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今回の話題は「和子・和夫(和男)」という名前についてです。あるとき「和子・和夫(和男)という名前の人はみんな長女・長男だよ」と主張する人がいて、それが全く初耳だった私はとても驚きました。ましてや、その直後にバンクーバーで会社を経営されている上田(こうだ)和男さんとお会いする機会があり、そのことをお話したら「確かに、私は長男です。それに妻の名前は和子で、やはり長女です」とおっしゃるのではありませんか。そう言えば、最近ちょっと話題になっている「鶴見和子を語る:長女の社会学」(2008年:藤原書店)という本がありますが、この題なども上記の主張にぴたり当てはまりそうです。

本次的话题是关于“和子·和夫(和男)”这些名字的。有次听某人说“叫和子·和夫(和男)的人都是长女·长男哦”,对此我是初次耳闻,所以很是吃惊。而且在那之后我有幸见到了在温哥华经营公司的上田和男先生,当时跟他说了这事后他居然说:“没错,我确实是长子。另外,我妻子叫和子,也确实是长女。”说来,最近有本书挺热门的,叫做《谈鹤见和子:长女社会学》(2008年:藤原书店),这书名似乎也和上面的说法如出一辙。

あまりに気になったので、インターネットで調べてみました。すると、「和子・和夫という名前の人に長女・長男が多い」というのはあくまで傾向で、そうでない場合もあることが分かりました。それから、昭和になった途端に「昭一、和夫、昭子、和子」が急増したということも分かりました。ですから、大正から昭和に変わった、1926年生まれの人などは、別に長女・長男でなくても「和子・和夫」と命名されたものと思われます。

我对这事实在非常在意,于是在网上查了下。结果发现,“叫和子·和夫的人当中长女·长男较多”说到底也只是种倾向而已,其实也有例外。而且一进入昭和时代,“昭一、和夫、昭子、和子”这些名字突然开始变多。也就是说,在年号从大正变为昭和的1926年出生的人群中,即便不是长男长女也有叫“和子·和夫”的。

次に気になったのは「和」という漢字を「かず」と訓読みする理由です。一体この読み方はどこから来たのでしょうか。和平、平和などの意味からは和語の「かず」は見えません。この件について、モントリオール日系文化会館の図書館から借りた「お言葉ですが…」(高島俊男、文春文庫)」に面白い説明がありました。中国文学者でエッセイストの高島は、足し算の答えを「和」と呼ぶことに注目し、例えば2+3=5の5は「和」という数(かず)であるから、と、何とも簡単に片付けています。そして、かけ算の答の「積」も、人名で「かず」と呼ばれることを傍証としています。高島の、「増える数は縁起がいいので」人名で「かず」と読まれるようになったのだろうという主張はなかなか説得力があり、そう言われてみると、引き算の答え「差」、割り算の答え「商」の方は、いずれも「かず」と読ませません。さらに想像を膨らませてみると、「和夫、和子」に長女・長男が多いとしたら、「この子を初めに、子沢山になれますように」という親の思いがあったのかもしれません。もっとも、「かずお」なら「一雄、一男、一夫」などという書き方もあって、こちらは文字通り「一番先の」という意味です。

接着,我还很好奇“和”这个汉字为何训读为“かず”。这读法到底是怎么来的呢?从和平、平安等意思中丝毫不见和语“かず”的身影。关于这点,在我从蒙特利尔日系文化会馆下属图书馆借来的《お言葉ですが…》(高岛俊男、文春文库)一书中有这样一个颇有意思的解释。高岛是一名中国文学者及随笔作家,他注意到人们把加法中的运算结果称为“和”,比如2+3=5中的5这个数即是“和”(数与和日语读法均为かず),还真是省事。另外,乘法的运算结果“積(积)”在人名中也读作“かず”,这也是一个旁证。高岛认为,可能是由于“数量增加是个好兆头”,所以在人名中采用了“かず”这个读法,这一主张颇有说服力,这么说来,减法的运算结果“差”、除法的运算结果“商”确实都不读作“かず”。再发挥下想象,如果说叫“和夫、和子”的人中长男、长女较多,那其中或许寄托着父母的一种希望,即“以这个孩子为首,祈祷家中人丁旺盛”。不过,如果是“かずお”的话,还有“一雄、一男、一夫”等写法,正如字面意思所示,意为“最早的”。

さて、高島の説明に納得してこれにて一件落着かと思っていたらそうではありませんでした。記事の最後に驚くべき内容の追記があったのです。高島は決して自分の主張に固執せず、異論があればそれも公平に紹介する大変良心的な学者です。「和:かず」についても、読者からの反論を正直に載せており、正否の判断は読者一人一人に委ねようとしています。さてその反論ですが、著者のレベルが高いと読者のレベルも高くなるという好例でしょうか、何といきなり本居宣長の「玉勝間(たまがつま)」が引用されます。江戸期を代表する国学の大家、本居宣長(1730-1801)が漢字「和」の「かず」という読みを既に考察していたばかりでなく、正しい読みは「かづ」ではなく清音の「かつ」であると指摘していたと知ってさらに驚きました。

本以为认同了高岛的解释后这事就算告一段落了,结果却并非如此。因为我在文章最后发现了作者的追记,内容让人颇为惊讶。高岛是个非常有良心的学者,绝不固执于自己的主张,如果别人提出异议,他也会公道地加以介绍。对于“和:かず”也是如此,读者的反驳都被刊载在书中,正确与否交给阅读的人自己去判断。从这些反馈中也正反映出了高水平的作者有着一批高水平的读者,书中居然见到了引自本居宣长《玉胜间》的一段内容。江户时期极具代表性的国学大家本居宣长不仅早就对汉字“和”的读法“かず”进行了研究,更让人吃惊的是,他还指出了其正确读法应该是清音“かつ”而不是“かづ”。

 注:以下为《玉胜间》相关内容(欢迎贡献翻译稿)

「人の名に、和(ノ)字を、加受(=カズ)とよむは誤也。これは加都(=カツ)にて、都(=ツ)は清音なり。此言は、かつ・かて・かつると活用(=ハタラ)きて、物を和合(=アハス)こと也。万葉歌に「醤酢(=ヒシホス)ニ蒜(=ヒル)都伎(=ツキ)合而(=カテテ)」とある、此合而(=カテテ)なり」

足し算の答え、「和」は(増えるので)縁起がいい「かず」だから、和を「かず」と読むという高島説と本居説は真っ向から対立するものです。また。この引用部分にもある「物を合わす」が動詞「かつ」の意味であるという本居説が正しければ、料理の方で言う「ホウレンソウのごま和え」の「あえ(る)」を同じ漢字「和」で書くことも至極もっともと言わねばなりません。聖徳太子が憲法17条(604)の冒頭においた「和をもって貴しとなす」とは調和・中和の和であり、対立を好まず、性質の異なるものの出会いだからこそそこに和音(ハーモニー)が生まれる、とする思想と言われますが、まさに「和」とはその意味で「和(なご)む」であり「和(やわ)らげる」であり、「和御魂(にぎみたま)」と様々な訓に読まれたのでしょう。因みに古代、日本は中国から「倭」と呼ばれ、その漢字の意味は「背の低い人」であったのを日本人の祖先が嫌って、同じ発音の「和」に代えたと言われます。和風、和室、和食、和英辞典などは、どれも日本(あるいは日本語)の意味です。なお、平仮名の「わ」、かたかなの「ワ」はともに「和」が字源となっています。

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