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所作事の展開 初代中村富十郎と初代中村仲蔵

元禄時代に上演された演目の中には、女方による「所作事(しょさごと)」や「振事(ふりごと)」とよばれる舞踊が含まれていました。享保年間から宝暦年間[1716年~1764年]頃には、「長唄(ながうた)」が、伴奏音楽として定着しはじめたことなどにより、女方の所作事は発展していきます。

元禄时代上演的歌舞伎剧目中,包含了产生于“女方(扮演的女角)”表演的舞蹈,被称作“所作事”与“振事”。从享保年间到宝历年间(1716年—1764年),“长呗(一种由三味线伴奏的曲子)”开始固定成为了伴奏音乐,“女方”的所作事逐渐发展起来。

注:所作事,歌舞伎的舞蹈,主要由长呗伴奏。

その基礎を築いたのは、初代瀬川菊之丞(せがわきくのじょう)です。菊之丞は、能を素材とした「石橋物(しゃっきょうもの)」や「道成寺物(どうじょうじもの)」などの舞踊を得意としました。つづいて初代芳沢あやめの3男にあたる初代中村富十郎(なかむらとみじゅうろう)は、それまでの「道成寺物」を集大成させた『京鹿子娘道成寺(きょうがのこむすめどうじょうじ)』を初演しました。この舞踊は、現在でも女方舞踊の代表作としてたびたび上演されています。初代富十郎によって、女方の所作事は完成されたといわれています。

初代濑川菊之丞正是为“所作事”打下基础的人。菊之丞擅长以能乐为素材的“石桥物”以及“道成寺物”等舞蹈。接下来,初代芳泽菖蒲的三男初代中村富十郎初次演出了集“道成寺物”之大成的《京鹿子娘道成寺》。剧中的舞蹈直到现在还是女方舞蹈的代表作,时常会上演。女方所作事的最终完成,是由初代富十郎实现的。

天明年間から寛政年間[1781年~1801年]に至ると、女方だけではなく立役も所作事を踊るようになります。これは当時の作劇法により、長い作品の一部に所作事の場面をつくる慣例が起こったことや、ストーリーを語りながらも音楽的な要素が強い常磐津(ときわず)や富本(とみもと)が誕生し、伴奏音楽として用いられたことなどによります。

天明年间到宽政年间(1781年—1801年),不仅仅是女方的演员,“立役(指女角以外的男性角色)”也开始表演所作事舞蹈了。说到原因,还是由于在当时的编剧下,出现了在长篇作品中安排所作事场面的惯例,此外,既叙述故事也带有明显音乐要素的常磐津和富本诞生,逐渐被用于伴奏音乐。

注:常磐津(或常磐津节),原为净琉璃的一个流派,风格接近义太夫节,后来成为歌舞伎舞蹈的音乐广泛使用。富本(或富本节),净琉璃的一个流派,为常磐津节的分支,18世纪中期由富本丰前掾创始,后被用于歌舞伎舞蹈音乐。

当時の立役で、所作事に最も力を発揮したのは、初代中村仲蔵(なかむらなかぞう)です。仲蔵は現在でも上演されている『積恋雪関扉(つもるこいゆきのせきのと)』・『戻駕色相肩(もどりかごいろにあいかた)』など舞踊劇の要素の強い作品を得意としました。

当时的“立役”中,在所作事上表现最突出的是初代中村仲藏。仲藏擅长《积恋雪关扉》、《戻驾色相肩》等舞蹈要素较多的作品,这些作品直到现在仍是上演的剧目。

やがて文化・文政年間[1804年~1830年]には、3代目中村歌右衛門(なかむらうたえもん)や3代目坂東三津五郎(ばんどうみつごろう)などによって、1人で何役も踊りぬく「変化舞踊(へんげぶよう)」が流行し、所作事は新たな展開をみせます。

在文化文政年间(1804年—1830年),在3代目中村歌右卫门和3代目坂东三津五郎等的发展下,由于一人舞蹈表演多角色的“变化舞蹈”流行起来,所作事获得了全新的展开。

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