沖縄県では、宜野湾市で東京と同時に記念式典が行われた。

在冲绳县,宜野湾市和东京同时举行了纪念仪式。

出席した元公務員の男性(78)は「パスポートが不要になって本当に助かった」と復帰当時の思い出を語る。ただ「(復帰後は)観光立県と言いながら、どんどん海が埋め立てられ、復帰を祝う気持ちは半々だ」と話した。

出席该活动的原公务员男性(78岁)回忆起复归时的情景道,“不需要护照真的帮了很大的忙”。但是,他说“(复归后)虽说是观光立县,但大海不断被填埋,庆祝复归的心情喜忧参半”。

石垣市から式典に駆け付けた元県議の女性(78)は「いろいろ問題はあったが、沖縄がここまで発展したのは復帰があったからこそ」と振り返った。

从石垣市赶来参加典礼的原县议会女性(78岁)回顾道,“虽然遇到了各种各样的问题,但冲绳能发展到如此地步,正是因为复归”。

会場周辺には数十人の市民らが集まり、「基地はいらない」「沖縄を戦場にするな」などと抗議の声を上げた。西原町の男性(73)は「復帰後には米軍基地がなくなると期待したが、そうはならなかった」と強調。「沖縄の人の生活は脅かされている。岸田文雄首相はこの状況を知ってほしい」と訴えた。

会场周边聚集了数十名市民,抗议的呼声很高,“不需要基地”“不要把冲绳当成战场”。西原町的一名男性(73岁)强调,“虽然曾经期待着复归后美军基地会消失,但并没有变成那样”。他控诉道:“在冲绳人们的生活受到了威胁。希望岸田文雄首相知道这种情况”。

那覇市内でも多くの声が聞かれた。中心部の農連市場近くで総菜店を営む女性(63)は、50年前について「貧しくて一家で不安を感じた日々。良い思い出ではない」と話す。深夜までにぎわった市場の面影は既になく、「経済発展と言うが、商売は観光客相手に変わり、良い話ばかりではなかった」。

在那霸市内也听到了很多声音。在中心部农联市场附近经营家常菜店铺的女性(63岁)就50年前如是说道:“那时候很贫穷,全家都活在不安中,不是美好的回忆”。到深夜,喧嚣的市场渐渐平静,“虽说是经济发展,但生意却变成了以游客为对象,并不都是好事”。

同市に住む女性(69)は「復帰後、急に本土と比較されるようになった」と複雑な思いを口にした。子どもの体力や運動能力など、沖縄県が「全国最低」「最下位」と伝えられることは多く「そんなことまで比較されないといけないの」とコンプレックスに感じたこともあったという。「何でも『本土並み』であることが良かったのかどうか」。今はそんな思いも頭をよぎる。

住在该市的一位女性(69岁)说,“复归后,突然被和本土进行比较”,言语中透露出其复杂的想法。在孩子的体力和运动能力等方面,冲绳县经常被评为“全国最低”、“最后一名”,也有人感到自卑,认为“连这样的事情都要比较吗”。“无论什么都要‘和本土一样’,这样是否好呢”。现在这种想法也在脑海中闪过。

市内で民謡居酒屋を営業する男性(49)は「近くにバーがあり、米兵が玄関を壊したりパーキングメーターを倒したりするため、(沖縄は)いつまでもアメリカの占領地だと感じる時がある」。ただ「今は人種の垣根を越えて生きていく時代だから、共存していけたら」と、沖縄の未来を前向きに語った。

在市内经营民谣居酒屋的男性(49岁)说:“附近有酒吧,因为美军有时会破坏玄关或打坏(汽车)停放计时器,所以有时总是感觉到(冲绳)这是美国的占领地”。不过他对冲绳的未来满怀期待,“现在是跨越人种隔阂共同生存的时代,希望能和平共存”。

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