《清明》和歌

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清明  杜牧

清明時節雨纷纷       清明の時節 雨 紛々
路上行人欲斷魂       路上の行人[こうじん] 魂を断たんと欲す
借問酒家何處有       借問[しゃくもん]す酒家[しゅか] 何れの処にかある
牧童遙指杏花村       牧童遙[はる]かに指さす杏花[きょうか]の村

日本でも四月の始め頃になると雨が良く降る。菜種梅雨です。杜牧の時代も、清明の時節は雨粉粉。路上の行人と云うのは自分のこと。

在日本,4月伊始也经常飘雨,即“菜种梅雨”。在杜牧的时代,清明时节也时常下雨。“路上行人”是代指自己。

行人は旅人。「魂を断たんと欲す」は漢文で読むと非常に固いことのように見えますが、「気が滅入る」と云うことです。

行人即旅人。“欲断魂”在汉语里是一个非常固定的词组,是指忧郁,消沉的意思。

雨がしとしと降って気が滅入るなあ、気晴しに酒でも飲みたいなぁ、どこかに酒家がないかと思って見ると、向こうの方から牧童が来る。

淅淅沥沥的小雨让人心情低沉。诗人想饮些酒来消散心头的愁绪,正在想着到哪去找酒家呢,迎面走来了一位牧童。

牧童は牛を連れて来る子供の事ですが、実は牧童と云うのがこの詩の一つの鍵なのです。中国の詩の世界では、俗世間に対して超俗世間がある。この超俗世界の人が三種類あって、そのうちの一つが牧童です、あと二つは木樵りと漁父

牧童是指牵牛的小孩,实际上“牧童”这一人物是这首诗的关键之一。中国诗的世界,包含俗世及其相对的超俗世。在超俗的世界里有三种人,其中之一就是牧童,另外两类是樵夫和渔父。

ですから、ここで牧童が出て来たと云うことは、詩の舞台が俗世間ではない。牧童遙かに指す杏花の村。そこには、他の杜牧の詩にも出て来る酒旗、酒屋ののぼり、酒帘とも云うし、青い色をしているから青帘とも云う。

因此,诗人在这里碰到牧童,说明该诗的舞台并非俗世。牧童遥指杏花村,那里的“杏花村”就如同杜牧其他诗中出现的酒旗、酒帘,是指那种蓝色的“青帘”。

それが雨にそぼぬれて見える。こう云う図だと思います。牧童は、答えてあっちだよと、青い旗と杏の花は白くて小さい花ですけど、合せて彩りになっている。杏の花は脇役です。

此时我们眼前浮现出被雨淋得透湿的旅人兴奋地看到酒家的图景。牧童答道:“在那呢。”顺手望去,便看到蓝色的旗子以及白色的小杏花,像是一幅美丽的水彩画。杏花在此算是配角。

主役は牧童なんです。牧童の遊ぶ世界で、そこに自ずから超俗の世界が浮上って来る。

主角当然是牧童了。身处牧童游历的世界,那里自然就超凡脱俗了。

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