吉田兼好(1283-1350),南北朝时期日本歌人。曾在朝廷为官,后来仕途失意,出家做了僧人,又称兼好法师,他精通儒、佛、老庄之学。《徒然草》等随笔作品则表达了对现世社会的不满与旧日繁华的留恋,预示了贵族文化逐渐隐遁退出历史的结局。
《徒然草》是日本近古文学的双璧之一,深邃而警世,里面充溢着人生无常和飘然出世的思想,代表日本古代随笔的最高成就。随笔集《徒然草》注重对人生的领悟,全书共分243段,由杂感、评论、小故事,也有一些属于记录或考证性质的作品,涉及当时社会的各个阶层的众多人物。作者写了许多带有寓意性质的小故事。由于这部作品内容丰富,语言简练刚劲,描写生动准确,长期被认为是日本随笔文学中的佳作。“风未尽花已落去,人心也一样,想起温存于心头的岁月,虽还没忘记那动情感人的话语,但那人却很快隔阂于我离我而去的世之常事,实在比同亡人死别更令人悲伤。”似乎仍有世情在其中。

『徒然草』
原文:
序 段

 つれづれなるまゝに、日暮らし、硯(すずり)に向ひて、心に移り行くよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、怪しうこそ物狂(ものぐる)ほしけれ。

译文:
序 段
竟日无聊,对砚枯坐,心镜之中,琐事纷现,漫然书之,有
不甚可理喻者,亦列怪也。

第一段

 いでや、この世に生れては、願はしかるべきことこそ多かめれ。
 帝の御位(おんくらい)はいともかしこし。竹の園生の末葉まで、人間の種ならぬぞやんごとなき。一の人の御有様はさらなり、ただ人も、舎人(とねり)などたまはる際(きわ)は、ゆゆしと見ゆ。その子?孫までは、はふれにたれど、なほなまめかし。それより下つ方は、ほどにつけつつ、時に逢ひ、したり顔なるも、みづからはいみじと思ふらめど、いと口惜(くちお)し。

 法師ばかり羨しからぬものはあらじ。「人には木の端のやうに思はるるよ」と清少納言が書けるも、げにさることぞかし。勢猛(いきおいもう)に、のゝしりたるにつけて、いみじとは見えず。増賀聖(ぞうがひじり)のいひけんやうに、名聞くるしく、佛の御教(みおしえ)に違ふらむとぞ覚(おぼ)ゆる。ひたふるの世すて人は、なかなかあらまほしき方もありなん。

 人は、かたち?有樣の勝(すぐ)れたらんこそ、あらまほしかるべけれ。物うち言ひたる、聞きにくからず、愛敬ありて、言葉多からぬこそ、飽かず向(むか)はまほしけれ。めでたしと見る人の、心(こころ)劣りせらるゝ本性(ほんじゃう)見えんこそ、口をしかるべけれ。

 人品(しな)?容貌(かたち)こそ生れつきたらめ、心はなどか、賢きより賢きにも、移さば移らざらん。かたち?心ざまよき人も、才なくなりぬれば、しな(=人品)くだり、顔憎さげなる人にも立ちまじりて、かけずけおさるゝこそ、本意なきわざなれ。

 ありたき事は、まことしき文の道、作文?和歌?管絃の道、また有職に公事の方、人の鏡ならんこそいみじかるべけれ。手など拙(つたな)からず走りかき、聲をかしくて拍子とり、いたましうするものから、下戸ならぬこそ男(おのこ)はよけれ。


译文:
人之生于此世也,所求殊多。天皇之位,固已极尊,天潢贵胃,迥非同凡种,亦高不可攀。摄政关白一人之下万人之上,非可妄求,自不待言。至于一般贵人,身居宿卫,受舍人之号,未可小视。其子孙之零落者,犹有流风余韵。等而下之,则有因各自之身分,逢时得意而傲然自视不凡者,甚无谓也。世间若法师之不足羡者,鲜矣哉!清少纳言:人“犹如木屑”,诚哉斯言。法师说法,尧尧一世,其势炙手可热究何可取?增贺上人似有云,汲汲求名,有违佛陀教义。然而一心舍世皈教者,则甚有可羡之处也。
容貌秀美,人所欲也。苟有所言,人皆乐闻,又非喋喋利口之辈,亦使人终日对之而无倦容。至若风采堂堂而才德不足以副之,则实令人叹惜也!
品德容貌受之于天,姑置之勿论可也。至于心术,可望日进于贤,了无止境。容貌气质之佳者,如胸无点墨而日与无品无貌之流为伍,甚至为此辈所制服,此则甚非本意所及者也。
余之所望于男子者,修身齐家之实学,善诗赋文章,通和歌管弦之道,并精于典章制度,能为人表率,斯为至上。工书而能信笔挥洒,善歌而必中节拍,对酒苦辞不得,亦能略饮以为酬应,此于男子,比为佳事。

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