「成分」

茨木のり子(『寸志』花神社)

張りがほしい
艶がほしい
みずみずしさがほしい
透明さも
言葉がそれらを備えて
漲るとき
詩が成るだろう
てんでばらばらの要素を一点に
集合させる磁場は何なのか?
あわよくば
機智も
哀しみも
涼しい色気も
粋(いき)なるものも包まれてありたいし
ひとつひとつ数えあげていったら
あれ
江戸期のお侠(きゃん)な辰巳(たつみ)芸者が
めざしたものなどに
似てきた

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口下手と文法

声明:以下内容仅代表作者个人观点,仅供参考。方框处内容为作者引用他人作品。

世の中に友だちができない、と悩む人が多い。若者の相談の半数はそうだろうと思う。「友情」なんて言葉に振り回されなければいいのに、と思う。言葉に縛られて、目の前の現実が見えてないのではないかと思う。生涯の友なんて、そう簡単には見つかるはずもないのだから、今目の前にいる人々と楽しく過ごせればそれで十分だと思う。

世间有很多人烦恼自己交不到朋友。我想年轻人的咨询中有半数都是如此吧。其实,各位大可不必被“友情”这样的话给折腾了。如果被这样那样的话所束缚住,不就看不清眼前的现实了么。既然没那么容易找到一辈子的朋友,不如和眼前的人快乐过活,我觉得这就足够了。

話がうまくできない、という悩みを持っている人も多い。口下手だから、友だちができない、と続くことが多いのだが、若くて表現豊かな人間なんてそういないし、「お笑い」の人はプロなのだから、しかもお互いにうまく話を融通しあって話しているからうまく見えるだけだ。

也有很多人烦恼自己不会说话。接下来他们通常会这样说道,因为嘴笨所以交不到朋友……其实没多少人年纪轻轻就口才过人的,至于“搞笑艺人”,他们就是干这行的,况且为了在人前说话流畅也会先相互沟通,所以只是看起来会说而已。

悩むよりは自分の言葉で語り始めればいいと思う。というと、「自分の言葉」って?と聞かれるのがオチなのだが、無理に飾ろうとしないで、いいたいことだけ、自分が知っていることだけ、話せば十分だ。生半可な言葉を使って笑われるよりは訥々と話せばいい。最近、「喫緊の」なんていう言葉を使う人が増えているが、辞書を引かないと分からないような言葉は使うべきではない。身の丈に合ってない言葉を使っても、誰も評価してくれない。

与其在那烦恼,不如把自己的话张口说出来。于是这会儿,可能就要被问什么是“自己的话”了。自己的话就是不刻意修饰,只要把自己知道的、想说的说出来就行了。与其说那不伦不类的话去招人笑话,不如结结巴巴说完想说的。最近很多人说话时用到“喫緊の(吃紧、急迫)”这个词,像这些不查词典就听不懂的词语还是不用为好。本不合适的词语就算勉强用了,也得不到任何人的认可。

そのうち、大人になった時に、上手になってくる。必ずそうなるから、安心していろんな勉強をしてほしい。辞書をこまめに引くことももちろん!

等以后成熟了,说话也会变熟练,肯定会有这么一天的,所以年轻人就好好学习各种知识吧。当然别忘了好好查字典!

国語の授業で文法を習って、「間違った言い方をしてはいけない」と言われることがあったかもしれない。しかし、「間違った言い方」などない。言いたいことがあるのならそのまま言っていい。気にすべきなのは「聞き手に思い遣りを持てているか?」「誰かを傷つけていないか?」くらいのことで、 それをクリアしていれば、文法的に正しいかどうかを気に病む必要などない。

也许你有过这样的经历,在语文课上学了语法,然后被老师提醒“注意不要说错了”。其实,不存在所谓的“错误说法”。有什么想说的说出口就是了,要注意的也就是“有没有替听的那一方考虑?”“话有没有伤到谁?”之类的。只要这些没问题,就不用担心语法使用什么的是否正确。

言葉は、流動しているものである。原始の頃に生まれたそれは、絶えず変化しながら後世に引き継がれてきた。

语言不是死的,从原始时期诞生之日起就一直在变化着,并流传至今。

その発展の道筋を辿り、系統だてて分析し、規則のようなものを無理やり見つければ「文法」になるわけだが、実際の言葉は、人々が日常の中で少しずつ手を加えながら自由に作ってきたものであり、ルールにのっとって意識的に変化を加えるようなことはされていない。規則は後付けである。その証拠に、文法を学んでいると例外の多さに驚くだろう。法則に合わない使われ方をされている言葉は本当に多いのだ。勉強をし易いように文法があるだけで、厳守するために文法があるのではない。

追溯语言发展之路,构建系统深入分析,人们硬是要找出些类似规则的东西,于是就有了“语法”。真正的语言是由人们在日常生活中一点点加以修饰、随性创造出来的,并没有效仿规则对其进行刻意加工,规则是后来的。学语法时例外如此之多会让你惊讶吧,这就是证据。人们用着的语言的确有很多都是不按照语法来的。语法只是为了学习方便而存在,并不是用来严格遵守的。

言葉が人の感覚に働きかけるものは、リズムもあれば、字面もある。楽しみ方は多様だ。【…】

语言是调动人的感情产生的结果,既有节奏,又体现在字面,有多种把玩方式。【…】

文法は法律と違い、破ったところで誰からも罰せられない。絵を描くように自由に喋ってみてはどうでしょうか?

语法不是法律,错了谁都无法责罚你。不如试试像随手画画那样,随心所欲的去说如何?

——「文法は法律ではない」山崎ナオコーラ『指先からソーダ』(朝日新聞社)

この文章は朝日の日曜版に書いていたエッセイなのだが、本当に見事だと思った。

这篇文章是登在朝日周日版上的随笔,实在是妙。

山崎ナオコーラ(やまざきなおこーら ):1978年北九州市生まれ。会社員。「人のセックスを笑うな」で第41回文藝賞を受賞。(河出書房新社のページより抜粋)同作品が第132回芥川賞候補作になる。「人のセックスを笑うな」は映画化され2008年1月より公開。

「正しい日本語」なんていう言葉に僕らは縛られてしまって、言葉の本質=人間的なコミュニケーションの道具ということを忘れてしまう。偏見を持たずにさまざまなことがらを受け入れていきたいものである。といいながら、そんなに簡単なことではないだろうが。

我们被“正确的日语”这样的话所束缚,却忘了“语言的本质=人类的交流工具”这事,大家应该抛开偏见,包容各种事情。说归说,这也不是那么简单的事儿吧。

どんな通信手段を使っても、たとえ直接会っても、人と人の間には伝わらない部分が必ずできる。

不管使用什么通讯方式,即便是直接见面,人与人之间也一定会出现无法传达的部分。

最近はストーカーという言葉が拡大解釈されるなど、思いが一方通行のままで行動することを「良くないことだ」とする向きがある。けれども、相手は迷惑をかけない類の会話中でなら、思いが通じないことは、決して悪いことではない。ううん、悪くないどころか、通じないがゆえに趣のある物語がうまれるときがあるんだ。伝わらないことを、肯定したい。

最近跟踪狂一词的解释被放大,人们倾向于将“只凭单方面的想法便付诸行动”定义为“不好的事”。但这若是发生对话中,且这对话不会给对方造成困扰,那么即使心意传达不到,也绝不是什么坏事。不对,岂止不是坏事,甚至有时会因此而产生别有情趣的故事。对于“心思传递不到”这事,我想给予肯定。

あなたが、伝えたい相手に、何かを伝えることが、どうしてもできなくても、あなたの人生の上に、そのストーリーは書かれていく。 

你,对他,想说些什么,却怎奈到不了他的心,即便如此,这个故事,也依然会在你生命中延续。

——「伝わらなくてもいいんだ」山崎ナオコーラ『指先からソーダ』(朝日新聞社)

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语言工作者谈:语言这东西会偷心