日本著名小说家村上春树于当地时间9日,在西班牙获得了加泰罗尼亚国际奖。在演说中发表了有关对本次日本大难的反省和深思。文中有些停顿、反复的,请按正常语序听写
核という圧倒的な力の脅威の前では、我たち全員が被害者ですし、その力を引き出したという点においては、またその力の行使を防げなかったという点においては、我たちはすべて加害者でもあります。 今回の福島の原子力発電所の事故は、我々日本人が歴史上体験する、二度目の大きな核の被害です。しかし、今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。我たち日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、自らの国土を汚し、自らの生活を破壊しているのです。 どうしてそんなことになったのでしょう?戦後長いあいだ日本人が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう?我たちが一貫して求めていた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう? 答えは簡単です。「効率」です。「エフィシェンシー」っていいです。 原子炉は効率が良い発電システムであると、電力会社は主張します。つまり利益が上がるシステムであるわけです。また日本政府は、とくにオイルショック以降、原油供給の安定性に疑問を抱き、原子力発電を国策として推し進めるようになりました。電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました。 そして気がついたときには、日本の発電量の約30パーセントが原子力発電によってまかなわれるようになっていました。国民がよく知らないうちに、この地震の多い狭くて込み合った日本が、世界で三番目に原子力の多い国になっていたのです。 まず、既成事実がつくられました。原子力発電に危惧を抱く人々に対しては「じゃああなたは電気が足りなくてもいいんですね」、「夏場にエアコンが使えなくてもいいですね」という脅しが向けられます。原発に疑問を呈する人々には、「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。 そのようにして我たちはここにいます。安全で効率的であったはずの原子炉は、今や地獄の蓋を開たような、惨状を陥っています。 原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかったです。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。 それは日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、そのような「すり替え」を許してきた、我たち日本人の倫理と規範の敗北でもありました。 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」 我々はもう一度その言葉を心に刻まなくてはなりません。 ロバートオッペンハイマー博士は第二次世界大戦中、原爆開発の中心になった人ですが、彼は原子爆弾が広島と長崎に与えた惨状を知り、大きなショックを受けました。そしてトルーマン大統領に向かってこう言ったそうです。 「大統領、私の両手は血にまみれています」 トルーマン大統領はきれいに折り畳まれた白いハンカチをポケットから取り出し、言いました。「これで拭きたまえ」 しかし言うまでもないことですが、それだけの血口をぬぐえるような清潔なハンカチなど、この世界のどこを探してもありません。 我たち日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の個人的な意見です。 我たちは技術力を総動員し、叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです。 それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合的責任の取り方となったはずです。それはまた我々日本人が世界に真に貢献できる、大きな機会となったはずです。しかし急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、その大事な道筋を我たちは見失ってしまいました。 壊れた道路や建物を再建するのは、それを専門とする人々の仕事になります。しかし損なわれた倫理や規範の再生を試みるとき、それは我たち全員の仕事になります。それは素朴で黙々とした、忍耐力を必要とする作業になるはずです。晴れた春の朝、ひとつの村の人々が揃って畑に出て、土地を耕し、種を蒔くように、みんなが力を合わせてその作業を進めなくてはなりません。 その大がかりな集合作業には、言葉を専門とする我々=職業的作家たちが進んで関われる運があるはずです。我々は新しい倫理や規範と、新しい言葉とを連結させなくてはなりません。そして生き生きとした新しい物語を、そこに芽生えさせ、立ち上げていかなくてはなりません。それは我たち全員が共有できる物語であるはずです。それは畑の種蒔き歌のように、人を励ます律動を持つ物語であるはずです。
在强大的核力量面前,我们是受害者同时,从将这种力量导出,没有防止这种力量的使用来说,我们又是加害者。 此次的福岛核发电站的事故,是日本历史上第二次大的核灾难。但这次,并非是谁投放的。是我们自己自掘坟墓、咎由自取的。污染了我们的国土、毁坏了自己的生活。 为什么会这样呢?二战后,很长时间内,对核的厌恶,到底在何时消失了呢?我们一再追求的的和平富足的社会,被什么损害、扭曲了呢? 答案很简单,是效率,也可说是“efficiency”。 电力公司一直宣扬,原子反应堆是効率颇高的发电系统。也就是说,是会提高收益的系统。而且,日本政府,尤其在石油危机以后,不信任石油供应,决议将核电站作为国策推进。电力公司花费大量的宣传费,收买媒体,将核电是安全的理念根植于国民心中。 在察觉到的时候,核电已跃至日本去全国发电量的30%了。在国民尚处于混沌之时,这个多地震、狭窄拥挤的日本,已成为世界核电量第三的国家。 首先,造成既成事实。对于对核电有些畏惧的人,以“那,电不够用也行哈”、“夏天不能使用空调也可以吗”等相威胁。给那些对核电站抱有疑问的人,贴上“不现实的梦想家”的标签。 于是,我们走到了今天这个地步。原本应是安全高效率的核电站,像掀开地狱的盖子一般,陷入惨状。 推进核电站发展的人们主张的“现实点”的现实,实际上并非是现实,不过是表面的便利,他们在此用“现实”代入,偷换概念。 这,既是日本长期自傲的“技术力”神话的崩溃,也是我们这些默许这种“偷换概念”行为的人的失败。 “请安眠,再也不会犯这种错了” 我们必须再次铭记这些。 奥本海默博士是二战中,研究核炸弹的中心人物。当他知道原子弹的轰炸给广岛、长崎带来的灾难时,深受冲击。于是他跟杜鲁门总统这样说道, “总统大人,我的双手沾满鲜血”。 杜鲁门总统从口袋取出洁白的折叠整齐的手绢,说:“用这个擦干净来。” 但毋庸说,在世界上,是找不到一条能擦干净这淋漓鲜血的手绢的。 对待核,我们日本人应当说“不!”这是我的个人意见。 我们原本应当全国总动员技术力量、集聚智慧、投入社会资本,开发能代替核能的能源的。 这本应是我们面对在广岛长崎离开的人们的责任。这也是我们日本人对世界做出真正贡献的大好机会。但,在高速发展的途中,我们流于效率这般表面的基准,迷失了重要的方向。 修建毁坏的道路和建筑,是专业人员的职责。但是,尝试着修补被损害的伦理和规范,这是我们大家的责任。这是一项需要忍耐力的,朴实安静的工作。像晴朗的春季,同村的人集合后一起到田里耕地,播种一样,需要大家合心协力,共同担当的工作。 在这大规模的集体作业中,也应有以语言为专业的我们——职业作家们,相关的工作。我们必须将新的理论与规范,与新的语言相联接。必须于此创作出生动的新的故事,让其发芽、成长。这应当是我们大家共同拥有的故事。这也应当是像田间播种歌一样,有着激励人们的音律的故事。