昭和四年出任日本首相的政治家叫犬养毅。“犬养”?可能你心中有无数词语吐槽这个充满喜感的姓氏,其实犬养毅生前还有一件颇为自豪的事,那就是:自己的祖先是犬,而且居然还是桃太郎的随从中的那个犬……

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犬養毅(いぬかいつよし)といえば、「話せばわかる」というセリフで有名だろう。5.15事件で青年将校らに急襲されたとき、彼らに語った言葉である。犬養毅は昭和4年に首相となり大きな改革を行ったが、彼の暗殺は戦前の日本史に極めて大きな後遺症をもたらすこととなった。ところで彼は生前、妙な自慢をしていたという。自分の祖先は犬で、しかもなんと桃太郎のお供の犬だった、というのだ。

说到犬养毅,他那句“有话好好讲”已是众人皆知的名言了吧。这是5.15事件发生时,他对突袭自己的青年将校们说的话。犬养毅于昭和4年出任日本首相,并进行了一系列大力改革。然而,他的暗杀事件却给战前的日本带来了影响极其深远的后遗症。话说回来,据说犬养毅在生前有一件很奇妙的令他引以为豪的事——自己的祖先是犬,而且居然还是桃太郎的随从中的那个犬。

桃太郎の従者といえば、ご存知のとおり猿、雉、そして犬である。この犬が犬養毅の御先祖様とは、一体どういうことなのだろう?桃太郎伝説のモデルとして有名なのは、吉備津彦命(きびつひこのみこと)の逸話である。吉備津彦=桃太郎説の真偽についてはここでは触れないが、一般に広く浸透している説である。

说起桃太郎的随从,大家都知道有猿、野鸡和犬。要说这个犬是犬养毅的祖先,这到底是怎么一回事呢?作为桃太郎传说的原型而著名的是吉备津彦命,关于吉备津彦=桃太郎这一点的真伪这里暂时按下不表,但总的来说这是世人普遍接受的说法。

吉備津彦命は古事記の中でも初期の、いわゆる神話時代の人物だ。人物相関関係を見て行くと、ヤマトタケルの祖父にあたる可能性があるという。

吉备津彦命即便是在《古事记》(日本最早的史书)中,也是属于初期的,换句话说就是神话时代的人物。按照人物谱系图来看,他有可能是日本武尊的祖父。

吉備津彦は、天皇から蛮族退治を命ぜられ、軍を率いて吉備地方、現在の岡山県に向かった。そしてその時に伴って行った者の中に、犬飼武、楽々森彦(ササモリヒコ)、中山彦という人物がいた。彼らはそれぞれ犬飼部、猿飼部、鳥飼部という役職であった。

吉备津彦受天皇之命去讨伐蛮族,率领军队向吉备地区即现在的冈山县进发。当时伴随的同行者中,有犬饲武、乐乐森彦和中山彦等人。他们的职位名称分别是犬饲部、猿饲部和鸟饲部。

この三人が桃太郎のお供のモデルとなった、というわけである。そして、犬養毅の先祖は、この犬飼部の役職であった人物である、というのだ。

这是因为如此,这三人也就成了桃太郎随从的原型。所以,犬养毅的祖先,其实指的就是指担任犬饲部官职的这个人。

岡山県吉備郡にある吉備津神社は代々犬養家と関わりのある神社だ。その神社の大鳥居のそばには犬養の名を記した石柱が立っている。そこには、「随 人後裔 (ずいじんこうえい)」の肩書きがある。随人後裔とはすなわちお供のこと。そう、犬養毅のご先祖がお供をしたのは、他ならぬ「桃太郎」だった、ということだ。

位于冈山县吉备郡的吉备津神社和犬养家族有着密切关联。神社外的大鸟居旁立有刻着犬养名字的石柱。上面还有表明身份的“随人后裔”四字。随人后裔就是指随从的后裔。这就是说,犬养毅的祖先所跟随的不是别人,正是“桃太郎”,一点儿没错!

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