上一期>>中日对照:《欢迎来我家》小说(九)

「よし。また釣ろう」

‘好了,再来钓鱼吧’

やがて、何事もなかったように父はいった。相当無理しているに違いなかったが、倉田のほうはすっかり意気消沈してしまっていた。

不一会儿,父亲就像什么都没发生过一样轻松地的说道。很明显父亲是在勉强自己,仓田更是早已意志消沉了。

のろのろとエサをつけ、再び竿を出す。だが、ウキは海のひととこに定位し、二度と動こうとはしない。時折、堤防の突端をまんまと占領した男達の嬌声が聞こえた。

慢腾腾地挂上鱼饵,再一次抛出了鱼竿。但是鱼漂儿被固定在了大海的某个地方,纹丝不动。时不时还能听到轻而易举占据了堤坝那头的男子尖锐的声音。

どれだけそうしていただろう。やがて、あきらめたように父がため息をついた。「帰ろうか、健太」

究竟是为什么会变成这样呢。很快的,像是要放弃般父亲深叹了一口气。要回家吗,健太?

竿を畳んで立ち上がるとき、父は足元でへしゃげているタバコの空き箱をそっと拾い上げると、それが大切なものであるかのようにズボンのポケットに入れた。

收好竿起身的时候,父亲悄悄地捡起了压扁的香烟盒,宝贝般放到了裤子的口袋中。

忘れ去るには貴重すぎ、思い出すには苦すぎる、そんな記憶だった。あれからもう四十年以上の時が過ぎ去り、ホームを滑り出した山手線のドアの窓には、あの当時の父よりも歳をくった自分の顔が映っている。結局、自分の人生の中で、父と楽しい記憶は数えるほどしかないのに、あんなごろつきみたいな連中に汚されたことが悔しい。

想要忘记却又太过重要,想要深藏记忆之中却又太过痛苦。就是这样的一段记忆。从那以后已经过去四十年有余,慢慢划过站台的山手线的门的窗户上照映着比当时的父亲还要上了年纪的自己的脸庞。结果,自己这一生中与父亲仅有的那么一点快乐回忆却被那些流氓一样的家伙给破坏了,真是不甘心。

だが、自分も同じように親になって、あれと同じ場面に出くわしたとき果たしてどうするだろうかと考えてみると、やはり倉田もまた父と同じようにその場から離れるのではないかという気がした。

但是当自己也为人父之后,再考虑到如果遇到了跟当时一样的情况自己究竟会怎么做时,可能自己也会跟父亲一样选择离开那个地方吧。

子どもの前でケンカするわきにもいかないし、あんなふうに言い返してくる相手に何を言っても無駄なのだ。

在孩子面前又不可能打架。再说了,对于那种巧言善变的家伙说什么也无济于事。

とどのつまり倉田もまた父親譲りの温厚な人柄であり、さっきのように不遜な男を制するなどということは、倉田の性格からすると極々珍しいことだった。少しやりすぎたかも知れないが、それについては倉田の行動に同意する声が上がったことで救われた気がする。さらに、渋谷駅で降りるとき、さっきの浴衣姿の娘さんが小さな会釈をくれたことでわだかまりは完全に消え、いつもの通勤帰りの風景がようやく戻ってきた。

到头来,仓田还是继承了父亲乐于让人的温厚的性格。像刚刚那样去制止毫不讲理的男子,对仓田来说也是极其罕见的事情。虽然可能有点做过头了,但是大家都对仓田的举动发出了赞赏之声,这才让仓田稍微放心了些。另外,在涉谷车站停站下车时,刚刚穿浴衣的女孩子还对他点了点头,仓田这才完全消除了内心的疙瘩。一直以来工作结束回家路上的风景也终于恢复了正常。

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