度を強調する用法】と【打消しの表現を伴って,どうしてもある結果になってしまうことを表す用法】の二つに分け,それぞれで使われ方を検討することにします。

本文将「とても」的用法划分“强调状态·程度的用法”以及“和否定一起使用,表示某种结果必然产生”这两大块,并逐个讨论它的用法。

状態・程度を強調する用法

强调状态·程度的用法

状態や程度を強調する言葉には【めちゃめちゃ すごく 超】などのふだんの話しことば的なものから,【非常に 大変 きわめて ごく】のような少しあらたまったもの,そして【大いに 大層 甚はなはだ すこぶる】のような古めかしい感じのものまで,たくさんあり,いろいろな時と場合で選べそうですね。確かにその中でみると「とても」は「すごく」に近いような“くだけた”部類に入ります。そして,文章よりは会話の中で使われやすいですね。「とっても」というさらにくだけた形もよく耳にします。

强调状态·程度的词非常多,口语中有“めちゃめちゃ、すごく、超”等,书面语中有“非常に、大変、きわめて、ごく”等,更文雅的有“大いに、大層、甚はなはだ、すこぶる”等,可以根据使用场合做出恰当选择。确实「とても」看上去和「すごく」一样属于“口语”范畴,而且比起用在文章里,它更常用于日常对话中。平时我们还会经常听到「とっても」这种更随意的说法。

文章の中,とりわけ説明文や報道文の中で,例えば「待機児童増加は都市近郊においても,とても深刻な問題になっている。」と使うと,硬い漢語が連続する中では,やや違和感があります。「とても」には,実感がこもっていて,主観的な響きもあるので,こうした客観的であろうとする文章にはあまりふさわしくないですね。「とても」のかわりに「大変」とか「きわめて」の方が自然でしょう。

在文章中,特别是以生硬的汉语词为主的说明文、报道文中,使用「とても」会稍显异类。例如「待機児童増加は都市近郊においても,とても深刻な問題になっている。」(越来越多的儿童无法上托儿所这一现象在城市郊区也成为非常严重的问题。)因为「とても」包含着说话人的真实感受和主观色彩,所以不太适合这种客观性强的文章。此时可以用「大変」或「きわめて」来代替「とても」。

でも文章,つまり書きことばにもいろいろあって,たとえば,随筆やエッセイのような,一人称で綴る文章には

但是文章(书面语)也分很多种,比如随笔类的用第一人称写的文章里就可以使用「とても」。

「風もないのに,葉が散っている,なんて,とても哲学的な風景だと思う。」(榊莫山「歌の話」『文藝春秋』1999年12月号)

“无风也落叶,这是多么富有哲学性的风景啊。”(榊莫山「歌の話」『文藝春秋』1999年12月号)

のように違和感なく使われます。また,お礼の手紙・メールで「先日はおかげさまで非常に楽しくすごすことができました。」とすると,何だか大げさな感じがしますが,「先日はおかげさまでとても楽しく過ごすことができました。」とすると,実感のこもった温かみのある言い方になると思いませんか? 手紙やメールは相手がはっきりしていて,会話のシチュエーションと似ていますから,使ってもおかしくない場合もあるでしょう。

另外,在表达感谢的信件或邮件里,如果写「先日はおかげさまで非常に楽しくすごすことができました。」(托您的福,上次我过得很愉快)会显得有点夸张,但改成「先日はおかげさまでとても楽しく過ごすことができました。」就可以让人感受到真情实感。信件或邮件的收件人很明确,写信和对话的场景也比较相似,所以可以使用「とても」。

また,最近,書きことばでは,以前よりは堅苦しさが減って,今まで使われていなかったような話しことば的な語もどんどん使われるようになっています。次の例は学術入門書からですが,専門用語にまじって「とても」が自然に使われています。

而且最近的书面语没有过去那么生硬,以前不会用的口语词汇也越来越多地进入到书面语中。下面的例子摘自专业入门书,而「とても」很自然地融入在了专业术语里。

「潮間帯では岩表面の場所をめぐる競争がとても厳しく,ヒトデは競争力の高いムラサキイガイやフジツボを多く捕食することにより,それらの種が岩場を独占するのを妨げていたのである。」 (石川統編 『生物学入門』東京化学同人 2013年)

“潮间地带,围绕着岩石表面的地盘竞争很激烈,海星捕食很多竞争力强的紫贻贝和藤壶,因而阻止了这些种族独占岩石群。”(石川統编 『生物学入門』東京化学同人 2013年)

打消しの表現を伴って,どうしてもある結果になってしまうことを表す用法

和否定一起使用,表示某种结果必然产生

一方,「とても」には,

另一方面,「とても」还有如下用法:

「しかし,美知子夫人は,当時としては特別な知性の持主で,とてもたんに『妻』として括れるような存在ではなかった。」(長部日出雄「太宰治の『妻』」『文藝春秋』2002年6月号)

“但是,美知子夫人在当时是一位非常有才智的人,没办法简单用‘妻子’一词来概括她的身份。”(長部日出雄「太宰治の『妻』」『文藝春秋』2002年6月号)

のように,どうやってもあることが実現しない,あるいは否定的・消極的結果になってしまう,という用法があります(『日本国語大辞典 第二版』小学館)。打消し表現や,マイナスの意味を持つ語と呼応することが多いのです。この用法でしたら,【どうせ しょせん どっちみち】のようなややくだけた言い方,そしてそれほどくだけてはいませんが,話しことばでも使う【到底 結局】が似た言い方であります。これらの中でも「とても」は,真ん中くらいで,ややくだけた言い方となるでしょうか。どちらにしてもこの用法は,どうやってもその結果にしかならないのだ,という状況に伴うなにがしかの感情をも表していることが多いようです。他にも,

像这样,「とても」可以表示无论如何某件事情也无法实现,或者变成一个否定·消极的结果(『日本国語大辞典 第二版』小学館)。它经常搭配表示否定或消极意义的词。同样用法的还有“どうせ、しょせん、どっちみち”这样比较口语化的词,以及稍微正式一点,但口语中也能使用的“到底(とうてい)、結局(けっきょく)”。这其中「とても」算是比较偏口语的用法。总之,「とても」的这个用法还经常表示对必然产生的结果而心生的某种感情。此外还有以下例子:

「関税のルールをわきまえない国との貿易などリスクがありすぎてとてもできません。」(井上寿一 『日本外交史講義』岩波書店 2014年)

“和不懂关税规则的国家进行贸易往来,这风险太大了,无论如何也不能做。”(井上寿一 『日本外交史講義』岩波書店 2014年)

のような例がありますが,論説などで主張を打ち出すため,適度な主観性をもった語が必要な場合もあるのです。

像这样,在评论中为了提出观点,有时也需要「とても」这样带着适度主观性的单词。

まとめと課題

总结及课题

《「とても」は文章に使うには,くだけた言葉ですか?》

「とても」太口语化了,用在文章里不恰当吗?

というご質問でしたが,たしかにどちらかといえば,くだけた言葉です。しかしこれまで述べてきたように,客観的な事実に即すような文章では使いにくいが,文章によって親しみや主観性を込めたい場合には使われることもある,というのがその答えです。文章に使えるか使えないかは,くだけているかいないか,という尺度だけでは測れないこともわかりますね。

回到这个问题上来,确实「とても」是一个口语化的词。但是如上文所述,虽然它很难用在表示客观事实的文章中,但如果文章中需要一点主观性或柔和的语气时,也可以使用「とても」。能不能用在文章里,不能仅仅凭口语或书面语这一分类来判断。

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