どうしても好きになれない相手と、どうしても関わらなければならない。生きていると、そういうこと、ありますよね。たいてい、向こうもこっちのことを嫌っています。ムリに仲良くなることはありません。しかし、我慢しなければならない時には顔だけでも笑っていたい。頭にくることをされた時許すために、心の中で唱える呪文をあげておきます。

有些人自己再怎样也没法喜欢,可又避不掉。人生在世,总会遇到这类事情,而且这时多半对方也讨厌你。也没必要强求搞好关系。不过,即使不得不忍的时候,至少脸上还是想保持笑容。为了在对方做些激怒自己的事时能原谅对方,就要在心里念咒语啦。

人間をやるのははじめてなのね

咒语一:他是第一次当人吧

輪廻転生の法則の中に、徳の低い虫や動物を経て、人間に生まれ変わり、何度も人間に転生するうちにどんどん徳を積んで高みへ登っていくという思想があるようです。明らかに仏教やヒンズー教の神様の意に沿う取り入れ方ではないと思われますが、この考え方を流用します。

轮回转世的法则中,人会经历无德的爬虫和动物阶段,再转生为人类,在不断转世为人的过程中,逐渐积下阴德上升到高处。人们通常认为这明显是沿用佛教和印度教神佛的教义发展而来,我们就来借用这种认识吧。

あまりにも失礼なことをされたり、人間界の理屈に合わないと思われることをされたら、「ああ、このひと、人間やるの初めてで、慣れてないだけなんだ」と思って、やりすごします。それでも気がまぎれなければ、相手がどんな虫や動物に似ているか考え、相手の前世を妄想します。

如果对方对自己做的事太过失礼,或是不符合人世常理,就可以想“啊,这人是第一次转世为人,还不习惯吧”,以此来度过。如果这样还是无法释怀,那就想象对方像什么爬虫、动物类,YY对方的前世。

お偉くていらっしゃるのね

咒语二:您好伟大哦

日本語としては間違っていますが、できるだけ思いっきり皮肉っぽく心の中でこう言います。

这就日语语法来说是错的,可以心一横,尽情在心里这么讽刺。

もちろん自分は相手のことを偉いなんてちっとも思っていないのですが、相手は自分のことを偉大だと思っている。裸の王様なのね、という理解を(その時だけ)するのです。こちらは子供ではなくて大人なので、「王様は立派な着物を着ている」という態度を取り続けるのが得策だと心得ましょう。

当然,自己是丝毫不觉得对方伟大啥的,反而是对方觉得自己伟大。就是所谓的穿新衣的国王,(当时)保持这种阿Q精神即可。我可不是小孩,是成年人了,所以要一直怀着“国王的衣服真漂亮”这种态度,切记这才是上策。

終わりに

总结

どちらの言葉も、相手を自分より見下すやり方ですから、上品だとは言えません。自分の品性まで貶める、諸刃の剣ですから、あまり頻繁に発動するのはおすすめできないですね。

但是两句“咒语”都是将对方贬低至自己之下位置的方法,都不算什么高雅。这些神器同时也是双刃剑,贬低别人的同时也贬低了自己的人格,因此劝大家还是不要频繁“发动”哦。

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