汉字学家 偏好之字

年の初めに今年の抱負を考えたり、目標を立てたりした方も多いだろう。当方ことさら抱負もないが、なにか新たに心に刻む言葉はないかしらと引き出しをあさったら、一枚の切り抜きが出てきた

一年之初始,恐怕很多人都会想一想今年自己的抱负,定立一个目标。本人虽然没有什么值得一提的抱负,可却也想找一找,看看有没有重新铭刻于心的语录。把个抽屉翻了个遍,终于找到了一张剪报。

漢字学の大家、白川静(しずか)さんが10年前の週刊誌に寄せた短い文章である。「私のごひいき」を三つ挙げる趣向の欄で、碩学は「狂」「癡(ち)」「愚」の3文字を選んでいる。癡は痴の旧字。いずれも穏やかな字面ではない。なぜこれがごひいきなのか

这是汉字学大家白川静先生10年前投稿于周刊杂志上的一篇短小的文章。在一个意趣为例举三个“我的偏好”的栏目里,关于硕学一项他选择了“狂”“癡”“愚”3个字。癡为痴的旧体字,而且每个字看上去都不安稳,不知道为何成了他的偏好对象。

狂は気がくるうことではない。好むところに溺れること、憑きものがおちないことをいう。例えば風雅に徹する人のことを風狂の徒という。それは〈世間の埒外に逸出しようとする志をもつもの〉であり、狂とは〈最大の讃辞〉だったという

据说,狂并非指精神失常,而是指沉溺于某种喜好之事;摆脱不了走火入魔的状态。例如,人们将始终追求风雅的人称为风狂之徒。他们是〈立志逃出世俗之外的人〉,所谓狂是对他们〈最大的赞美之辞〉。

痴の字が痴漢という忌まわしい語にもっぱら使われていることを白川さんは嘆く。本来はうつつをぬかすという意味だそうだ。ただ、狂ほどは激しくない。控えめな狂。昔の文人墨客には書痴(しょち)などと称し、みずからを誇るものがあった

痴字现主要被用在了诸如痴汉(色鬼意)之类令人厌恶的词语里,对此白川先生大为叹息。据说它原本的意思是沉迷于某事的意思,但是不如狂那么激烈,也就是有所控制的狂。从前对于文人墨客称之为书痴,并且还有人以此为豪。

愚の字の上の部分は、頭部の大きい爬虫類のかたちらしい。姿はいかめしいが動きの鈍いもの、機略に乏しいものをいう。狡知(こうち)ある人からみると温和な人は往々、利口とみえない。大賢は愚なるがごとし。愚も〈甚だ高次の徳性を意味する語である〉

愚字的上半部呈一个头部很大的爬虫类形象。意指那些架势很威猛行动却很迟缓,且缺乏机敏者。在心眼活奋的人看来,温和之人往往不聪明,大贤若愚。愚也是一个〈具有甚高德性之意的词〉。

三つの文字は〈人間の至境〉を示す。とても凡夫の及ぶところではない。それでも頭の隅に置いておくことくらいは許されるだろう。書き初めにはどうかとも思うが。

这三个字显示了〈为人的最高境界〉,并非凡夫俗子可以企及之所。即便如此,将其放在头脑的某个角落,这恐怕还是允许的。我也想过,将此心得权当今年的初笔难道不好吗?

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