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恥の文化

要旨

日本人は仲間外れにされることを恐れる。だから強く自分を主張することよりも、周囲と同調して、意見が違ったとしても「丸くおさめる」ことをこのむ。つまり自分自身の考えを持って角を立てるよりも、自分を殺してでも人の考えに同調しようとする。そして、「恥」は日本人の生活の中でとても重要な位置を占めている。「恥」は仲間からマイナス評価を受けていることへの意識である。日本の文化は「恥の文化」と呼ばれる。
昔の日本は農業国であり、弥生時代に始まる稲作文化に必要とされた共同体意識や儒教思想の影響が強いのである。この影響を受けて、「恥の文化」が生まれた。
農村社会の共同体規制の衰退につれて、現在の日本人の恥意識もずいぶん変わり、だんだん薄くなった。
「恥の文化」は人目を気にする文化であり、体裁を気にする文化であり、「罪の文化」の方は神を気にする文化と言うことができる。それぞれには長所もあれば短所もある。
いかなることにも長所と短所との二面がある。恥の文化もそうである。個人の自立性の欠乏と自分の属する集団以外の社会に対する無関心で無責任な態度のような否定面があるかもしれないが、人々を思いやり、集団的な力を促進するような肯定面もある。

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摘要

日本人很害怕和伙伴们分开,因此,比起强烈主张自己,他们更喜欢与周围的人一致,即使自己有不同意见,他们也会委曲求全。也就是说,与其坚持己见表现突出,不如自己忍耐与人保持一致的好。而且,“耻”在日本人的生活中占有很重要的地位。日本的文化被称为“耻的文化”。
过去的日本是个农业国家,受弥生时代稻作文化所必需的共同体意识和儒教思想的影响很强。“耻的文化”就在这两种影响下产生了。
随着农村社会共同体体制的衰退,现在日本人的羞耻意识大大地改变了,渐渐变得淡薄了。“耻的文化”可以说是在意别人目光的文化,是在意外在的文化。而“罪的文化”可以说是在意神的文化。各有各的优点和缺点。
任何事情都有好的和坏的两方面,耻的文化也是如此。存在着缺乏个人自立性和对自己所属集团以外的社会不关心、不负责任的消极一面,也存在着为人着想,促进团体力量的积极一面。

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はじめに

初めて「恥の文化」という言葉を聞いたのは、一年生のころだ。その時私は「変だなあ。」と思い、「どうして日本人の文化を恥の文化というのか。」、「恥の文化はどうして生じるのか。」、「その言い方は正しいかどうか。」などいろいろな疑問が私の頭に浮かんできた。その時の私は「恥の文化」という言葉の意味を恥ずかしい文化(恥の多い文化)、自慢できない文化、と理解していたのだ。
恥は他人の批評に対する反応である。人は人前で嘲笑され、拒否されるか、あるいは嘲笑されたと思い込むことによって強く恥を感じる。つまり、「恥の文化」とは、「恥」ということをとても大切にしている文化、のことなのである。
日本の文化を「恥の文化」といったのはアメリカの文化人類学者ル-ス・ベネティクトだ。当時は第二次世界大戦のために、アメリカは学者を動員して、日本の文化、経済、地理などを科学的に研究したのである。そして、ベネティクトは日本に行くことなく、日本に関する書物、日本人の作った映画、在米日本人との面談を材料として研究を進め、対象社会から文化類型を抽出しようとする方法に基づいて、名著『菊と刀』を書いた。この著作の中で、「恥の文化」という概念を使用したのである。これが「恥の文化」という言葉が生まれた背景である。
「恥」という言葉そのものの意味は私たち中国人には、よくない言葉だ。日本人にとってもよくないだろう。だが、日本人はこのように言われても平気である。それは「恥」を大切にしているからであろうか。ではなぜ日本人は「恥」を大切にするようになったのか。現在の日本では恥の文化はどのように変化しているのか……これらのすべてを理解したいと思う。