日本历史大致可分为15个时代:旧石器时代、绳文时代、弥生时代、古坟时代、飞鸟时代、奈良时代、平安时代、镰仓时代、室町时代、战国时代、安土桃山时代、江户时代、明治时代、大正时代和昭和时代

还记得之前小编给大家介绍的旧石器时代吗?旧石器时代之后向绳文时代过渡,气温的升高使海平面也随之上升,大多以捕猎为生的人们开始把目光转向大海,具体他们的生活又如何呢?且听小编慢慢道来。

縄文時代の生活|绳文时代的生活

縄文時代は、今から16,500~3,000年前の時代を言います。住居は竪穴式住居に住み、弓矢を用いて狩猟するようになります。漁をするようになって貝塚ができ、植物を採って調理して食べるようになり、後には自分らでどんぐり、ひょうたん、まめなどを栽培するようになります。住居跡から、集団構成していたことも判明し、死者を埋葬したが発見されたことから、ある種の宗教観を持っていたとも考えられます。

绳文时代距今约3000~1万6500年,人们以竖穴式居住为主,用弓箭狩猎,开始出现捕鱼、拾贝壳、采摘植物的生活方式,随后人们还自主栽培栗子、橡子、葫芦、豆子。从居住遗址可以看出人们开始了群居生活,从埋葬死者的墓穴中发现当时的人持有某种宗教信仰。

土器|陶器

縄文時代の土器には、縄を土器の表面で回転させて模様をつけたりし、様々な模様の土器が作られました。縄文時代早期には、煮炊き用の土器が出現し、尖底土器が多く作られました。縄文時代前期を境に、土器の数は急増し、底の形が平たいものが一般化していきます。中期になると、立体的で、大型の土器が流行します。中期を代表する土器に火焔土器がありますが、これは燃え上がる炎をモチーフにしている形状で、国宝指定されているものもあります。その中心的存在とされる火焔土器は、1999年に国宝に指定されていて、製作時期が4,500年ほど前で、『縄文雪炎(じょうもんゆほむら)』と愛称がつけられています。

绳文时代的陶器表面上通常绑有绳子,种类样式繁多。绳文时代早期出现了烹饪用的陶器,尖底陶器较多。绳文时代前期陶器数量激增,由尖底渐渐变为平底。到绳文时代中期大型的立体陶器更为普遍,最具代表性的是火焰陶器,它因形状像燃烧的火焰而得名,其中还有被列为国宝级文物的火焰陶器。最具影响力的要数1999年列入国宝级文物,大约4500年前的“绳文雪炎”。

稲作の始まり|水稻种植的开端

縄文時代の晩期からは、稲作も始められています。熱帯ジャポニカの焼畑稲作が行われていたことが分かってします。ジャポニカは熱帯と温帯に分けられ、温帯ジャポニカは日本列島の他に、中国の長江北側などの限られた地域で行われていました。縄文時代の稲は、炭化米として発見されていますので、日本列島でこの時代に稲作が行われていたのは間違いありません。また、単独で栽培されていたわけではなく、大麦やヒエ、粟、あずき大豆なども混作されていました。

绳文时代晚期人们开始种植水稻,其中有最具日本热带风味的水稻种植,日本列岛跨越了热带与温带,处于温带地区的日本和中国长江流域以北地区都属于温带地区水稻种植。绳文时代的水稻作为碳化米被发现说明这个时期在日本列岛存在水稻种植。此外,种植时并不是单独只种一种,而是大麦、稗子、栗子、小豆等的混合种植。

注:[焼畑稲作]指传统的砍伐树木再用火烧,烧成的灰作为肥料用来种植水稻。

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