講談はおもに武将や偉人の物語など、歴史にちなんだ話を、座って1人で読み聞かせる芸です。釈台という机を前に置き、戦物語(いくさものがたり)を読む時は、その上に本をのせて読み進みます。和紙で作った張り扇(はりおうぎ)というもので釈台をたたいて、読む調子を助けたりもします。特に戦いの場面では「修羅場(しゅらば)」という、リズミカルな読み方をするのが特徴です。

“讲谈”这种表演艺术一般是由一人坐在台上,向大家讲述武将、大人物的故事等和历史有关的内容。在讲谈师的面前会放置一个桌子,称为“釈台(即讲台)”,念诵战记物语时会将书放在上面。此外还会使用一种采用和纸制作的纸扇子,读诵时敲打讲台,增加节奏感。特别是在战斗场面,会用“修罗场”这种极富节奏感的诵读方式是一大特征。

軍談などを通じて、歴史から教訓を学ぶことを目的としていたものが話芸を楽しむものへと変化していったのは、江戸時代半ばから後期にかけてのことです。軍談のような堅い歴史ものだけでなく、世相風俗を描く分かりやすい内容のものも演じられるようになりました。明治になると講談から歌舞伎の題材となる演目も生まれます。また、政治を批判する講談を専門に読む講談師も現れました。

“讲谈”最开始是出于通过战记等文学来学习历史的目的,到了江户时代中期至后期,逐渐发展成主要欣赏说书技巧的表演形式。其题材不仅限于战记这类严肃的历史内容,也开始吸收了一些展现社会万象的通俗内容。到了明治时代,还出现了发源自讲谈的歌舞伎题材。同时也出现了一些专门讲述批评时政内容的讲谈师。

明治半ば以降は、同じ演目を扱うことの多い浪曲に人気の座を奪われますが、豪傑などの講談を少年向けの読み物として出版した本は大人気となりました。講談は、昭和まで男性の話芸として継承されてきましたが、昭和50年代以降は女性演者が増え続け、現在では男性演者の数を上回っています。それにつれて、女性に合った演目が増えるといった変化も表れています。

明治中期以后,由于浪曲同样拥有丰富的题材,其受欢迎度超过了讲谈。不过在《豪杰》等讲谈作为面向少年的读物出版成册,受到了大众欢迎。在昭和时代以前,讲谈是作为男性的说话表演艺术传承的,而到了昭和50年以后,女性的表演者也越来越多,现在甚至还超过了男性表演者的人数。在这个潮流下,一些适合女性演绎的剧目也开始增加了。

歴史物語を読み上げる

講談には、さまざまな種類の物語があります。例えば源氏と平家の争乱や、南北朝時代、戦国時代などの戦(いくさ)や武将の物語。江戸時代の彫刻の名人・左甚五郎(ひだりじんごろう)をはじめとする名工・名人伝。力士伝。医師などの偉人伝。大荒れの海の中、紀州から江戸へみかんを運んで財産を成した紀伊国屋文左衛門(きのくにやぶんざえもん)などの豪商の物語。歌舞伎俳優の物語。政談と呼ばれる、大岡越前守(おおおかえちぜんのかみ)などの、なお裁きの物語。さらに侠客伝(きょうかくでん)、怪談、白浪物(しらなみもの)と呼ばれる盗賊の物語など。また、現代が舞台となる新作や、外国の物語も演じられています。

诵读历史故事

讲谈的故事囊括了各类题材。比如源氏与平家的战争,南北朝时代、战国时代的战役或武将的故事。讲述江户时代的雕刻家左甚五郎的事迹之类的名工匠传、力士传。医生相关的伟人传。也有横跨汹涌的大海,将蜜柑从纪州运到江户,由此发家的纪伊国屋文左卫门等富商的故事。歌舞伎演员的故事。还有讲述大冈越前守等人精彩断案的“政谈”。甚至还有侠客传、怪谈、白浪物等有关盗贼的故事。以现代为舞台的新创作剧目、外国人的故事也是演出的内容。

しかし軍記物を中心として成立した歴史をながめると、講談の根本には、歴史に学ぶ精神があることが分かります。歴史物語を読み上げるのを聞いて学ぶ「耳学問」として、講談は伝承されてきた面があります。そこに娯楽要素が加わるにつれ、扱われるジャンルも広がり、物語の楽しさを求めて大胆なフィクションも取り入れられるようになりました。

不过,讲谈原来是从战记发展起来的,从这样的历史来看,无疑学习历史的精神才是讲谈的根本。过去人们把听人诵读历史故事称作“耳学问”,讲谈也就是作为“耳学问”传承下来的。随着在其中添加进娱乐性要素,讲谈演绎的题材也越来越宽,为了故事更有趣还会大胆加入虚构内容。

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