「男女の友情は成り立つか」に新説登場

“男女之间是否存在友情”新说

男女をめぐる議論において、「男女の友情は成り立つのか?」は永遠のテーマとして知られています。みなさんもどこかで一度は考えたことがあるであろうこのテーマ、実は今“新たな局面”をむかえているようです。

在关于男女关系的讨论上,“男女之间存不存在友谊”一直是热门话题。虽说大家以前可能讨论过,但现在这个话题又有了新的说法。

そもそも「男女の友情」問題って?

原本“男女间的友情”就有问题?

「男女の友情が成立するのか?」に関する議論は、簡単に言えば、「男女が一切の恋愛感情や下心を持たずに、まるで同性の友人と同じような友情を築くことができるのか?」というもの。

“男女间是否存在友情”的讨论,简单说来就是关于“是否能将异性完全等同于同性好友进而建立友情”的讨论。

「私たちただの友達だからさ~」とか言いつつ、いつのまにか“恋愛”に発展したり、はたまた“一線”をこえたり。一般的にはこうした文脈の中で「男女の友情はやっぱり成り立たないよね」なんて言われます。

说着“我们只是朋友关系”但却在不知不觉中向着“恋爱”发展或者已经超越了朋友的界限。看到此类表达,一般都会认为男女之间不存在友情。 

とはいえ、本当に最初は“友達”としか思っていなくても、その後ふとした瞬間に恋愛感情を抱いてしまうなんてことはざらにあるわけです。だからこそ、“異性”として意識することなく、いつまでもただの“友達”として割り切ることのできる男女の仲は本当に成立しうるのか、とは実に難しいテーマです。

但是很多情况是,刚开始的时候确实只把对方当做朋友,只是在交往的某个瞬间才开始对对方抱有好感的。正因如此,不把对方当异性看待、一直以朋友关系交往的男女之间是否存在友情就是一个难得出结论的问题。

「男女の友情」問題を持ち出すのはいつも男性!

对“男女间的友情”抱有怀疑的一直是男性

と、あたかも男女ともに悩まされているかのように言われている「男女の友情」問題。ところが、実際のところ「男女の友情」問題を強く意識しているのは実は常に男性側。

虽说好像男女双方都纠结于这个问题,但实际上对这个问题过于敏感的只是男性一方。

というのも、男性はどうしても女性を性の対象として見てしまう傾向があります。どんなに普段“友達”として接していても、二人だけで会おうと女性を誘う時には、少なからず異性として意識している場合が多いですし、シチュエーション次第ではついつい「下心」を抱いてしまいます。

也就是说男性总会将女性想象成另一半。就算是和最普通的朋友交往,当女性发出两人单独见面的邀请时,多数情况下男性也会突然意识到对方“异性”的身份 ,而随着身份的转变,也就容易对对方产生一些想法。

一方女性はというと、男性よりもずっと明確に“友達”と“恋愛対象”が区別されています。二人きりでいくら遊ぼうと、“友達”は友達、“恋愛対象”は恋愛対象。男性に比べてその考え方は明確かつシンプルです。

另一方面,女性却是能够清楚地在“朋友”和“恋爱对象”之间划出界限。就算两个人再在一起玩乐,朋友就是朋友,恋人就是恋人。相比男性,女性在此类问题上的想法清晰且简单。

常に葛藤を抱える男性と、明確な線引きを持つ女性

内心纠结的男性和明确划分界限的女性

「クリスマスや誕生日まで一緒に過ごした女性に、告白したら、あくまで“友達”としてしか見てなかったと言って断られた」

“我们圣诞节和生日都在一起过,但我向她告白后,她拒绝了我,说只是把我当朋友。”

「女友達が部屋に泊まりに来たので、ついつい下心を見せてしまったが“友達”だからと制止された」

“一个女性朋友到我住的地方过夜,我向她表示了好感,但她以只是朋友为理由却拒绝了我。”

――このような悲劇を経験して、「本当に男女の友情が成り立つと思ってるの!?」と息巻く男性たちを尻目に、女性たちの方はというと、男女の友情が成り立つかどうかなんて、実はそれほど重要な問題としてすら意識していないというわけ。

——经历这些“悲剧”后,男性怒火中烧“难道你们还认为男女之间存在友情?”。但女性不禁莞尔,她们甚至不会认为这个问题十分重要而一点也不放在心上。

ますます曖昧になる「友達観」

越来越暧昧不清的“朋友观”

さて今回、すでに当たり前のように"友達"という言葉を繰り返し使ってきました。ところが最近、この“友達”という概念がどんどん曖昧になってきています。

这次话题的讨论,可以将“朋友”一词翻来覆去地讲。但是最近“朋友”一词的概念却越来越模糊不清了。

あなたにとって身近なSNSを思い出してみてください。いわゆる"友達リスト"に載っている人は、全員が本当にあなたの"友達"だと言えるでしょうか? 中には「ほんの数回しか会ったことない人」もいるでしょうし、もしかすると「名前も知らない人」だっているかもしれません。

请你想想常用的社交网站。你能说在朋友分组里的人都是你的朋友吗?其中肯定会有只见过几次面的人,甚至有的人你连名字都叫不上来。 

Twitterでフォローし合えば"友達"。Facebookで申請が通れば"友達"。このように、SNSの浸透によって"友達"はよりお手軽に手に入れることができるようになりました。言ってしまえば"友達"なんて「何でもアリ」。"友達"という存在がどんどん曖昧になってきているのです。

在Twitter上关注了就是“朋友”。在Facebook上通过申请后就是“朋友”。像这样由于社交网站的渗透,交朋友变得越来越容易。甚至可以说“朋友随处可见”。但也就是这样,“朋友”的存在正变得越来越模糊。

そして、この"友達"の曖昧化は「男女の友情」問題にも波及しています。今までは「恋愛感情や下心無しの関係」こそが異性の“友達”の条件でした。

而且,这种“朋友”的暧昧化正在波及“男女友情”的问题。到目前为止,异性朋友的条件就是“完全没有恋人一般的好感”。

ところが最近、「セフレ」(=体の関係を持った友達)のみならず、「キスフレ」(=キスまでする関係の友達)や「ソフレ」(=添い寝するだけの友達)といった、新たな男女関係のあり方が話題になっています。

但最近,在男女关系上不限于“保持身体关系的朋友”,甚至出现了“可以接吻的朋友”、“可以一起安睡”的朋友,新的男女关系一时间成为话题。

“一線”をこえた仲は“友達”でないという考え方は一見今までどおりですが、その“一線”自体がかなり曖昧になってきているというわけ。

初看来,越线的男女关系不是“朋友”这一看法很符合一直以来的标准,但现在连这种“界限”都正在变得模糊。

となると、単に下心が芽生えるから「男女の友情」は成り立たないだとか、異性としてみてしまうから“友達”じゃないだとか、こうした考え方自体が時代に合わなくなってきていると言えます。

单单对对方有了别样心思或者有了将对方当异性看的想法就不再是朋友。可以说这样的想法本身已经不符合时代的发展了。

従来の意味での“友達”よりも、「ゆるやかで個別的な男女関係」(=“フレンド”)こそが、現代のトレンド。先ほど指摘した通り、もともと「男女の友情」に疑問を投げかけていたのはあくまで男性。ゆえに“フレンド”化がますます浸透していき、男性の「下心」がある程度満たされてしまうと、今後もしかすると「男女の友情は成り立つのか?」問題自体があまり叫ばれなくなるのかもしれません。

相比原来的“朋友”,“缓和的男女关系”正是现代版的“朋友”。因此,随着这种“朋友”化的渗透,男性的小心思会得以满足,可能在今后不会再纠结于“男女间存不存在友情”的问题了吧。

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