「抹茶」は、日本で数百年以上の歴史をもつ、伝統ある嗜好品だ。現代に入っても、日本の抹茶文化は大きな変貌を遂げつづけてきた。茶の湯に供されるだけでなく、和菓子、洋菓子、主食などに抹茶の粉が練り込まれた「抹茶味」の食品が増えつづけている。

抹茶在日本有着数百年的历史,是传统的嗜好品。进入现代,日本的抹茶文化也发生了变化。并不只是用在茶道上,日式点心、洋式点心、主食等加入抹茶粉的“抹茶味”食品也在增加。

一言でいうと、日本人は抹茶味が大好きなのだ。

总结为一句话,日本人喜欢抹茶味。

古くから日本にあった伝統食であるということを考えれば、日本人の抹茶味好きは不思議なこととは言えない。しかし、ただ歴史が長いということだけでは、その食が好まれることにはならない。今の日本人を惹きつける何かが、抹茶にはあるはずだ。

考虑到以前日本就有的传统食物,日本人对抹茶味的喜爱是不可思议的程度啊。但是,只是因为年份久远,绝不会喜欢到这种程度。能让日本人这么喜欢,抹茶里藏着什么奥妙呢?

奈良時代、遣唐使がお茶を持ち込む

奈良时代,遣唐使把茶引进

日本茶としての抹茶の大きな特徴の1つは、粉状になっていることだ。茶の新芽を摘んで蒸したあと、そのまま乾かし、これを碾いて粉にする。粉を熱湯に入れれば、茶の湯で出される抹茶になるし、食材に練り込んだり混ぜたりすれば、抹茶味の食べ物になる。揉んだ茶葉を湯に浸して抽出した成分を飲む煎茶とはちがい、抹茶は粉そのものが味わわれているわけだ。

作为日本茶的抹茶最大的特征之一是粉状。把茶叶的新芽摘除后蒸着,然后就那样晾干,把它碾成粉。粉泡到热水里,能够成为茶道里的抹茶;和食材混在一起,能够成为抹茶味的食物。这和泡在热水里喝的煎茶不一样,抹茶喝的就是粉本身的味道。

お茶は、日本の遣唐使が中国からもってきたものといいます。有力な説として、774(宝亀5)年という年が時期的に合います。当時は、唐においてもお茶は流行の最先端。陸羽(733~804)という人物が『茶経』という茶の研究書を世に出したことで盛んになっていた。この頃の中国でのお茶は、酸化させないために茶葉を煮てから、それを固めて乾かしていた。こうしてできた固形の茶は「餅茶」(へいちゃ)と呼ばれている。

茶道是日本的遣唐使从中国带回来的。最有考究的说法是774(宝龟5)这一年。当时在唐代,茶道是流行的前线。是因为陆羽(733~804)写的关于研究茶的《茶经》问世而兴起的。这时中国的茶防止酸化将茶叶煮了,然后变硬变干。这样成为固体的茶称为“饼茶”。

茶臼の登場できめ細かな粒に

茶石臼碾成更细的颗粒

茶葉を道具で碾いて粉状にし、それをお湯に入れて飲む。この点では、中国から伝わったお茶の飲み方は、今の抹茶の飲み方と通じてはいる。しかし、当時の餅茶の色はいわゆる「茶色」だったようだ。また、碾いた粉は粒が大きくざらざらしていて、湯に入れてもすぐ沈んでしまったようだ。いまの色鮮やかで、舌ざわり滑らかな抹茶とは遠いものだった。

茶叶用道具碾成粉,再倒入热水喝。在这方面,中国传过来的喝茶方法和现在抹茶的喝法是一样的。但是当时的饼茶颜色是所谓的“茶色”。还有,碾出来的粉颗粒比较大比较粗糙,放入热水后马上沉下去。和现在颜色鲜艳、口感滑滑的抹茶有很大差别。

日本の抹茶の歴史を見る上での重要な茶臼も、中国から留学僧が持ち帰ったと考えられている。金沢文庫の1307年以前の古文書に「茶臼」の記述が見られるものの、日本で茶臼が使われ始めた具体的な年代までは特定されていない。

日本抹茶历史上重要的茶石臼也是从中国回来的留学僧人带回的。金泽文库的1307年前的古文书有记述“茶石臼”这词,但什么时候开始用的就不得而知了。

一方で、茶臼で抹茶の粉をつくることにより、湯に入れた抹茶を効果的に撹拌する必要が出てきた。そこで抹茶に、茶筅というもう1つの道具が使われるようになった。石臼が使われ始めたと時を同じくして、茶筅も使われるようになったのだ。

另一方面,由于是用茶石臼碾成抹茶的粉,所以就有必要在倒入热水后搅拌抹茶了。这时用于抹茶的圆筒竹刷这个道具也就出现了。因此茶石臼和圆筒竹刷是同时开始使用的。

抹茶文化は一度、廃れた

抹茶文化曾经被废止

庶民に浸透していった煎茶に対して、抹茶はその後も武士たちの間で嗜まれていった。しかし、その後の日本では「抹茶を飲む」という文化がぱたりとなくなってしまった時期があったという。それは、江戸時代が終わりを迎え、元号が明治に変わった頃のこと。これには身分制度の廃止が影響している。武士という階級がいなくなって、抹茶を飲むことをしていた身分がなくなりました。抹茶は明治初期の頃、日本人に飲まれなくなったのです。

相对于受到庶民喜爱的煎茶来说,抹茶是在之后成为武士们的爱好。但是后来日本有一段时期“喝抹茶”这一文化突然中断。那就是江户时代末期,元号改成明治的时候。是因为受到了身份制度废止的影响。武士这一阶级消失了,喝抹茶的身份随之消失。所以明治初期日本人都不喝抹茶。

それから、女子教育の一貫として茶の湯が取り入れられ、復活の兆しが見えてきた頃、茶の湯の精神は海外にも広がっていった。ボストン美術館東洋部長だった岡倉天心(1862~1913)が英語で書いた『The Book of Tea』(茶の本)が、米国で大きな反響をよんだのだ。「それ(茶道)は、純粋と調和、相互慈善の秘訣、人間関係のロマンチシズムといったものを、じっくりと教え込むものである」。このように綴られた「茶の本」は、海外に日本文化を紹介する格好の機会になった。日本の抹茶文化は、まもなく息を吹き返していった。

之后,作为女子教育的一部分,茶道包含在内,在看见了抹茶复活的预兆的同时,茶道精神也名扬海外了。当时任波斯顿美术馆东洋部长的冈仓天心(1862~1913)用英语写的《The Book of Tea》(茶本)在美国得到很大的反响。“那是(茶道)能够教会我们所谓纯粹的调和,相互体恤的秘诀、人际关系的浪漫主义”。这样描述的《茶本》是把日本文化介绍给国外的绝佳机会。日本的抹茶文化得以复苏。

目にもやさしい緑という色。鼻が自然と受け入れる香り。ほんのりと苦みのある味。どれをとっても、決して強い自己主張はしない。そして、和菓子、洋菓子、麺類などの食品に入ったとしても、主役の座を奪うことなく、あくまで脇役に徹する。そんな抹茶のポジションというものを、日本人は好きにならずにはいられなかったのではないだろうか。

颜色是很舒服的绿色,香味是沁人心脾,味道是稍有的苦涩。不管哪方面都不是强烈的自我主张。而且,和日式点心、洋式点心、面类等食品相加也不会喧宾夺主,反倒是锦上添花。这样的抹茶日本人能不爱嘛?

時代とともに、抹茶の用途、文化、技術は変化を遂げてきた。しかし、抹茶の風味を示すための表現はこれからも変わらないだろう。すなわち「抹茶の味は、日本の味である」ということだ。

随着时代的变化,抹茶的用途、文化、技术也发生了改变。但是展现抹茶风味的表现是一直不会变的吧。也就是说,“抹茶的味道是日本的味道”。

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