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東京湾の入り口に位置する神奈川県横須賀市は、江戸時代から国防のとされてきた街です。明治時代には横須賀鎮守府が置かれ、軍港都市として発展しました。現在も横須賀には、地元民には「ベース」と呼ばれるアメリカ海軍の施設や、海上自衛隊の基地が置かれています。

位于东京湾入海口的神奈川县横须贺市,自江户时代起就是国防重镇。明治时代,这里设置了横须贺镇守府后,便作为军港城市发展至今。现在,横须贺还设有被当地居民称为“Base”的美国海军基地和日本海上自卫队驻地。

【江戸時代には黒船が来航】
横須賀は、「開国の街」としても知られています。江戸時代に、アメリカ合衆国の東インド艦隊司令長官ペリー提督が、艦隊を率いて浦賀沖に来航。大統領の親書を江戸幕府の役人に渡し、鎖国していた日本に港を開くよう要求します。初めて目にした西洋の船の異様さから、このときのペリーの艦隊が「黒船」と呼ばれるようになったのはご存じの通り。当初は開国を渋っていた幕府でしたが、黒船の迫力や欧米の進んだ文明に驚き、翌年に再び来航したペリーと日米和親条約を結び、下田、函館の2港を開港したのでした。

【江户时代黑船来航】
横须贺是有名的“开国之城”。江户时代,美利坚合众国东印度舰队司令官佩里提督率领舰队来到了横贺冲。他将美国总统的信笔书写交给江户幕府的官员,要求处于锁国状态的日本开放港口。众所周知,当时的人们初次见到来自西洋的奇异船只,就将佩里的舰队称为“黑船”。幕府一开始并不愿意打开国门,后来被黑船的威力和欧美的先进文明所震惊,第二年便与再次来日的佩里签订了《日美和亲条约》,开放下田与函馆两个港口。

ペリーの来航、そして開国という一連の出来事から、日本の近代化は急速に進みました。横須賀の街も、その波に乗り発展していきます。幕末には、横須賀製鉄所の建設が開始。明治17年に、横浜にあった海軍の鎮守府が移され、横須賀鎮守府に。明治40年には市制が施行され、横須賀市が誕生します。

佩里来航、门户开放等一连串事件的发生,加快了日本的近代化程度。横须贺的城镇也趁着那股潮流发展起来。幕府末期,横须贺炼钢厂开始建设。1884年,原设于横滨的海军镇守府迁至横须贺,设横须贺镇守府。1907年,日本实行市制,横须贺市诞生。

【日本のカレーライスは、横須賀から広がった?】
横須賀には、現在私たちが食べている「カレーライス」の誕生にまつわるエピソードがあります。
明治時代の日本の海軍は、イギリスの海軍を模範としていましたが、イギリス海軍では「軍隊食」として、今の日本のカレーに近いシチューが食べられていたと言います。そこで日本海軍でも、このカレーを食事に取り入れました。最初はイギリス風にパンにカレーをつけて食べていたのが、とろみをつけてごはんにかけるようアレンジがなされ、日本海軍の軍隊食として定着したそう。このカレーが全国に広がり、日本のカレーライスとなったのです。

【日式咖喱饭缘自横须贺?】
横须贺还有一则趣闻轶事,如今日本人常吃的“咖喱饭”就是诞生在这里的。
明治时代的日本海军以英国海军为模范,而英国海军的军队伙食就是与现在的日式咖喱相近的炖菜。于是日本海军也以这种咖喱作为伙食。最初是英式的咖喱配面包来吃,后改良为做成稠糊状配上米饭,并落实为日本海军的军队伙食了。后来这种咖喱推广至全国各地,成为了日本的咖喱饭。

海軍の街である横須賀は、「カレーの街」でもあります。市内の多くのお店では、昔ながらの「よこすか海軍カレー」が看板メニューになっており、毎年「よこすかカレーフェスティバル」というイベントも開かれています。カレーは、横須賀観光の目玉であるのはもちろん、住民にとってのソウルフードとも言えるでしょう。

横须贺是海军之城,更是咖喱之城。市内许多店铺都以多年传承的“横须贺海军咖喱”作为招牌菜,明年还会举办“横须贺咖喱节”活动。咖喱不仅是横须贺旅游业的王牌,更是当地居民的灵魂料理。

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