「美しい日本語」って何ですか  四年一組 山口浩

今朝、朝ご飯を食べていたら、お父さんが、「これを読んでごらん」と言って、新聞を見せてくれました。その新聞には、日本語についての記事が出ていました。その記事には、1960年からアメリカに住んでいる日本人の人が、最近、日本でよく使われている、「らぬき言葉」におどろいた、という話がのっていました。

今天早上吃早饭的时候,爸爸将报纸递给我说“读下这个看看”。报纸上登了一篇关于日语的报道(点击查看报道)。那篇报道讲的是,一位1960年移居美国的日本人惊讶于近来在日本频繁被使用的“らぬき言葉(点击查看解释)”。

読み終わって顔を上げたら、お父さんが、「これは何がいいたいのかな」と聞きました。大人の新聞は、むずかしい言葉をたくさん使っていて、よくわからないところもありましたが、その人は、ずっと日本に住んでいなくて、その間に、日本語が変わってしまったので、びっくりしていたのだ、と思いました。ぼくがそう答えると、お父さんは、ニヤリ、とわらいました。こういうときのお父さんは、たいてい何かたくらんでいるので、ぼくは、注意しようと思って、「よくわからないよ」と言いました。

读完后我抬起头,爸爸问:“这篇文章想讲什么呢?”虽然大人的报纸用了很多很难的词语,有些地方不是很明白,不过我想,应该是说那个人一直没住在日本,在这期间,日语发生了很多变化,他很惊讶之类的吧。我这么回答了后,爸爸抿嘴一笑。这种时候的爸爸,肯定在打什么主意,我得小心,于是便说“不太明白啦”。

そしたら、お父さんは、「これを書いた人が本当に言いたかったことは何かな」と聞きました。ぼくは、そんなこと、書いた人じゃないからわからないよ、と思いましたが、もう一度読んでみました。それでもよくわかりません。でも、なんとなく、その、外国に住んでいる日本人の人をほめているような感じがしました。それで、ぼくが、「うーん。『美しい日本語』ってあるから、その、外国に住んでいる日本人の人をほめたかったのかなあ」と言ったら、お父さん は、「待ってました」と言いたそうな顔で、人さし指を立てて、「そうそう」と言いました。

于是,爸爸问:“写这个文章的人,真正想说的到底是什么呢?”我心里想,我又不是写文章的人我怎么会知道,不过还是重新读了一遍,可还是不太明白。但是,总觉得这篇文章在夸住在国外的那个日本人。于是,我说:“唔……因为有提到‘美丽的日语’,所以是想夸那个住在国外的日本人吧。”爸爸一副“就等你这句话”的样子,伸出食指说:“没错没错。”

そしたら、お父さんは、「じゃあ、『美しい日本語』って何だろう」と聞きました。ぼくは、「お父さんはこれが聞きたかったんだな」と思いました。らぬき言葉におどろいたということは、らぬき言葉は「美しい日本語」ではないはずです。きっと昔は、らぬき言葉はなかったのでしょう。それで、ぼくは、「昔 の言葉じゃないかなあ。だって、この人は、昔の日本語しか知らなかったんでしょ?」と言いました。そしたら、お父さんは、「じゃあさ、今の日本語は、美しくないのかな?」と聞きました。

然后,爸爸又问:“那么,‘美丽的日语’又是什么呢?”我心里想,爸爸原来是想问这个啊。既然那人惊讶于“らぬき言葉”,也就是说“らぬき言葉”应该不是“美丽的日语”。“らぬき言葉”以前也一定没有吧。于是我回答道:“是不是以前的语言啊,因为这个人只知道以前的日语嘛。”爸爸接着问:“那么,现在的日语是不是就不美了呢?”

ぼくは、よくわかりませんでした。ぼくたちは、ふだん「らぬき言葉」をふつうに使っています。だから、それが「美しくない」とはあんまり思いません。でも、学校で、先生が、「今はそういうことばをよく使うけど、あらたまったところではあまり使わない方がいいね」と言っていました。あらたまったところでは、ていねいな言葉を使わなければいけません。たぶん、らぬき言葉はていねいな言葉じゃないから、「美しい日本語」にはならないのでしょう。

这个,我就不是很懂了。“らぬき言葉”什么的,我们平常就那么用着的。所以,也没觉得是不美的。但是在学校里,老师会说:“虽然你们现在经常用这样的日语,但是在正式的场合最好不要用哟。”在正式的场合,说话必须要有礼貌。可能,“らぬき言葉”不是有礼貌的日语,所以就不算“美丽的日语”了吧。

それで、ぼくは、「日本語は昔と今でちがうんだね」と言いました。そしたら、お父さんはニヤニヤしながら、「その通り。じゃあ、日本語はいつ変わったのかな?」と聞きました。ぼくは、「その、アメリカに行った人は、1960年に行ったって書いてあるから、その後じゃないかな」と言いました。そしたら お父さんは、もっとニヤニヤしながら、「時代げきって見たことある?」と聞きました。

于是,我说道:“以前的日语和现在的不一样吧。”这时候,爸爸边笑边说,“没错。那么,日语是什么时候发生变化的呢?”我回答:“文章里写着那个人是在1960年去美国的,那就是那之后了吧。”爸爸笑的更欢了:“时代剧看过吗?”

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ぼくは、思い出しました。テレビの時代げきは、え戸時代とかの昔の時代をぶ台にしています。そこでは、おさむらいさんとかが、「せっ者は」とか、 「ござる」とかいう言葉を使っていました。でも、1960年にアメリカに行った人は、そういう言葉は使っていなかったでしょう。日本語は、もっとずっと前から、変わってきたということになります。

我想起来了。电视里的时代剧,是以江户时代或者以前的某个时代为背景的,剧里的武士们会说“せっ者は(自称鄙人)”“ござる(‘ある’‘いる’的敬语)”。但是,1960年去美国的那个人没有用那些日语吧。那么,日语从很早开始就变了吧。

ぼくがそう言うと、お父さんはうれしそうに、「わかった?」と言いました。ぼくは、「え戸時代は、『せっ者は』とか言ってたんだよね?そういう人からみれば、1960年にアメリカに行った人の日本語も、『美しくない日本語」だったのかもしれないね」と言いました。そしたらお父さんは、「そう。そして、いつの時代も、年寄りたちは、若い人たちの言葉を、悪く言い続けてきたんだ」と言いました。

我如此回答后,爸爸好像很高兴,问:“明白了?”我说:“江户时期,人们会说‘せっ者は’之类的吧?也许在那时候的人看来,1960年去了美国的那个人的日语也不是美丽的日语吧。”爸爸回答道:“没错。而且不管是什么时代,上了年纪的人都会一直说年轻人说的日语不好什么的。”

千年以上前の「まくらの草子」という本も、「日本語が乱れている」となげいているのだそうです。お父さんは、「そんなに昔の言葉が美しくていいなら、50年前じゃなくて、千年前の日本語に戻ったらいいんだよ」と言って、笑いました。ぼくは、50年前の日本語がそんなに美しいなら、千年前の日本語はどんなに美しいだろうと思って、ちょっと聞いてみたい、と思いました。

千年以前的《枕草子》中,据说也感叹“日语使用混乱”。爸爸笑说:“既然觉得还是以前的文字美,就干脆回到千年前的日语吧,五十年前算什么嘛。”我心里想,五十年前的日语都那么美了,千年前的日语该有多美啊,好想听听看啊。

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