音楽家の坂本龍一(70)が、直腸ガンおよび転移巣の手術を受けたことを発表したのは、昨年1月のことだった。2014年に患った中咽頭ガンはその時点で寛解していたが、2020年に新たにガンが発見されたのだという。もっとも当時のコメントには「すばらしい先生方との出会いもあり、無事手術を終えて現在は治療に励んでいます」とあり、さらに「治療を受けながら出来る範囲で仕事を続けていくつもりです」と仕事への前向きな姿勢を示していた。多くのファンは心配しつつも、安堵したことだろう。

音乐家坂本龙一(70)宣布接受了直肠癌转移巢手术是去年一月的事。2014年患上的咽喉癌虽然在2020年已经有所缓解,但又被发现患上了新的癌症。他当时这样写道:“遇到了出色的医生,手术已顺利完成,目前正在努力治疗中”,并表示“打算在接受治疗的同时尽可能地继续工作”展示出对工作的积极态度。这些话让许多担心他的粉丝松了一口气。

しかし、実際の病状は、こうした前向きなコメントからは想像できないほど深刻なものだったようだ。診察した医師の口からは「余命半年」といった衝撃的な言葉まで飛び出していたのである。

然而,实际病情似乎比这些积极话语要严重百倍。接诊的医生甚至说出了“只剩半年寿命”这样冲击性的话。

文芸誌『新潮』7月号から坂本が開始した連載「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」には、この間の経緯や心境が本人から詳しく語られている。以下、引用しながら見てみよう。

坂本在文艺杂志《新潮》7月号上连载的文章《我还能看到多少次满月》中,详细讲述了他在这期间的经历和心情。下面,本文将引用文章内容进行解读。

「何もしなければ余命半年」

“如果什么都不做,就只剩半年寿命了。”

坂本が直腸ガンを告げられたのは、かかりつけのニューヨークの病院でのことだった。

坂本被告知患了直肠癌,是在他常去的纽约医院。

2014年に発覚した中咽頭ガンはその後、晴れて寛解したものの、20206月にニューヨークで検査を受け、直腸ガンと診断されてしまいました。

2014年查出的咽喉癌之后虽然痊愈,但在20206月在纽约接受检查时,我又被诊断出了直肠癌。

前回、放射線治療がうまくいったので、ニューヨークのそのガンセンターのことを信頼していました。今回は放射線治療と並行して抗ガン剤も服用しました。しかし治療を始めて数ヶ月が経っても、なかなかガンが消えません。

因为上次放射治疗很顺利,所以我很信任纽约的那家癌症中心。这次在放射治疗的同时服用了抗癌药。然而,治疗了几个月后,癌症还是没有消失。

同じ年の12月に日本での仕事があり、その頃、物忘れの多さに悩んでいたこともあって帰国ついでに脳の調子を調べておこうと思い、11月中旬から2週間の隔離を経て人間ドックを受けました。そうしたら、脳は正常だったのですが、あろうことか別の場所で異変が見つかってしまった。直腸ガンが肝臓やリンパにも転移しているというのです。

同年12月,我有一份工作要去日本,当时,我还在为频繁健忘而烦恼,因此决定回国后顺便检查一下大脑的状况,于是从11月中旬开始经过两周隔离后,我接受了综合体检。结果发现,大脑一切正常,但在其他地方发现了异常。据说直肠癌已经转移到了肝脏和淋巴。

この時点で放射線治療が終わって3ヶ月は経っていましたが、なぜかニューヨークの病院では転移の事実を告げられていませんでした。少なくとも9月末には転移の根っこは見えていたはずなのに。当然、転移自体がショックなことだけど、全米でも一、二を争うガンセンターが見落としていたのか、あるいはどういう理由でか、ぼくに黙っていたことに対して、一気に不信感が芽生えました。

此时距离放射治疗结束已经过去3个月,而纽约医院却没有告知我转移的事实。明明至少在9月末应该就能看到转移的根源了。当然,癌细胞转移本身就是一件令人震惊的事,但不知是全美数一数二的癌症中心看漏了我的病情,还是因为什么原因,总之他们对我隐瞒实情这件事让我瞬间产生了不信任感。

日本の病院で最初に診てくださった腫瘍内科の先生には、『何もしなければ余命半年ですね』と、はっきり告げられました。かつ、既に放射線治療で細胞がダメージを受けているので、もうこれ以上同じ治療はできないと。加えて彼は、『強い抗ガン剤を使い、苦しい化学療法を行っても、5年の生存率は50%です』と言います。きっとそれは、統計に基づいた客観的な数字なのでしょう。

在日本医院,最初为我看诊的肿瘤内科医生明确地告诉我:“如果什么都不做,你的生命就只剩下半年了。”而且,细胞已经因为放射治疗遭到破坏,不能再进行同样的治疗了。接着他说道:“即使使用强效抗癌药,进行痛苦的化疗,5年的生存率也只有50%。“那一定是基于统计得出的客观数字吧。

でも、仮にエビデンスを示したとしても、患者に対しての言い方ってもんがあるだろう、と正直頭にきてしまいました。こちらに希望を与えないような悲観的な断定をされ、ショックで落ち込んでしまった。有名な先生だと聞きましたが、ぼくとは相性が悪いのかもしれないと思いました」

但是,就算他展示出了依据,这种对患者的说话方式也是存在问题的吧,当时我真的很生气。被他这样毫无希望并悲观地断定,我深受打击,心情十分低落。虽然听说他是有名的医生,但我仍觉得可能和他性格不合。”

6回にわたる手術

6次手术

結局、坂本は別の病院を受診する。しかし、そこでも深刻な状況であるという判断は同じだった。

最后,坂本去了其他医院就诊。但是,他们同样认为情况很严重。

「紹介先の病院でセカンドオピニオンを聞いたところ、転移があるという時点で、ステージ4に認定されてしまうそうなんですね。しかもその後の検査で、肺にもガンが転移していることがわかりました。はっきり言って、絶望的な状態です。

“在介绍的医院听到专家的二次诊断得知,直肠癌转移时,就已经是癌症4级了。并了解到在那之后的检查中,癌症也开始向肺部转移。坦白说,我感到很绝望。

そして、年が明けて20211月に、まずは直腸の原発巣と肝臓2か所、さらにはリンパへの転移を取る外科手術を受けることになりました。手術前は意外とヘラヘラしていて、そのときの写真が残っていますが、手術室へ向かうドアの前でぼくは家族に向かって『行ってくるねー』と、呑気に手を振っています。

到了20211月,我接受了外科手术,首先切除直肠的原发灶和肝脏两处,然后切除了淋巴的转移处。手术前我竟然还笑了,当时的照片记录了这一画面,在手术室门前,我从容地对家人挥手说:“我很快回来。”

当初、12時間ほどを予定していた手術は、結果的に20時間もかかりました。午前中から始まって、翌日の午前4時までかかったはずです。本人としては『俎板(まないた)の鯉』の状態ですから、手術を受ける決断をしたら、あとは医師を信頼して身を委ねるしかない。『切るのはもう少し短く、20センチくらいにしてくれませんか?』と提案するほどの専門知識を、こちらは持ち合わせていませんしね」

当初预计进行12个小时的手术,结果花了20个小时。从上午一直到第二天凌晨4点才结束。当时的我就像刀俎上的鱼一般,一旦决定接受手术,接下来就只能信赖医生。因为毕竟我也没有专业知识,可以提出类似“的‘能不能剪短一点,20厘米左右?’的建议。”

公式HPで「無事手術を終え」とコメントしたのは、この直後ということになる。しかし、実際の治療はこれで終わり、とはならなかった。

在官网发表“手术顺利完成”的声明就是这之后的事情。但是,实际的治疗并没有就此结束。

「この2年のあいだに、大小あわせて6度の手術を受け、今のところ外科手術で対処できるような腫瘍は全て取り終えたという状態です。大きなものとしては、202110月と12月の2回に分けて、両肺にも転移していたガン腫瘍の摘出手術を行いました。それぞれ34時間くらいだったはずです。

“这两年,大大小小共做了6次手术,目前外科手术可以处理的肿瘤已经全部取出。最大的一次手术,是在202110月和12月分两次做的这场转移至两肺的癌症肿瘤摘除手术。各耗时34个小时左右。

ただ、これでようやく最後だと思ったら、どうもまだ病巣は残っており、さらに増殖しているらしい。先生からそう聞かされたときは、さすがにガクッときました。あとはひとつひとつ手術で取るのではなく、薬で全身的に対処するしかないそうです。終わりの見えない闘病生活ですね」

只是,当我以为终于要结束时,却发现病灶还没完全去除,并且还在增殖。听到医生这么说,我终是颤抖了。医生表示之后不能依靠一个个手术去除,只能用药物进行全身性的治疗。所以余生将是无休止的与病魔斗争的生活。”

現在の心境についてはこう綴る。

关于现在的心情,他这样写道:

「ぼくは40歳を過ぎる頃までは健康のことなんて一切考えず、野獣のような生活をしてきました。その後、視力が落ちて自分の身体と向き合わざるを得なくなり、野口整体やマクロビオティックのお世話にもなりましたが、西洋医療の薬を日常的に飲み始めたのは、60代で最初のガンが発覚してからです。きっと、ガンになったのも何か理由があるのだろうし、結果的にそれで亡くなってしまっても、それはそれで本来の人生だったんだ、と達観している部分もある。

“在40岁以前我从未考虑过健康的事,一直过着如野兽般的生活。后来,视力出现下降,我不得不开始正视自己的身体,也尝试过野口整体法(养生方法)和使用保健品,而日常喝西药是在60多岁发现最初的癌症后才开始的。我也曾豁达地想过,患癌症一定也是有什么原因吧,即使最终因此而死也没什么,是过去的自己造成的。

20211月の手術の直後に、ぼくは『これからは“ガンと生きる”ことになります。もう少しだけ音楽を作りたいと思っていますので、みなさまに見守っていただけたら幸いです』というコメントを発表しました。“ガンと闘う”のではなく、“ガンと生きる”という表現を選んだのは、無理して闘ってもしょうがない、と、心のどこかで思っているからかもしれません」

20211月,手术一结束,我就发表了声明'今后我将与癌症共生。我还想继续创作音乐,希望大家能继续关注'。我之所以没有选择'与癌症斗争',而是选择'与癌症共生',或许是因为我在内心的某个角落认为勉强与其作斗争也不会有结果。”

『新潮』連載のタイトル「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」は、彼が音楽を手がけた映画『シェルタリング・スカイ』に出てきたポール・ボウルズの言葉に影響されて、最近よく思うことなのだという。手記の中では、術後のせん妄や、死についての考え方から、音楽論、代表曲『戦場のメリークリスマス』についての今の気持ちなど、70歳となった坂本の思考がオープンに語られている。

受到由他本人负责配乐的电影《遮蔽的天空》中保罗的台词“你还会看到多少次满月升起?”的影响,《新潮》杂志中连载的文章标题《我还能看到多少次满月》是他最近常常思考的问题。从术后的意识障碍、对死亡的思考,到音乐论以及现在对代表作《战场上的圣诞快乐》的感受等,70岁的坂本在手记中畅谈了自己的思考。

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