声明:以下内容仅代表作者个人观点,仅供参考。

読みにくい文章のすゝめ

いつも記事を書くような仕事をしていると、読みやすい、流れの良い文章を書きたくなってしまいます。しかし、それが正しいとは限らないようです。「きれいな e-ink に表示される、普通の文章は素早く簡単に読めてしまう。一方、複雑な構造の文章やインクで汚れた紙面は意識的に努力して読まなければならないため、脳のより活発な活動が必要になる。」とその理由を説明していますが、なるほどそんなものなのでしょうか。

长期从事撰写新闻报道这种笔头工作后,会习惯于写流畅易读的文章,但这似乎并不是件好事,理由是:“用清晰的电子墨水打印的普通文章读起来比较省力。反之,要是文章结构复杂或者纸面墨迹斑斑的话,读起来就颇费气力,需要消耗更多脑细胞。”这么一说你能点头赞同吗?

わたしはこれを読んで谷崎潤一郎の「文章讀本」を思い出しました。この中で谷崎は「ゴツゴツした調子」について語っているのですが、なぜそんな読みにくい文章を書くのかというと「あまりに流暢にすら/\と書くと、読者はその調子に釣られて一気に読んでしまい、一語一語に深く意を留めない恐れがある。......ですからこの派の人々は、努めてリズムを無愛想に、不愉快にします。少し進みかけたと思うと、すぐ彼方へ打つかり此方へ打つかりするように書きます。読者は至る所で石を踏んだり、穴ぼこに落ちたり、木の根に蹴つまずいたり、しなければならない。けれどもそうして進行を阻まれるために、その穴ぼこや石や木の根に忘れられない印象を受けます。」

我读了上文后想起了谷崎润一郎的《文章读本》。在这本书中谷崎先生针对“格调粗野的文章”发表了自己的见解,并这样解释撰写难读文章的理由:“语言太过通顺流畅的话,读者会跟着文章节奏一口气读完,很难做到细细品味每字每句……所以,粗野派作者努力控制文章节奏,使其变得傲慢无礼,情节方才有所进展,怎料又开始蜿蜒曲折。一路下来,读者免不了磕磕碰碰,或错踩入坑中,或绊倒在树根。然而,正是因为在障碍中这样前进,才会对一路的坑坑洼洼树根石子留下深刻的印象。”

谷崎潤一郎(たにざき じゅんいちろう):近代日本文学を代表する小説家の一人として、評価は非常に高い。漢語・雅語から俗語や方言までを使いこなす端麗な文章と、作品ごとにがらりと変わる巧みな語り口が特徴。『文章読本』でみずから主張するような「含蓄」のある文体で、いわゆる日本的な美、性や官能を耽美的に描いた。情緒的で豊潤でありながら高い論理性を誇るその文体は、日本文学的情趣と西洋文学的小説作法の交合的なものであり、魅力的な日本語の文章が至りうるひとつの極致であるともいわれる。

うーん、なんとなくわかります。音楽でも、変拍子が出てくるような曲は印象が強く残ったりする物です。人間って不愉快な物ほど印象深かったりするんですよね。

唔……多少能明白了。就像音乐那样,曲子节拍与众不同才会留在听者脑海中。人就是这样,越是不愉快的记忆越是难以抹去,不是么?

ということで、たまには読みにくい文章を書いてみるってのも面白そうです。ちょっと試してみようかな。

综上所述,偶尔写写难读的文章也不失为一件趣事,不妨试试?

声明:双语文章中,中文翻译仅代表译者个人观点,仅供参考。如有不妥之处,欢迎指正。