今回は「持ち」で行きましょうか。

这次来谈谈“持ち”吧。

例えば「持ち合わせ」。どうして「持つ」+「合わせる」で「たまたま(一定の金額を)持っている」という意味になるのでしょうか? こういうことを考え始めると不思議で止まらなくなります。

比如“持ち合わせ(现有的钱、手头的钱)”,为什么“持つ”+“合わせる”就变成了“刚好有(一定的金额)”呢?我一旦陷入这种问题的思考便会因为好奇而停不下来。

恐らくこの「合わせ」は「抱き合わせ」などの「合わせ」ではなく、「たまたま」という意味合いを加えるものなのでしょう。「居合わせる」とか「有り合わせ」などという表現がそれに近いのではないかと思います。

这个词中出现的“合わせ”其含义恐怕有别于 “抱き合わせ(搭配出售)”这类词中的“合わせ”,而是加了“たまたま(碰巧)”这样的意思吧。个人觉得,像“居合わせる(正好在场)”及“有り合わせ(现成)”等词的表达也许和它更相近。

それから「持ち重り」──これは逆に漢字を見れば意味は何となく想像がつくのですが、その構造が面白いと思います。「重い」ではなく「重り」です。そして、持っている人が重いのではなく、持たれているものが重いから、持っている人がその重みを感じるのです。で、単に「持ったら重い」という意味かと言えばそうではなく、「最初はそれほどでもなかったのに、持っているうちにだんだん重みを感じてくる」というものすごく複雑なニュアンスのある褒め言葉なのです。こういうところが日本語の深さを感じさせてくれます。

再有一个例子就是“持ち重り(沉、有分量)”——瞅瞅这俩汉字便多少能猜得到这词的含义,只是它的构造让我觉得很有意思,用的是“重り”而不是“重い”。然后,不是拿着的人重,而是手中的东西重,让拿东西的人感觉到了重量。另外,这词含义复杂,并非单纯指“拿着重”,而是指“刚开始也没觉得那么重,拿着拿着愈发觉得重了”,是个褒义词。正是这种地方能让人感觉到日语的深奥。

例えば「持ち崩す」「持ちかける」「持ち切り」「持ち越す」「持ち直す」なんてのは、前にも挙げたたくさんの例と同じく、なんでこんな単純な動詞を2つ繋いだだけで違う意味が出てくるのか、本当に不思議で感心してしまいます。

再举些例子,比如“持ち崩す”“持ちかける”“持ち切り”“持ち越す”“持ち直す”等词,它们和我之前举的诸多例子一样,同样让人发自内心觉得不可思议,为什么如此简单的两个动词一旦连在一起意思就截然不同了呢?

持て余す」も同様ですが、この場合「持ち」ではなくて「持て」になるのが不思議で、でも、聞き慣れているせいもありますが、やっぱり「持て余す」でなければしっくり来ない気がします。

还有“持て余す”,说来也怪,这词用的是“持て”而不是“持ち”,不过也许是听习惯了的缘故吧,不是“持て余す”这几个字还真觉得别扭了。

同じ「持て」になる例としては「持てはやす」があります。何故「持ち」ではなく「持て」なのか、機会があれば究明してみたいと思っています。

同样是“持て”还有这个词——持てはやす。为什么是“持て”而不是“持ち”呢?有机会我一定要好好研究下。

そして、あるいは「持ち腐れ」。こっちのほうは「持ち」は「持ち」なのですが、下のほうが「腐り」ではなく「腐れ」です。意味の方は比較的そのまんまですが「持っていて腐る」と言うよりは「持ったまま腐る」という感じです。そして「くされ」ではなく「ぐされ」と濁ることによって、如何にもという語感が出てきます。

另外,有个词叫“持ち腐れ”。这词倒是用了“持ち”,但是后面接的是“腐れ”而不是“腐り”。这词的意思比较接近字面,与其说是“拿着拿着烂掉了”,还不如说是“烂在手里了”。另外“腐れ”的读音是“ぐされ”而不是“くされ”,音一浊化,这词给人的感觉也越发强烈了。

もっと意味の想像のつきにくい、それ故深い表現としては「持(ち)送り」というのがあります。これは日本建築の用語で、「棚や横木などを支えるための、装飾を施した木」のことです──などと言われても何のことか想像がつかないでしょうから、Google などで「持送り」で画像検索してみてください。すぐに「ああ、これか」と納得が行くはずです。

还有个词意思更让人摸不着头脑,也因此让人觉得这种表达深奥莫测,那就是“持(ち)送り(梁托)”。这是日本的建筑用语,指的是“加以装饰后、用来支撑架子或横木等的木头”——估计就算这么解释了大家也难以想象,请用“持送り”这个词通过Google等工具检索下图片,相信看了后就会恍然大悟了。

どうです? 面白いでしょう?

怎么样?是不是很有意思?

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