お雑煮好きですか?その地域ならではのお雑煮や各家庭独自のお雑煮は、見ているだけで楽しいですよね。関東と関西ではいろんなことが違いますが、ここではお雑煮の違いとその理由を紹介しましょう。

喜欢年糕汤吗?光是看着各个地域独有的年糕汤和各家自制的年糕汤就觉得很高兴了呢!关东和关西之间有各种各样的不同,这里就介绍年糕汤的不同和其理由吧!

お雑煮とは

什么是年糕汤

お雑煮の由来は諸説あるため定かではありません。「雑煮」という言葉が初めて登場するのが室町時代の書物なので、この時代には既に存在していたようです。一説によれば、武士の宴会で出されてたことが由来となっています。

年糕汤的由来有各种说法,并没有明确的来源。“年糕汤”这个词语第一次出现是在室町时代的书籍上,似乎在那个时代已经存在了。有一种说法是,它原来是在武士的宴会上出现的东西。

室町時代に確立された本膳料理では、雑煮が一番最初に出されます。これはお酒を飲む前に胃を安定させるために食べるのです。内臓を保護することから「保臓(ほうぞう)」と呼ばれ、「宝臓」「烹臓」とも書かれました。これが転じて雑煮になったといわれています。

年糕汤最初出现在室町时代确立的本膳料理中。这是在喝酒前为了不伤胃而吃的食物。因为是保护内脏的东西所以称为“保,脏”,也写作“宝脏”、“烹脏”。据说这个换一个说法就变成了年糕汤。

一番初めに食べる縁起の良い料理であることから、元旦に食べるようになったとされています。蛇足になりますが、沖縄にはお雑煮がないそうです。

因为年糕汤有最早吃会比较吉利的说法,所以变成在元旦吃的食物了。多说一句,似乎在冲绳没有年糕汤。

お餅が違う

年糕不同

関西では丸餅、関東では角餅を使うことを聞いたことがある人もいるでしょう。大体その通りです。ではその境界線はどこでしょうか?大雑把にいいますと糸魚川静岡構造線より西が丸餅となります。関ヶ原の合戦のため岐阜県関ケ原を境に分かれたという説もよく知られています。

应该有人听说过关西用圆年糕、关东用四角年糕吧?大体上就是那样了。那么它们的划分线是哪里呢?粗略地说是线鱼川静冈构造线以西开始是圆年糕。也有广为人知的说法是关原合战的原因,以岐阜县的关原为边界划分了。

餅はもともとは丸餅でした。丸餅は円満を意味し、魂の象徴でもありました。満月に似せて作り豊作を祈りました。その丸餅を一年の初めに食べることで、神様の力にあやかろうとしたのです。丸餅はたいていゆででお雑煮に入れます。

年糕原来是圆年糕,圆年糕意味着团圆,也象征着灵魂。和满月相似而做来祈祷丰收,如果在一年的最开始吃圆年糕,可以拥有神一般的力量。圆年糕一般是煮过后放入年糕汤中。

ではなぜ角餅が食べられるようになったのでしょうか。江戸時代、江戸に人口が集中していたため、手間のかかる丸餅よりも手軽に作れる角餅が使われるようになったのです。角餅は焼いてお雑煮に入れることが多く、一番食べられている餅です。

那么为什么变成吃四角年糕了呢?在江户时代,因为江户人口集中,比起费事的圆年糕,大家更多采用制作轻松的四角年糕。四角年糕大多是烤过后加入年糕汤中,是最常吃的年糕。

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