『勘違い慣用表現の事典』

慣用句は日本で古くから言い慣わされてきた言葉です。しかし最近の若い世代では死語になりつつあるようで、周囲で聞いたり、自分で言ったりする機会も減って、「あれ、なんだっけ?」と悩んでしまうことってありませんか?

惯用句是日本自古以来就习惯说的一些话。但是,最近(惯用句)在年轻一代中似乎成了废词,周围听到的、自己说的机会都减少了。有没有出现过“嗯?那是怎么说来着?”而困扰的情况呢?

『勘違い慣用表現の事典』(西谷裕子/東京堂出版)は、読み間違い、書き間違い、取り違えて誤用しやすい慣用句について、言葉の成り立ちから解説して、正しい書き方、読み方、使い方が身につく1冊です。

《被误解的惯用表现辞典》(西谷裕子/东京堂出版)是一本关于读错、写错、用错等容易误用的惯用句,讲解句子的形成,掌握其正确写法、读音、使用方法的书籍。

「自分は大丈夫」というそこの方も、試しにいくつか慣用句の正誤例を並べてみますから、ちょっと確認してみましょう。

我们试着列举了一些惯用句的正误例子,觉得“自己没问题”的朋友们也确认一下吧。

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雨脚は止まない

雨脚は止まない

雨势不停

雨脚が止む

○雨脚が弱まる

✕雨势停止

○雨势减弱

テレビの天気予報で「雨脚が止んで晴れ間がのぞき…」なんて聞きますが、これは誤用だとか。「雨脚」は、雨水が音を立てて降りながら雨雲が移動する様子を、足音を立てて走る人間にたとえたもので、正しくは「雨脚が強まる/弱まる」あるいは「雨脚が激しくなる」と用いるそうです。

电视里听到的天气预报“雨势停止、天气放晴……”之类的,其实这是错误的用法。“雨势”,是将雨声中雨云移动的样子,比喻成人伴随着脚步声飞奔的说法,正确的用法应该是“雨脚が強まる/弱まる(雨势增强/弱)”或“雨脚が激しくなる(雨势猛烈)”才对。

浮気するのは男か女か?

浮気するのは男か女か?

见异思迁的是男人还是女人?

✕女心と秋の空

○男心と秋の空

✕女人的心,秋季的天

○男人的心,秋季的天

 秋の天気が変わりやすいように、すぐに気が変わる女性の気持ちを「女心と秋の空」といったりしますが、実は正しくは「男心と秋の空」です。昔から浮気をするのは男性の側。清楚で一途な日本人女性は浮気なんてしないのです。でも現代の女性は違うかも?

人们经常会说“女心と秋の空(女人的心,秋季的天)”,(意思是)女人的心情就像秋天的天气一样容易变化。实际上,正确的说法是“男心と秋の空(男人的心,秋季的天)”。自古以来见异思迁的都是男性。清秀又专一的日本女人是不会移情别恋的。不过也许现代的女性就说不定了?

議論が白熱することは?

議論が白熱することは?

议论白热化时?

✕喧喧囂囂(けんけんごうごう)と意見を戦わせる

✕喧喧諤諤(けんけんがくがく)と意見を戦わせる

○侃侃諤諤(かんかんがくがく)と意見を戦わせる

✕喧嚣地争论意见

✕吵闹地争论意见

○直言不讳地争论意见

 自分が正しいと思う意見を遠慮なく論じ合うという意味の「侃侃諤諤」。「侃」は強く正しい、「諤」は直言するという意味。「喧喧囂囂」は大勢の人がそれぞれ勝手に騒ぎ立てることで、「喧」も「囂」もやかましい、うるさいという意味。両方を含む「喧喧諤諤」も間違いで、そのような四字熟語はないのだとか。

自己认为是正确的意见,不客气地互相论述是“侃侃諤諤”。“侃”指非常正确,“諤”是直接说的意思。“喧喧囂囂”则是指很多人各自喧嚣,“喧”和“囂”都有喧闹、吵闹的意思。两个字都包含在内的“喧喧谔谔”是错的,这样的四字熟语是不存在的。

神さまに祈るのはどんなとき?

神さまに祈るのはどんなとき?

对神祈祷的是什么时候?

✕困った時の神頼み

○苦しい時の神頼み

✕遇到麻烦时的祈求

○困难时的祈求

普段は信仰心のない人が、苦境や苦難に陥ったときに限って神仏に祈って助けを求めること。神さまでなくとも、いつもは懇意にしていない人に助けを求めるたとえにも用います。困っているには違いありませんが、「苦しい時の神頼み」が本来の言い方なのだとか。

即使是平时没有信仰的人,在陷入困境和苦难的时候,都会向神佛祈求帮助。也用于向平时不怎么有来往的人求救。虽然确实是有麻烦(困っている),但“苦しい時の神頼み(困难时的祈求)”才是原本正确的说法。

発明の母となるのは?

発明の母となるのは?

发明的妈妈到底是谁?

✕失敗は発明の母

○必要は発明の母

✕失败是发明之母

○需要是发明之母

発明は何かを必要としたときに生まれるものだという言葉。よく似た慣用句の「失敗は成功の母(もと)」とも混同しやすいので注意です。ただし現実では、失敗をきっかけに新技術や新商品が生まれることもあるので、失敗しても諦めないことが肝心ですね。

这句话的意思是发明是在有需要的时候诞生的。很容易与相似的惯用语“失敗は成功の母(もと)(失败是成功之母)”混淆,所以要注意。只是在现实中,也有以失败为契机,新技术和新商品才出现的情况,所以就算失败也不放弃才是重要的。

動かしたり、伸ばしたりするのは?

動かしたり、伸ばしたりするのは?

挪动的是什么?伸出的又是什么?

✕もうけ話に触手が動く

○もうけ話に食指が動く

✕IT関連企業に食指を伸ばす

○IT関連企業に触手を伸ばす

✕把手伸向赚钱那边去

○对赚钱的事情感兴趣

✕向IT相关企业伸出手

○进军/涉猎IT相关企业

食べたいという気持ちが起こることから転じて、あるものを欲しがることを「食指が動く」といいます。「食指」は「人差し指」のこと。中国の春秋時代に、鄭の公子宋が君主の館に招かれた際に自分の人差し指が動くのを見て、これはご馳走が出てくる前触れだと言った故事から生まれた言葉なのだとか。

从有想吃的心情引申过来,在想得到某个东西的时候会说“食指が動く”。“食指”指的是第二根手指头。据说在中国的春秋时代,郑国的公子宋被君主招待的时候看到自己的食指抖动,说这是有佳肴可享用的前兆,以此由来的词语。

似たような慣用句で混同されやすい「触手を伸ばす」は、欲しいものを手に入れるために野心をもって相手に近づいて働きかけること。「事業を拡大するために、外資系企業に触手を伸ばした」のように用います。

和之相似容易被混淆的惯用句“触手を伸ばす(涉猎/进军)”,是指为了得到想要的东西怀着野心接近对方。“为了扩大事业,进军外资企业”会经常像这样使用。

うそがばれるのは?

うそがばれるのは?

谎话被揭穿的是?

✕すぐに底が知れる

✕すぐに底が見える

○すぐに底が割れる

✕很快就知道(他)有几分几两了

✕很快就知道(他)在想什么了

○很快就被揭穿了

「底が知れる」は、見た目は立派に見えていても中身はたいしたことがないと推測できること。「底が見える」は、言動の裏にある心が読み取れて見当がつくということ。うそや隠し事がばれるという意味で用いるのは「底が割れる」です。少しずつ意味合いが違いますから、どんな時に使うのかも覚えておきたいですね。

 “底が知れる”,指的是虽然外表看起来很出色,但可以推测出内在也没什么了不起的。“底が見える”则指能读懂言行后面的真实想法。谎言和隐瞒之事被揭穿时要使用“底が割れる”。它们之间意思都有一点差异,请记住各自的用法。

会話に応じるのは?

会話に応じるのは?

回应对话是?

✕相槌を入れる

○相槌を打つ

✕合いの手を打つ

○合いの手を入れる

✕放进棒槌

○随声附和,打帮腔

✕打过门儿

○插手、插话/穿插喝彩

相手の言葉にうなずいたり、受け応えをしたりするのが「相槌を打つ」です。鍛冶場で、熱した鉄を師匠と弟子が息を合わせて交互に槌で打つことからのたとえ。「合いの手」は邦楽で歌や踊りに合わせて入る三味線や楽器の伴奏、手拍子や掛け声のことで、そこから会話や物事の進行を円滑にするために言葉をさしはさむことを「合いの手を入れる」といいます。

赞同对方的话,应答时是“相槌を打つ(随声附和)”。是铁匠场上,师傅和徒弟意气相投互相用锤子敲打灼热的铁的比喻。“合いの手”是指日本传统音乐里歌舞配合着三弦、乐器的伴奏,打拍子和喝彩。由此引申出,为了使对话和事物顺利地进行的插话叫做“合いの手を入れる”。

どうでしたか。本書では、この他にも多くの慣用句の事例や、言葉の成り立ちが1000語近く掲載されています。間違えて覚えてしまっていた人はもちろん、すべて正しく覚えていたという人も、普段使いの事典としてお手元に備えておいてはいかがでしょうか。

怎么样呢?本书中,除此之外还记载了很多将近1000个惯用句的事例和来源。弄错的朋友们就不用说了,能正确记住的朋友们也为了平常使用的由来词典入手一本如何呢?

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