かわいい学校の制服は日本の女子学生の代名詞ともなっており、日本の風景に花を添えている。特に清楚な雰囲気漂う紺と白のセーラー服は、思春期まっただ中の女子学生の魅力を倍増させている。では、日本ではなぜセーラー服が学生服となっているのだろうか?

可爱的校服是日本女学生的代名词,也是日本一道亮丽的风景线,尤其是那干净的蓝白水手服,让青春期的女学生们魅力增倍,那么,为什么日本的校服是水手服呢?

セーラー服の文字通りの意味は海軍の軍服。特徴である四角い襟は、当時の貴族階級の男性の髪型は長髪を後ろで括ってポマードで塗り固めていたため、なかなか洗濯が出来ない船乗りにとっては後ろ襟や背中がすぐに脂やフケで汚れてしまい、汚れを防ぐ目的でつけられたとか、襟を立てることによって、などの騒音で聞き取りにくい声を、聞き取りやすくしたり砲撃を受けた時に耳の鼓膜を守ったりする効果があったためと言われている。一方、白系のセーラー服が多いのは暗い所でも目立つためと言われている。セーラー服を水兵の制服として全面的に採用したのは1857年の英国海軍だ。

水手服顾名思义就是给水手穿的服装。四方形的领子是水手服的特征,起初是为了阻止污垢做出来的。当时贵族阶层的男性的发型都是长发扎在脑后,再用发蜡固定住,对于没什么机会洗衣服的船员来说,后领和脊背很快就会因油脂、皮屑变脏。另一个说法则是,受暴雨等噪音影响时,竖起领子可以听到不容易听到的声音,以及遭到炮击时用以保护耳膜之用。至于为什么白色系的水手服那么多,那是因为白色在黑暗中比较显眼的缘故。1857年,英国海军将水手服正式采用为水兵的制服。

そして1864年、英国のビクトリア女王が、幼い息子のエドワード王子に着せたところ、今と同じく人々が「かわいい」と思い、大人気に。欧州各国で4‐5歳の子供服として大流行となった。当時、男の子用のセーラー服も女の子の用も同じだった。そして、セーラー服は代表的な子供服となり、貴族小学校が制服として採用したことで、正式な服装となった。ただ、当時は子供だけが着用し、中学生以上の学生が着用するという習慣はまだなかった。

到了1864年,英国维多利亚女王首开先例,把它穿到年幼王子的身上,当时的人们和我们现在一样,都觉得“(水手服)好可爱”,引起一阵风潮,水手服成为欧洲各国4-5岁的孩子最流行穿的服装。当时男孩女孩的式样并没有什么分别。于是水手服成了儿童的一种代表性服饰,后来被贵族小学校指定为制服之后,就成了一种正式的服装。只不过当时还是给小孩穿,中学以上的学生并没有这一习惯。

英国海軍は世界屈指の海軍であったため、海軍の軍服を子供に制服として着せるのは尚武の精神の表れでもあった。そのため、セーラー服の流行は欧州だけにとどまらず、世界各地に波及。1902年に日英同盟を結ぶなど、イギリスと深い関係にあった日本にも及んだ。

英国海军是世界数一数二的海军,把海军士兵的制服拿来给小孩当作制服,也是一种尚武精神的表征。因此,这阵风并没有止于欧洲,而是传播到了世界各地。1902年,日英同盟建立,与英国关系更上一层的日本自然也受到影响。

当時、日本は西洋的国民国家体制を有し、裕福で強力な近代国家へと変貌を遂げる明治維新を実施しており、軍事色の強い当時の日本の文化に日本海軍の軍装でもあったセーラー服は適合、すぐに大人気になった。それまで日本の学生の制服は今でも大学の卒業式などに着られる伝統的な着物や袴だった。そして、明治から大正初期にかけて西洋化運動が行われるにつれ、日本の学校も和服ではなく今でも日本の男子学生が身につける「詰襟(つめえり)」を採用するようになる。詰襟ももともと軍人や官僚などの制服として広く用いられたもので、1879年には旧宮内省の外局として設置された官立学校「学習院」が制服として採用した。

当时日本处于明治维新时期,确立了西方资本主义国家体制,崛起成为富裕强大的近代国家,因此作为日本海军的军装,水手服和当时军事色彩强烈的日本文化可谓相得益彰,很快就人气爆棚。在这之前,日本学生的制服为传统的和服和裤裙(现在大学毕业典礼有人穿)。之后,随着明治到大正初期西洋化运动的推行,日本的学校陆陆续续抛弃了传统的和服,采用的式样则是我们现在也能看到日本男学生穿的黑色立领制服“学兰”。“学兰”原本就作为军人、官僚的制服广泛使用,1879年,被作为旧宫内厅直属局设置的官立学校“学习院”指定为制服。

女子は、女性兵士専用の軍服がなかったため、セーラー服が採用された。現在一般的に見られるような上下セパレート型のセーラー服を制服として最初に採用した(1921年)のは福岡県の福岡女学院であるとされている。以降、セーラー服は少しずつ制服として普及し、日本全国に広まり、戦前には日本の全ての学校の女子学生がセーラー服を着用するようになった。また、もともとセーラー服の下はズボンだったが、日本の文化にも合わせてスカートに変わった。このころから、同じ軍服を着る男女の学生に違いができた。これは、日本の社会にも伝統的に男尊女卑の文化があることとも関係し、男子学生は指揮を行う士官の軍服を、一方の女子学生は指揮を受ける兵士の制服を着て、権威服従を表した。このような方法で社会の秩序を守ることもできたとされている。その後、時がたつにつれ、セーラー服は日本全体の動員体制の重要なツールとなり、絶対服従の象徴ともなった。もともと子供服だったセーラー服が日本に伝わってこれほど大きく変化するということは、英国も予想だにしなかったことだろう。

女生由于没有女兵专用的服装,所以就借用了水手服来代替。1921年,福冈女学院最先指定上下两件套的水手服为制服。之后水手服慢慢风行全国,战前全日本的女学生都穿水手服,后来下半身的裤子也应文化改成裙子。从这时起,同样是穿着海军制服,但是男女却不相同,这是日本传统男尊女卑的文化使然,男学生穿着具有指挥权的军官制服,而女学生穿的却是代表被支配阶级的士兵制服,象征着权威和服从。经由这种方式守护了整个社会的秩序。后来,水手服也成为整个日本国家动员体制中的一个重要配件,象征了绝对服从。原本在其它国家只是单纯的儿童服饰,流传到日本却有了这样大的变化,也是当初英国所始料未及的。

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