脚本家・演出家としてテレビドラマ・舞台・映画と多方面で活躍する三谷幸喜氏。

三谷幸喜是一名编剧兼制片人,在电视剧,舞台剧和电影多方面都十分活跃。

本人曰く「『刑事コロンボ』が大好き」でドラマ『古畑任三郎』(フジテレビ)を生み出し、「新選組と大河ドラマが大好き」で2004年の大河ドラマ『新選組!』(NHK)で近藤勇を描き、「子どもの頃から武将が大好き」で映画『清須会議』(13年公開)を撮り、12年ぶりに脚本を執筆するチャンスが巡ってきた大河ドラマで、戦国時代屈指の人気武将・真田信繁(幸村)の生涯を描くことになった。

他本人说:“因为喜欢《神探可伦坡》。”于是创作了《古畑任三郎》(富士电视台),因为“很喜欢新选组(日本幕府末期,幕府为加强京都市警备区而组织的武士组织)和大河剧”,所以在2004年的大河剧《新选组!》(NHK)中描绘了近藤勇(日本武士,江户幕府末期幕臣,新选组局长)这一人物,又因为“从小就喜欢武将”,于是拍了《清须会议》(13年公开)。时隔12年,又有了机会操刀大河剧剧本,来描绘战国时代首屈一指的著名武将真田信繁(幸村)的一生。

三谷氏は、「幸村はとっくに大河ドラマでやっていてもおかしくない人物。よくぞ、僕が書くまで待っていてくれたと思います」と心底うれしそうだ。

三谷从心底里感到高兴:“幸村这个人物很早以前就应该在大河剧中被演绎了。太好了,看来是一直在等着我来写吧。”

信州の真田家に生まれ、幼少期から青年期を上杉景勝、豊臣秀吉の人質として過ごした信繁。[/en]

信繁生于信州的真田家,以上衫景胜和丰臣秀吉的人质身份度过了自己的幼年和青年时期。

[en]天下分け目の関ヶ原の戦いでは西軍につき、豊臣方と徳川方の最後の戦いとなった「大坂の陣」では劣勢の豊臣勢のリーダーとして、徳川家康を相手に孤軍奮闘。

信繁在决定天下归属的关原之战中从属于西军,是在丰臣秀吉和德川家康最后一役“大坂之战”中处于劣势的丰臣秀吉一方的领军人物,信繁面对德川家康的军队孤军奋战。

大阪城の弱点を補うべく砦「真田丸」を築いて対抗、最後は戦場に散った。

信繁构筑起了弥补大阪城弱点的堡垒“真田丸”,与德川军对抗,最后战死沙场。

タイトルはその砦と「戦国の荒波に立ち向かう真田家を一艘(そう)の船に例え」て『真田丸』とした。

因为有这座堡垒在,并“将直面战国时代壮阔波澜的真田家族比作一艘船”,所以将作品名定为了“真田丸”。

「『新選組!』の近藤勇も、今回の信繁も、勝者か敗者かといえば、敗者。時代を作った人よりも時代から取り残された人たちの人生に、僕は興味があります。この世の中は、何かを成し遂げられずに人生を全うする人のほうが圧倒的に多いわけですから、そういう人たちの代表として、描きたいと思いました」。

“无论是《新选组!》的近藤勇,还是这次的信繁,如果要论历史成败的话,都是失败者。比起创造时代的人,我对被时代抛弃了的人物的人生更加感兴趣。人世间,大多数人终其一生而无所成就,我就是想以信繁这个人物做代表来描绘那些人的人生。”

敗者にひかれるという三谷氏。

被失败者吸引的三谷。

「物語作家としては、敗れていった人たちのほうがよりドラマチックに書けるということもありますが、歴史上の人物を一年かけて描くにあたって、人生のクライマックスがドラマの最終回に来るような人物を描きたいな、と。そういう意味でも信繁は、ドラマチックな最終回を迎えられる人物だなと思っていました」と分析を加える。

三谷分析到:“作为一名故事作家,我更擅长将失败者的故事表现得更有戏剧性,但是在花一整年的时间描写历史人物时,我很想描写一下那种在电视剧的最后才迎来人生巅峰的人物。在这个意义上,信繁正是最佳的选择。”

「でも、“滅びの美学”はあまり好きではありません。信繁は、死に花を咲かせるためではなく、あくまでも勝つつもりで大阪城に入ったと思いたい。ひょっとしたら、夏の陣は豊臣方が勝つんじゃないかと思ってしまうような、それぐらい希望に満ちたクライマックスを描きたいと思っているんです。まだ書いてもいないのに、こんなことを言うのもなんですが、かなり最終回は盛り上がるはずです」と自信をにじませた。

三谷充满自信:“但是,我不太喜欢‘毁灭美学’。我宁愿相信,信繁本不是为了死得荣耀才进入大阪城的,而是为了取胜。或许夏之阵是丰臣秀吉一方胜利了呢,我就想描写这样充满希望的人生巅峰。明明还没写却说了这些并不好,但有信心大结局一定会令人热血沸腾。”

主人公の名前はなぜ「幸村」ではなく「信繁」なのか

主人公的名字为何是“信繁”而不是“幸村”

三谷氏は「僕一人の意志で決まったことではない」と前置きしつつ、「僕なりの思いを言うと、可能なかぎり史実に沿って書こうと思った時に、主人公の名前は信繁でなければならなかった」ときっぱり。

三谷首先表示:“这不是凭我一个人的意志决定的。”然后表白:“照我的想法,要尽可能地按照史实来写,主人公的名字就应该是信繁”。

江戸時代から伝わる講談『難波戦記』や大正時代に刊行された立川文庫の『真田十勇士』などで広まり、親しまれてきた「幸村」の名前だが、あえて「信繁」としたのは、「真実の人生を描くんだという、決意表明を込めたつもりです」。

虽然从江户时代流传下来的讲谈《难波战记》和大正时代刊行的立川文库的《真田十勇士》等作品中出现并被人们熟悉的是“幸村”这个名字,但将其改为“信繁”是因为“要传达会描写其真实人生的决心。”

「『新選組!』をやった時に、荒唐無稽であるとか、史実をねじ曲げているといったご批判を受けました。僕はできるだけ史実に沿った形で描き、記録が残っていない部分だけ、想像力を膨らませて書いたつもりでした。ところが、僕自身、喜劇作家ということもあって、僕が書くものはすべてふざけているみたいなイメージを、背負ってしまっているんですね。」。

“拍摄《新选组!》时,受到了很多批评,诸如荒唐无稽,歪曲史实等等。我本就打算尽可能地按照史实来描写,只在史料没有记载的部分发挥想象力。但因为我是一名喜剧作家,对于人们来说,我背负着我写的东西都是搞笑的固有形象。”

しかも、今回の信繁は近藤勇よりも時代は古いし、歴史的な資料も少ない。

而且,这回信繁所在的时代比近藤勇还要早,有记载的史料也不足。

「彼が何した人かほとんどわかってない分、自由に発想できる。極端に言ってしまうと最晩年の活躍だけで歴史に名を残したようなものなので、わかっていない部分は、今回も思いっきり想像でつないで、2016年『真田丸』の信繁像を作っていきたい」と、どんな批判も受け止める覚悟だ。

三谷已经做好了接受任何批评的准备:“对于几乎不知道他究竟做了什么的部分,我们可以自由想象。说得极端点,他仅凭晚年的事迹才在历史上留名,所以这次我们可以充分想象未知的部分,来创作2016年《真田丸》中信繁这一形象。”
教科書をなぞるような歴史の再現ではなく、史実に沿いながらも“ドラマ”として面白いものを目指す。

并不打算像编写教科书一样再现史实,而是要努力地以史实为参照,赋予作品电视剧该有的趣味性。

初回の試写を見ても、役者の演技と相まってクスッと笑えるシーンもあれば、偉大なる先代の後を引き継いだ“ジュニア”の悲劇もしっかりと描かれていた。

看了第一次试映,发现既有与演员的演技相得益彰的令人爆笑的场面,又有继承了伟大先祖事业的后代们的悲剧故事。

「歴史年表には笑いはないですよね。年表を見て笑える人はよほど感受性の優れた人でしょう。年表のように俯瞰で歴史を見ていては、表情も何も見えないけれど、目線を下げていくとその時代に生きていた人たちの顔が見えてきて、言葉が聞こえきて、息遣いを感じることができる。人間だから泣いたり怒ったりもするし、笑いもしたはず。一生懸命ゆえの滑稽さもある。信繁はもちろんですが、信繁と家族、信繁と関わる武将たち、登場人物一人ひとりを人間らしく描いていきたい」と意気込みを語っていた。

三谷干劲十足地说:“历史年表里没有笑料吧。因此,看着年表也能笑出来的人感受性应该是非常强的。俯瞰历史的话,人物的表情之类是都看不到的,但是将目光向下移,就能看到那个时代的人们的脸,听到他们说的话,感受到他们的呼吸。人嘛,本就是会哭会怒会笑,也有拼命努力时的滑稽。信繁自不用说,我想将信繁和家人,以及与信繁相关的武将们,每一个登场人物都有血有肉地描绘出来。”

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