以史为鉴 不蹈覆辙

作家の永井荷風は浅草のようすが気になり、足を延ばした。歓楽街の人出はいつもと変わりなく、芸人や踊り子のふるまいもまた同じ。〈無事平安なり〉と日記「断腸亭日乗(だんちょうていにちじょう)」に書き記した。1941年12月8日の日米開戦から3日後のことである

作家永井荷风因为惦记着浅草的情况,便去那里看了看。欢乐街的人流与往常没啥变化,艺人及舞姬的一举一动也一样。于是就在日记“断肠亭日乘”里写下了〈平安无事〉几个字。那天是1941年12月8日日美开战的3天之后。

やはり作家伊藤整(せい)の「太平洋戦争日記」は、開戦翌日の新宿を描いている。〈今日は人々みな喜色ありて明るい〉。世には祝祭気分すら漂ったらしい。日本軍による真珠湾奇襲の戦果に国中が「酔っている」と、戦後回想した学者もいる

同样是作家的伊藤整,他的“太平洋战争日记”则描写了开战第二天新宿的情况,<今天,人人面带喜色神清气爽>。甚至觉得似乎大街小巷到处都洋溢着节日的气氛。战后也有学者回忆称,全国上下都“陶醉在”日本军队奇袭珍珠港的战果之中。

今から思えば、その明暗に驚く。開戦の日、北海道帝大生が軍事機密を漏らしたとしてスパイの濡れ衣を着せられた。旅の見聞を知人に話しただけだった。学生は獄中で病み、27歳で死去。後に「レーン・宮沢事件」と呼ばれ、当局による秘密独占の危うさをまざまざと物語る

现在回想起来,当年的是是非非都令人震惊。开战的当天,北海道帝国大学的一名学生因为被认定泄露了军事机密而被扣上了间谍这一不实罪名。该学生在狱中罹患重病,年纪轻轻27岁便死去了。事后被称为“莱恩·宫泽事件”的该案清楚地说明了当局单独控制秘密的危害性。

国の行く末がどうなるか、考えるよすがもないまま戦争に駆り立てられる。何の心当たりもないまま罪をでっち上げられる。戦前の日本に逆戻りすることはないか。心配が杞憂に終わる保証はない。おととい、特定秘密保護法が成立した

国家的前途命运将如何?这些问题容不得你考虑便被卷入了战争;在心里丝毫没有头绪的情况下就被扣上了罪名。人们担心,会不会又退回到战前的日本?没有谁能保证我们的担心只不过是杞人忧天。因为,前天,特定秘密保护法宣布成立。

国家安全保障会議の設置と併せ、外交や軍事面で米国との連携を強めるための法律である。その先には武器輸出三原則の見直しや集団的自衛権の行使の解禁が控える。安倍政権の野望が成就すれば、平和国家という戦後体制(レジーム)は終わる

这是一部为设置国家安全保障会议的需要,同时在外交及军事方面加强与美国联手的法律。在其前方,武器出口三原则的修定,以及对行使集体自卫权的解禁正等着落实。如果安倍政权的野心得以实现的话,所谓和平国家的战后体制(regime)则行将终结。

12・8の日付を忘れることはできない。今、忘れない日付のリストに12・6も加えなければならない。

12·8这一日子是不能忘记的,如今,在这不能忘记的日期表上必须再追加一个12·6。

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