10月10日(日)23時15分から、フジテレビ系列で『テレビアニメ「鬼滅の刃」無限列車編』が放送されます。これを記念して、『鬼滅の刃』と縁の深い浅草でかつて食されていたB級グルメについて、著書にラーメンの起源を解明した『お好み焼きの戦前史』がある食文化史研究家の近代食文化研究会さんが解説します。

10月10日(周日)23点15分起,富士电视台开始播送《电视版动画「鬼灭之刃」无限列车篇》。以此为纪念,由著有拉面起源解说的《日式煎饼战前史》的饮食文化史研究家,近代饮食文化研究会对与《鬼灭之刃》渊源颇深、曾是人们品尝B级美食的浅草地区进行了解说。

人気マンガ『鬼滅の刃』。主人公・竈門炭治郎(かまど たんじろう)は、浅草のうどん屋台で山かけうどんを注文します。ところが、うどんを食べる前に宿敵・鬼舞辻無惨(きぶつじ むざん)の匂いを察知。うどん屋を離れて鬼舞辻を追います。

人气漫画《鬼灭之刃》主人公灶门炭治郎在浅草的乌冬摊面点了山药乌冬面。正在这时,在吃乌冬面之前察觉到了鬼舞辻无惨的气味。于是迅速离开乌冬摊面追赶鬼舞辻。

鬼舞辻を見失ってうどん屋台に戻った炭治郎は、屋台の主人にこっぴどく叱られます。 「金じゃねえんだ、お前が俺のうどんを食わねって心づもりなのが許せねえのさ!!」

跟丢鬼舞辻后回到乌冬摊面的炭治郎,被店主狠狠地骂了一顿。“不是因为钱,我是无法原谅你没有吃我的乌冬面!!”

この主人、自分が作るうどんに対して、強いこだわりを持っているようですね。

这个店主,对于自己制作的乌冬面有很强的执念啊。

それもそのはず、この時期の東京で本格的なうどん屋台を出すというのは、かなり珍しいこと。

这也是理所当然的,在这个时期的东京,开一家正宗的乌冬面摊是相当少见的。

大正時代の東京のうどん屋台といえば、小さな鍋にうどんと具材を入れて煮込んだ鍋焼きうどんが主流でした。

提起大正时代东京的乌冬摊面的话,将乌冬面和食材放进小锅里煮的锅烧乌冬面是主流。

ただでさえそば文化が優勢な東京において、本格的なうどん屋台で勝負をかけるわけですから、「俺のうどんを食わないなど許さない!」と強い意気込みを持っているのも当然といえます。

在荞麦面文化本来就占优势的东京,正宗的乌冬摊面都是要决一胜负的心态,所以“不吃我的乌冬面是不允许的!”的强烈的干劲也可以说是理所当然的。

しかしながら、うどん屋主人の背後には、手ごわいライバルの影が迫っていたのです。それはラーメンの屋台。大正時代の東京では、鍋焼きうどんの屋台にかわって、ラーメンの屋台が栄えようとしていました。

但是,在乌冬面店主的背后,有一个强大的竞争对手正在逼近。那就是拉面摊。在大正时代的东京,拉面的摊位取代了锅烧乌冬的摊位,并繁荣兴盛起来。

1913(大正2)年の雑誌『経済時報11月号』の記事「南京蕎麥屋」には次のように書かれています。

1913(大正2)年的杂志《经济时报11月号》记载的“南京荞麦屋”如下所示。

「普通の蕎麥屋と同じく南京蕎麥屋が巾(はば)を利かせ殊(こと)に淺草公園などは來々軒、東京亭、石川バーなど續々(ぞくぞく)開業普通の西洋料理店で兼業にするやうになつた而(しか)して鍋燒饂飩(うどん)のやうに晝夜(ちゅうや)行商して居るものも尠(すくな)くない」

“和普通荞麦店一样的南京荞麦屋扩张到浅草公园,来来轩、东京亭、石川酒吧等等陆续开业,并且要兼并普通的西洋料理店,但是有很多是日夜挑担行商贩卖锅烧乌冬”

1910(明治43)年に浅草で開店した「来々軒」により、大衆的中華料理のブームが巻き起こり、炭治郎が訪れたころの浅草はラーメンの聖地となっていました。

1910(明治43)年自浅草的“来来轩”开业以来,掀起了大众对中华料理的热潮,炭治郎到访的时候浅草已成为了拉面的圣地。

ラーメン店舗(南京そば屋)、ラーメン屋台が増えただけでなく、西洋料理店までラーメンなどの中華料理を兼業するようになります。

不仅是拉面店(南京荞麦屋)、拉面铺的增加,连西洋料理店都开始兼营拉面类的中华料理。

文中にある「石川バー」とはおそらく「石村バー」の間違いでしょう。バーといいつつ実態は大衆的な食堂でした。大衆食堂が和洋中さまざまなメニューをそろえ始めたのは、大正時代の浅草においてなのです。

文中的“石川酒吧”大概是“石村酒吧”的错误说法吧。说是酒吧其实是大众食堂。在大正时代的浅草,大众食堂开始提供各种各样的和食洋食菜单。

東京商工研究会編『不景気知らず千円開店法』によると、この本が発行された1930(昭和5)年頃には、東京の鍋焼きうどん屋台はラーメン屋台に取って代わられてしまったようです。

根据东京商工研究会编著的《不知不景气千元开店法》,这本书发行于1930年(昭和5年)左右,据说东京的锅烧乌冬店被拉面店取代了。

「冬から春先へかけて、毎夜街から街へと流して歩いた「鍋焼うどん」も、この頃では、すつかりこのそば屋のチャルメラに吹きまくられてほとんどその姿を見せなくなつた」

“从冬天到初春,每晚都在街上流动的‘锅烧乌冬面’,在这个时候也被荞麦面店里的唢呐吹得几乎不见了踪影”。

あのこだわりのうどん屋台店主も、ラーメン屋台に負けて廃業してしまったのでしょうか?

那个讲究的乌冬摊面店主,也是输给了拉面摊才关门的吧?

いや、もしかしたら「こだわりのラーメン屋台」に商売をくら替えして、大繁盛していたのかもしれません。

不,也许说不定把买卖换成了“特色拉面摊”,生意兴隆。

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